第120話
*岩山
イラーザの命令通り、固く目を閉じていたライムは全くの不意を突かれた。まるで抵抗できずに、地面に倒れた。
耳に当てていた手を自身の、防御に回すことさえもできなかった。
さしもの悪漢たちも絶句した。
あの流れからの、こんな展開を誰も予想してはいなかった。
自分たちを卑怯者と糾弾していた、血の熱い少女のやる事じゃなかった。
「うぅ…」
転がり、うめき声を上げるライム。すぐには立ち上がれない、その様から間違いなくどこか負傷したようだ。
こいつなんてことをしやがる。俺たちは商品に怪我させる気はなかった。そう思った悪漢達が目を向けた時には、イラーザの手順は済んでいた。
『解呪』
「な?」
素早い動きをするアクスの目には見えた。彼女の魔法を封じていた魔封じのリングが砕けて落ちるのを。
それがイラーザの手首から地面に落ちる前に、彼は行動しようとした。
だが、前方に転がっていたライムが邪魔になっている。
それはイラーザの計算通りだった。一瞬、足の置き場所を探し、踏み出すのに一歩遅れてしまう。
「「ファイアーアーク!」」
イラーザは両手から魔法をあっさりと放った。二重詠唱である。
呪文の構成も速かった。彼女は魔法使いとして明らかに初級を脱していた。彼らがいう覚醒者に間違いなかった。
三日月のように弧を描いた、二つの炎が観客達を焼いた。
「ぐわあっ…」「なんで魔法が…」
「ぎゃあああっ」「どうなってるー!」
爆発的に燃え広がる火炎の光源が、辺りをそれまで占めていた焚火の光にとって代わる。
暗闇に慣れた男たちの目には鮮烈に眩しかった。
見事に隙をつき、二重詠唱に成功したイラーザの魔法だったが、五人の男を同時に戦闘不能にするほどの威力はなかった。
三人が炎に包まれ、地面を転がったが、二人はほぼ無事だった。
肩口についた火を手で払う朱色の頭巾、頑強な身体のポールともう一人は
頭を焼かれて残り少ない髪をちりちりにされた、大男もダルクだった。
イラーザは冷静に判断ができていた。身軽い動きをする奴を先に狙って倒したのだ。
広がったリボンを指から放すと風に流れる。
役目を果たしてぼろぼろになった紙が、かさりと小さな音を立てながら空を舞っていった。
「解呪のスクロールです。あなた達なんか、最初から信用してませんよ?」
イラーザは細めたままの瞳で、極めて冷淡に言い切った。
暗闇の森の際に彼女は立っていた。
片側の髪だけが解けている、アンバランスな様のイラーザは、何か闇の神のように見えた。
彼女は、すっと手を伸ばし、もう片方のリボンも解いた。髪が解けて頬の前に長い黒髪が落ちて来る。
彼女の黒髪は夜の森に馴染んでいた。
「ただ、ここまでやるとは思っていなかった。迂闊でした」
「おい、待てー!」
ポールが怒鳴る。
イラーザが片手で振ると、折りたたまれた紙が広がり、ぼんやり光って魔法が発動した。
『暗闇』
イラーザが一歩下がると、背後の闇に飲み込まれるように包まれ、彼女の姿は全く見えなくなった。
ポールとダルクは、そのまま彼女が消えた藪に掴みかかる。足元の小枝をバリバリと散らすが、イラーザは掴めなかった。
「ちっ、まずいぞー!どこ行ったー!」
「くっそが!どこだ、この女ー!」
炎に包まれていたアクスたちは自力で火を消し止め、ポーションを使用し、ダメージの回復をはかっていた。
「ハア、ハア、イラーザの奴…」
「クッソがー!」
魔法で作り出された炎には燃料がないため、割と消火しやすいという特性がある。威力にもよるのだが、森林火災などは滅多に起きない。
先程イラーザが焚火を利用としたのはこのためである。
「ちょっと待ちなよ、イラーザ!君はライムを本当に置いて行くのかい!」
アクスは、地面に伏したままのライムの襟首を掴んで引き起こす。
「この子がこの後どうなるか、本当にわかってるの!」
「お姉ちゃん…」
乱暴に引き起こされ、首が締まった苦しそうな声をライムは漏らした。
ポールとダルクは、先程から暗がりの茂みを当てずっぽうに探している。
アクスは、森に投げた言葉の返答に耳を澄ます。
「…どうでもいいです」
イラーザの声が聞こえたのは、男達が探していた場所とは全然違う所だった。男達は、自分達が明後日の方向を探していたことに気付く。
「おいおいー!」
ポールが駆け寄るが、まるで居場所がつかめない。太い腕は空を切る。
「そんな天然、勝手にすりゃいいです。
実は大っ嫌いなんですよ、そいつみたいなのは。私は孤児です。人の物をかすめ取って生きて来たんですよ」
また位置が変わっている。
アクスが素早さを生かし、闇に手を伸ばすがなにもつかめない。
「でもね、街に戻って、怒りの部隊をつれて来てあげます。それまで皆さん。せいぜい愉しんでください」
今度の声はビックリするほど遠ざかっていた。
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