第189話


 小さな月明りに、沖の方はキラキラと照らされているが、浅瀬の海面は墨汁のように黒に染まっている。

 泡立つ白波と砂浜だけが青白く浮き立っていた。



 こちらを発見したのか、二つの小さな人影が駆けて来る。イラーザとライムだ。


「「トキオ様―!」」


 やばいよー!彼女たちが来る。



 俺は、迫り来る危機に心音を高鳴らせながら、銀の娘と呼ばれる世紀の美少女に目をやった。

 彼女の姿は、暗闇でも明るく浮き立って見えている。


 闇を滲ませ、アリアーデの白銀の髪と白い肌がふんわり光っている。

 そんな場合じゃないのに、少し絶句してしまった。



 夜の海辺に現れた、月の女神かよ…。


 いやいや、言ってる場合じゃない。


 まずい、まずい、まずい、まずい、まずい。まずい、まずいまずい。アリアーデとイラーザを合わせたらまずい。


 俺の世界が壊れる!


 俺だけが好き勝手にふるまえる美しい世界が失われてしまう!

 俺ばっかりが楽しい夢の世界が…。


 ああ、俺のほんのり甘いティータイムが…。


 そう思ったのだが、別の俺がクールに述べる。

 落ち着けトキオ、特に問題ないだろ。



 あれ、そういえばそうか。問題ないか?


 そうだ。俺はどちらとも恋人でも何でもない。大丈夫だ。二人になんでもすると言わせただけだった。


 なんて素敵な言葉を貰ったんだろう。もう一度聞きたい。


 ザッザッ、ザッ…ザッ……ザッ……。


 砂を踏む音が迫ってくる。

 歩くリズムが途中で変わった。イラーザたちの走るテンポが落ちたんだ。一人だと思っていた俺のそばに、人影を見つけて戸惑っているのだろう。


 なにしろ彼女は、ぼんやり光って見えるからな。



 そこでだ。そこで、俺は気付いた!

 そういうこと、確認するよね?


 女子と会う時。人前に立つ時。レジに並ぶ時。俺のような小物が改めて確認するトコが気になったんだ。


 財布ちゃんと持ってるかな。あそこのジッパー開いてないよね?

 なんか、そっちに気を回したら股間が涼しかったんだ。



 ジッパーどころじゃねーわ。俺はまだ、パンツはいてなかった。


 イラーザが、あの素敵な声を上げたと同時に僅かに動かした足で、あっちの世界に連れていかれてしまったんだ。良かった。


 俺は、それで粗相してしまったパンツを洗っていたんだ。


 そこへ突然アリアーデが現れ、凍り付いてしまったんだ。


 更に、天上の妖精様に、月の女神様に、思っても見なかった優しい事を言われ、戸惑っていたところだった。


 何故、忘れるかな。パンツ履いてない事を。無防備中の無防備じゃないか。防御力マイナスだよ。

 なんですぐに飛んで逃げなかったんだ?

 二人を会わせる事の問題点とか、考えてる場合じゃなかったのに。いや、今からでも遅くはない。超速を使って斜線になって逃げようか。


 いや、待てよ。多分イラーザたちに、既に視認されてるぞ。俺のケツの割れ目を。暗闇だからはっきりは見えないだろうけど、パンツ履いてないことは一目瞭然だ。警察二十四時で〇時〇〇分、現認言われるヤツだ。


 背後から迫って来る二人の、このばらっとした戸惑いの足音は間違いない。


 アリアーデを見て、戸惑っていたんじゃない。

 桃だ。お日様にさらす事がないので、なまっ白く育った俺の桃の方だ!



 俺は恐ろしくて、二人の方を振り向けなかった。いや、あれがあるので向いちゃダメだ。新たな犯罪を生み出してしまう。今ならギリギリセーフだ。アリアーデの方も見られず、海を向いている格好だ。


 大概の人間は海を見てれば絵になるが、桃を出した俺はどうだろう?



 この砂浜はごく狭い。海に向かって左にアリアーデと馬、俺を挟んで右側にイラーザとライムだ。


 逃げたかったが、今この場を逃げ出したら、戻って来られない気がした。

 多分、気の小さい俺は、戻って来られない。


 ケツを見せし姿が最後なんて…嫌だ。絶対嫌だ。だって思い出すたび、桃を出した俺の絵が浮かぶんだろ。最悪だ。俺は踏ん張って耐える。


 やっぱり、俺は大分強くなっている。



「トキオ様…、なんでパンツ履いてないんです?…この方は?」


 もう逃げられない。ここで逃げられるのは何も考えない子供だけだ。

 できる事なら子供時代に帰りたい。


 しかし、悪くなかった。イラーザの軽く、日常的な問いかけがありがたかった。


 漏らしたことにしよう。アリアーデにはそう言ったし。それしかない。ライムのような子供の前で屈辱的ではあるが、本当の事がばれるよりましだ。

 っていうか嘘じゃない。漏らした。



「私はアリアーデ。この男とは、一回セックスする約束をしている。先程、ここで偶然会ったのだが、彼は約束を思い出したのであろうな…」



 アリアーデはいつも通り、淡々と述べた。


 彼女の声は小さいがよく通るので、波音と相まって物語の一部のようだった。



 映画の中の、一シーンのようだった。


 

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