第182話
表にライムを抱えて飛び降りる。二人で五キロほどの重さに調整している。落ち方に不自然さは、そんなに見えないだろう。
重さでは落ち方にそれほど変化はない。
だが、ライムにはわかったはず。衝撃が無さすぎる事に。着地と同時に重力を戻す。芝生に足が沈む。
仮面を向けると、フードを目深に被ったイラーザが走って来る。
「終わりました!」
「おまえ…魔量すごいな」
「実はすごいんです」
俺はマルーンの屋敷を見渡した。そこで彼女の仕事ぶりを見る。素晴らしい。俺の魔法とはわけが違う。一階部分に一直線に線ができていた。
それに、一人で一周まわれるとは思ってなかった。普通ならマジックポイントが枯渇する。彼女にも秘めた力があったんだ。
避難していたマルーンや、嫁さん、家人たちが見える。どうやらマルーンは、完全に息を吹き返しているようだ。マジでホッとする。
その後は、誰も俺に突っかかってはこなかった。
どうしたらいいのかわからないようだ。
この館で一番の実力者を、子ども扱いで追い払ったのが大分効いていた。衛兵も邪魔なのはやっつけたし、昨夜の陽動で減っているのだろう。
もしかすると、街にいる騎士らを呼びに走らせているかもしれないが、もう間に合うはずもない。
舞台は最高の形で整った。丁度よく館を見渡せるところ…まるで観客席だ。彼らは難を逃れてそこに集まっている。
観客の前に立ち、俺は道化のように一礼する。
仮面を落とさないよう頭を下げながら、この計画をイラーザに話した時の回想する。
「何もかも、貰っちまうおうと思う」
「え……」
その時はまだ、イラーザはまだ青い顔していた。 俺は説得を試みたんだ。ダメならやめる気だった。
「奴らが一番大事にしてるのは財産だ。金だよ。命の次に大切にしているんだ。
庶民を泣かせて掻き集めた金だ。そいつを根こそぎ頂く」
「…そんな事…できますか?」
「俺には出来る」
「本当…に」
「見たくないか?」
「……」
イラーザの黒い瞳は、俺がでかい事をいう度、輝きを増していった。最後は星を映したみたいに光っていた。
その後は二人で具体的な手段を検討したんだ。
「スパッと切れないかな。地面から一瞬でも離れればしまえるんだけど?」
「そんな呪文はまだありません。でもいつか…。頑張ります」
「二階部分だけなら、今でも、もぎ取れそうなんだけどな…」
「それでいいんじゃないですか?」
「下がギザギザになっちゃって安定しないだろ。パクっても壊れるよ」
「トキオ様、重力を操るじゃないですか。後で逆さまにして、不要部を切ればいいんじゃ?」
「なるほど!」
そういう感じだった。
イラーザはうまくやってくれた。あんなに怯えていたのに。
後は俺の仕事だ。重量はともかく、これ程でっかいものを異次元収納にしまった事はなかった。
「よーし、やってみっか!」
「お願いします!」
ライムは何が起こるか知らない。ぼんやり見ていた。
先ずは東側だ。ぴょーんぴょーんと、身も心も軽く飛び跳ねて、二階の壁に手をつく。観客から見ると、ノミが飛んで行くような様だと思う。
『収納東』
建物が一階部分を残して一瞬で消えた。次は西側だ。二つに割ったので出す時も楽だろう。ぴょーんぴょーんと、同じリズムで飛び跳ね、小虫の様に壁に手をつく。
俺はあえて、観客席の方は見なかった。
『収納西』
両方とも忽然と消え去った。きっと彼らは、なにかの錯覚だと思うだろう。せいぜい瞬きするがいい。何度瞬いてみても戻らないけどな。
俺はイラーザとライムの隣に戻る。
さあ、どうかな。ドキドキしながら振り返った。
貴族も従者も兵隊もメイドも、皆んな口を開けていた。
全員が屋敷の跡を見て大口を開けている。しかもそのまま止まっている。現代美術館にある、なにかを現した彫像のようだ。
題名は驚き、だろう。すごい絵だった。
老若男女が同じ表情。背の高さも顔の大きさも違っているが、皆んな目が飛び出そうな、顎がはずれそうな顔だ。血の繋がった家族みたいに見える。
一階の土台部分だけを残して、館が忽然と消えたんだ。さっきまで見えなかった裏庭が見える。そちらにも何人か逃げた家人がいた。同じ顔だった。
カメラがあったら、めっちゃ取ってる。俺は小さく笑った。笑いの序章だ。
俺はイラーザの肩を叩いて、指さし、それを教える。
イラーザは彼らの、口を開いたままの姿をしばらく見ていた。
ふと、馬小屋方面からハエが飛んでくる。貴族の中の貴族、そんな隙のない服装をしていたマルーンの嫁さんの口に入った。歯の辺りでなにやらやっているが、嫁さんは微動だにしなかった。
「ブゥーーーっ!」
イラーザが、突然吹き出した。そして笑う。膝をつき腹を抱えて笑う。手で芝生をたたき転がりだして笑う。あんまり愉快に笑うので笑ってる俺にも笑いが移った。すでに、大分笑っていたのだが段階が上がった。
俺が涙を浮かべて笑うとイラーザも更に笑う。相乗効果でどんどん笑いのレベルが上がる。二人で腹を抱えて転がると、観客と同じような顔で、茫然としていたライムも半笑いになった。
イラーザの涙の後に枯れた芝がつく。俺の鼻の下にもついていた。ライムが爆笑する。奴らを見るとまだ止まっている。
とうとうライムも膝をついた。顔面から芝に落ちる。その様がおかしくて笑った。三人で転がり笑い続けた。
青々とした、マルーン邸自慢の芝生は転がると草の匂いも心地が良かった。回って見るのもおかしかった。その時々見えるんだ。
ありとあらゆる角度から、あいつらの顔がずっとそのままなのが。
信じられないくらい固まってたんだ。
腹が痛くなって、笑いをこらえようとそっぽ向いた所で、イラーザが肩をたたく。
彼女は、泣いてるのか笑ってるのかわからない顔になっていた。芝生がそこら中について、大変な事になっていたが指をさす、力強く。笑っているのに目が強い。
一体なんなんだ?
締まりの悪くなった口からよだれを垂らしそうになりながら、俺はそっちの方を見た。
大分すっきりした敷地に、小屋が幾つか残っているのが見えた。
イラーザ、恐ろしい子…。
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