第124話


 人里離れた森でイラーザを見つけた


 俺は、落ち葉にまみれて倒れている少女を、今一度覗き込んだ。

 やっぱりイラーザだ。間違いない。


「ガアアアーー!」


 彼女はボロボロだった。服はあちこち破れ、顔は泥だらけ傷だらけ、血まみれで髪型も全然違ったのに、よく一目でイラーザと認識できたと思う。


 実は好きだったのかな、こいつの事?


 いや違うよ。前髪のぱっつん具合だろう。これは大変な特徴だ。この娘のおでこは丸い。いつかパシッと叩いてやりたかった。

 

「ガアアアーーーーーン!」


 うるさいな、後ろでガーガーと。それは俺のだとでも言っているのか。

 俺は、まずは羽トカゲを始末することにした。

 

『超速』



 俺は、トカゲの背後に瞬時に回り、背に乗った。恰好良くだ。


 皆がノロノロ動く世界だ、俺はしがみついたりしない。片手をポケットに入れて立つ。いや、立っていた。


 驚いたトカゲが首を回す。気づくのが遅い。俺に食らいつこうとする。

 うん、だよね。背中に乗ったら食いつくもんだよね。


『氷塊』

 

 俺には、全てがスローモーションに見えているんだ。開けた口を狙うなんて、造作もないってヤツだ。


 敵にしてみたら、俺が呪文を作るのも尋常でない高速だし、放たれるのも異常に早いだろう。

 ちょっとは加減したつもりだが、敵さんは、口から首元まで氷塊で裂けてしまった。

 脊椎が粉々になっただろう亜翼竜は、声も上げず、ズシーンと音を立てて倒れた。

 


 さて、イラーザはと…思ったところで驚いた。


 走っていた。

 あの怪我で走るのか!


 感心した。俺だけが速い世界で、俺に走って見えるとは。

 元気の良い少女の、全力疾走は鑑賞に堪える。


 でも、よく見ると血と泥にまみれた彼女の姿は、パッと見た感じより遥かに凄惨だった。全然良いものじゃない。


 …一体どうしたんだ。


 

 彼女は岩陰に身を隠した。


 俺は、超速を解除してゆっくりと近づく。あんな切羽詰まった様子の少女を脅かしてはいけない。


「おーい。俺だよー」



 ゆっくりゆっくり動いて、返事がないので慎重に覗くと、イラーザはその場で気絶していた。

 一体、何が…この娘に起こったんだろう。

 

 不自然な体勢で岩にもたれている、意識の無い少女を見る。いや、少女に見える娘を見る、だな。


 傷だらけだった。頬に髪に裂けた小枝が刺さっている、カピカピに乾いた鼻血。血の固まった物が割れて粉々に張り付いている。

 打撲、裂傷、刺突痕に擦過傷。


 赤く、青く濃淡の違う色に染まっている。肌に残る傷跡は数え切れないが、俺の心を痛烈に打ったのは彼女の涙の跡だ。


 土で汚れた頬の、その部分だけが少し綺麗になっている。

 涙の通った痕跡…。

 


 いや、大袈裟だったな。

 俺はこの娘に心を打ったりしない。ちょっとチクッとしただけだ。


 そうだな。水を張っておいたバケツに、黄金虫が浮かんでいるのを発見した時に、若干哀れに思うくらいの気持ちだ。


『治癒』



 ストーカー体質で、粘着質で、印象の悪い娘だが、この状態で捨て置くほど俺も性格が悪くはない。


 怪我は一瞬ですべて消えた。小さな棘などは治癒の過程で押し出される。

 乾いた血の跡だけが残り、頬は奇麗な丸みを取りも出した。

 


 本気でホッとする。


 しばらく眺めていたが、彼女は一向に目覚める気配がない。怪我で気を失ったわけではないようだ。


 生も魂も尽き果てたのだろうか。

 そんな様だった。


 それほど過酷な道乗りだったのか。俺は辺りを見回した。他に人影は見当たらない。他に仲間はいないようだ。


 再びイラーザに目を向ける。


 彼女は不自然な体勢で身を横たえていたが、俺は一切触らなかった。直してやる気はなかった。


 だって、きっとセクハラで訴えられる事になる。あの怨念の籠っていそうな、ぐるぐるとした黒い目で、刺すように見られてはかなわない。

 視線が、ワインのコルク抜きのように捻り込んで刺さるだろう。


 隠し持った黒いノートに記録される事必至だ。

黒いノートは俺の妄想だ。見たことはない。



 絶対に、俺が触ったタイミングでこの娘は起きる。


 この世は、俺にはそういう風にできている。

 もう、とっくに知っている。絶対騙されたりしない。


 エロ心も発動させなかった。



 っていうか、彼女にはそんな想い全然無いし。

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