第123話
*隙間
岩窟が揺れる。何度も、何度も。
亜翼竜が怒りに任せて体当たりをしているのだろう。
イラーザは、はたと気が付いた。どうやら自分が気絶していた事に。
彼女が、意識を引き戻された理由は亜翼竜のアタックではない。背後からは聞こえないはずの物音だった。
暗闇ではっきりしないが、それは彼女が覚えたばかりのモンスターだった。
黒針蜥蜴である。闇に無数の赤い目が光っている。
目前に迫っていた群体に、咄嗟に炎の魔法を放った。しかし炎の魔法を放つには空間が狭すぎた。返って来た炎でイラーザ自身も炙られた。
『熱い!』
モンスターは黒焦げになったか、動かないだけなのか、立体に見えない黒い影は闇に沈んではっきりしない。
どうやら絶命させたようだ。彼らはもう動かない。
それで終われば良かったが、新たな赤い目が現れる。
細い洞窟の奥から、次々に赤い目が前進して来た。きりがなさそうだった。
そこでイラーザは、自分の足元のそれに気付き、背筋を凍らせる。
黒針蜥蜴に対応していた彼女は、いつの間にか亜翼竜の鉤爪の届く範囲にいたのだ。岩窟に残った爪痕をゆうに超えていた。
次から次へと援軍が現れる蜥蜴。執拗にイラーザを狙う亜翼竜。
このまま蜥蜴に対応を迫られたら、亜翼竜に搔き殺されてしまう。
気づくと岩窟外の音は止んでいた。
裂け目の入り口に、黄色く光る目が在った。獲物が行使した魔法に気付き、様子を伺っているのだろう。
イラーザは瞬時に判断した。今、翼竜から逃げたら結果は見えてる。死ぬわけにはいかないのだ。
イラーザは、黄色く光る目の方に走った。
攻撃の意図をとった亜翼竜は避けようとする。だがイラーザは突進していた。右手に魔力を纏いながら。
「ファイアーアロー!」
イラーザの魔法は亜翼竜の顔面を捉えた。炎に焼かれる直前に、亜翼竜は目を閉じ、硬い瞼で目を守る。
黒焦げになった瞼が開く。黄色い目は健在だった。亜翼竜は目を守った。炎に眩んだ目が視力を取り戻し、翼竜が辺りを見回す。
イラーザは彼の前をとっくに駆け抜けていた。
あれだけ焼けば、きっと鼻が利かなくなるはず。今度振り切ればきっと逃げられる。彼女は希望を想った。
息せき切って走るイラーザの瞳に、山の峰が見えた。彼女の周りは真っ暗だが空は明るくなりつつあった。
群青の空に、黒く山頂が形を見せそびえていた。
私は、何としてもあの山を越える。
残念ながら、翼竜の追跡は続いた。
執拗にイラーザを追って来た。
木にぶつかって獲物を見失ってしまう、そんな同じ轍を踏まないようにか、ある程度距離を取って追いかけて来ていた。
それは、イラーザが弱るのを待っているようだった。
一体、私が何をしたって言うんですか!
夜空を焼いた…あの炎。
最初に現れて、ストリップを邪魔してくれたことに、イラーザは大変感謝していた。だが今は、この惨事をひき起こしたのだろう原因と呪った。
一体、誰があんな…。
イラーザは空気の流れが変わったのを感じた。暗闇を闇雲に走っているわけではない。全神経を集中していた。地形を肌で感じ取っていたのだ。
それでも先程は、崖から落ちてしまったのだが、今回は読み取れた。
落ち葉が大量に重なった地面を蹴り、斜面に這うように伸びた木に駆け上がった。三歩までは足で登れる。そう願った通りに出来た。
その先は、勢いそのままに体を投げ出して幹に抱き付く。ズザザと顔の皮膚が樹皮に削られ、膝上を激しく擦った。
痛みに顔をしかめるが、イラーザは樹上で身体を固定できた。
ここは風の流れが強い、樹木の影も少なく、突然立ち消えている。
崖なのだ。
先程より落差が大きい。イラーザは亜翼竜の転落を願った。
あんたは落ちてください!
またもや願いは叶わなかった。
彼は鉤爪の付いた足を広げ、羽を半分失った翼でなんとかブレーキをかける。木々の折れる音、土が吹き飛ばされる音が響き、亜翼竜は止まった。
先は崖、後ろには怒れる亜翼竜。詰んでいる。
でも、イラーザは諦めなかった。みっともなく幹に取り付き、必死の形相で前進した。先に行っても何も無い。わかってはいたが、身体が勝手に進んだ。
亜翼竜は、彼女が登った木に足をかける。だが、彼が登れるほど幹は太くない。亜翼竜は後戻りした。
一緒に折り落としてしまって、しぶとい獲物であるイラーザを失うのが嫌だったのだろう。翼の鉤爪引っ掛け、グラグラ揺らす。
幹の揺れは先に行く端程大きくなる。イラーザは吹き飛ばされないよう必死で縋り付いた。
幹から離されそうになる力と、逆に幹に向かう反動が生じ、額を何度も幹に打ち付けさせられた。血が舞い、落ち葉まみれの黒髪が躍った。
だが、彼女は手を離さなかった。
動きのなくなったイラーザの様子を翼竜が伺う。匂いを嗅ぐように、彼女に頭を近づけた。
イラーザは用意していた魔法を、もう一度鼻面にお見舞いした。
亜翼竜は、またも不意をつかれてしまった怒りに、翼を強く振った。力任せの攻撃が木の幹に当たり、木は叩き折れる。
イラーザは振り飛ばされた。
跳ね上げられ、放物線の最高地点に達した彼女は、小枝を掴んだ。
諦めなかった。
細い、本当に細い小枝だった。
だが諦めずつかんだ細枝は、釣り竿のようにしなり、思いの外、彼女の位置を動かしてくれた。
それがポキリと折れた時には、日を少しでも浴びようと谷に張り巡らされた、他の木の枝葉に身体が届いていた。
体中を激しく打ち付けたが、彼女は痛みに怯むことなく、新たに枝を掴んでいた。
手の甲にぬるりと血が流れる。彼女の膝も顔も血濡れていた。
その木の根の部分には、斜面ではあるが足場があった。亜翼竜は怒り狂い、尾を激しく振って攻撃する。
「ガアアァァーーーーーン!」
亜翼竜はイラーザと目が合うと叫んだ。
「わああああーーーーーーーーー!」
イラーザも負けじと叫び返した。全然負けていなかった。
食う気だ。こいつは私の身体を口に入れてバリバリと砕く気だ。それしか考えていないんだ。
馬鹿野郎が、殺られない。おまえなんかに食われたりしない。私を諦めないなら殺してやる。私が食ってやる!
イラーザは呪文を構築し、放った。樹上を駆け、飛んで戦った。
そして、そこにトキオが現れたのだ。
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