第144話


 腰を掴んで止めようとしたが、それは自重した。一瞬掴んだんだけど、エロビデオみたいだったんだ。


 絵面が直球すぎるだろ。後ろから女の腰を捕まえるなんて。


 両足首を掴んで引き出そうとして…なんかもっと大変な絵面になった。

 

 カチャカチャ。


 なんと、俺の手が!ごく自然に動いていて驚いた。意志とは無関係に、俺は前かがみになり、自分のベルトを緩めようとしていた。


 暴れん坊の仕業だ。奴が俺を表に出せと命じ、体を乗っ取った。

 落ち着け、坊主!何してるんだ。こんな勢いとか、獣みたいのダメだろ。


 思い出せ、物語を!何でもして良いって言われて、本当にそれをした奴がいたか?マイフェイバリットにそんな奴がいたか?


 いない!


 指輪物語のサムはいったよ。主人公たちは諦めなかったって。


 そうだ、そんな男は人に語られないんだ!


 

 だが、俺は語り継がれたいわけじゃないし、性格の悪い男だ。


 そんなことで、暴れん坊は納得しない。チャレンジしろと。最初の男になれと。熱く語って来る。


 負けるものか!



「イラーザ、出て来いよ」


 俺は作戦を切り替えた。足はだめだ。タッチは無理。こんな状況で彼女の足を触ってはもう耐えられない。彼に乗っ取られてしまう。


 俺は床に座っている。片膝を立てて。そうだ、暴れん坊を隠している。


「トキオ様…」


 ベッドの下からイラーザが覗く。身体を捻って、暗がりから恨めしそうに俺を見ている。なんか…似合うなおまえ。かわいいぞ。 



 岩陰で獲物を待っているロックフィッシュのような様相に、俺は幾分か理性を取り戻した。ちゃんと考えよう。深呼吸する。


 俺はイラーザをどう思っているのか。何故こんなに戸惑っているのか?


 イラーザ…イラーザ…意外にもかわいかったが。そう…なのだが。

 そうだな…いきなり距離が近い。突っ走って来すぎだ。


 俺は気が小さいんだ。対人恐怖症の気もあるんだから。

 でも、こいつに妙に親近感があるのは事実だ。


 会話は無かったが、パーティで過ごした日々は長い。それにおまえの必死な姿を見た。高潔なんて、人に思った事はない。

 もっとこう……そうだ、この想いを大事に育てたい。



「俺は、おまえをもっと大事にしたいんだ」


 俺は呟くように語った。

 いい言葉だ。

 イラーザも感動してくれる。そう思っていた。思っていたが…。



 イラーザは、目を煌めかせながらほふく前進してくる。暗がりから目を光らせて這いずって来る。


「ハア、ハア…」


 緩んだ口が怖い。

 俺にピタリとピントを合わせる、単焦点レンズのような目が怖い。グルグルと回って見える。


「トキオ様…ハア、ハア」


 ベッドの暗闇から、肘を使ってグイグイ進んで来る。ヒレを振って寄って来るカサゴだ。捕食者のようなその姿に、いきり立っていた暴れん坊も坊やに戻る。


 丁度よかった。

 俺は勝った。森の奥方様のように勝った!



 正面を向けるようになった俺はひざまずき、蛇女のような動きの彼女の腕を取り、立たせた。


 紳士のようにできた。


 いつか必ずやる。だが、今日ではない。

 いつか必ずやる。だが、今日ではない。


『イラーザ、勘違いだぞ。俺は約束を盾に取ることもある感じ悪い男だが、それは二度と会わないだろう関係の時だ』

 

 そっと抱いて踵を返す。そして窓から飛び去る。これで行こう。


 恰好いい。惚れる。イラーザがカサゴとか、獣の様な時じゃなくて、恥じらいのある時に…。そんな予定だった。



 だが、現実とは想像とは違うものだ。


 正面に立つとイラーザは俺の首の所までしか背がかない。薄い背中に手を回し、そっと抱きしめてみた。


「イラーザ、勘違いだぞ。俺は約束を盾に取ることもある感じ悪い男だが、それは二度と会わないだろう関係の時だ」


 !…そこまではシミュレーション通りいけたのだが…。

 ふわっと柔らかったんだ。良い匂いもするんだ。


 あんなにささやかな膨らみでも如実にアッピールして来る。


 眠れる坊やが一瞬で起き上がった。

 イラーザを見ると俺を見上げていた。その大きな黒い目には、当たり前だが俺しか映っていなかった。


 獣のよう匂いは失せ、不安げに揺れている。超可愛い。


 今日かも知れない!

 今日かも知れない!


 コンコン!


「イラーザお姉様―!」



 俺はノックの音が鳴ったと同時に窓際に飛び、ライムの声がドアの向こうで発せられたと同時に部屋を飛び出した。

 

 夜に子供だけで来るわけがないからだ。屋根から覗くと案の定だ、眼下に立派な馬車が見える。

 

 この街では、俺は謎の男をきっちり通していくつもりだ。これ以上多くの人に認識されるわけにはいかない。



 暫く覗いていたのだがライムはなかなか帰らない。帰れよ。

 ライムの父ちゃんと思われる人物に帰るよう、促されているようだがベッドに掴まって離れない。必死か。

 

 そのうちイラーザは眠ってしまったようだ。彼らはそれを見て毛布を掛けると帰って行った。


 それはそうだ。彼女は疲れているだろう。

 俺も起こす気にはならなかった。今日の所はベッドを諦める。


 俺は森に小屋を出して眠った。

 


 やっぱり…今日じゃなかった。

 

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