第118話


*岩山

 

 亜翼竜の断末魔の声が聞こえ、辺りはやにわに静かになった。



 どうやら男達は翼竜を倒したようだ。

 瀕死でなければ、空を飛べれば、彼らに倒されることはまずないだろう。

 


「へっへ、お姉ちゃん、ここにいたのか!」


 何もする間はなかったが、イラーザは逃走を図らなかった。彼女たちを草むらから見つけたのはダルクだった。


 イラーザは、声にならぬ言葉を吐いた。

『このまま見つからなかったら、やらなくて済んだのに…』


 ダルクは乱暴にイラーザを引き起こすと、片肘で挟むよう絞めあげて顔を向けさせた。


「あの時はよ、やってくれたよなー、姉ちゃん?」


 そのままイラーザの頭を自分の胸に押し付け、小さな顎をつかんで顔を変形させる。

「うう…」

「ぐふっふっふ…。どーだ、おい」

 亜翼竜の血に濡れた斧を、目前に持ちあげてちらつかせる。


「おい、なんとか言ったらどうだ、姉ちゃん。あの時みたく威勢のいいとこ見せろよ?あーん、なんとか言えよ!」


「ごめんなさい…」

「噛みついてみろよ、おい!」


「お願い、許して…酷いことしないでください」


 イラーザの真っ黒な瞳に焚火の明かりが映る。目じりから涙がポロリと溢れる。

 ダルクは脂ぎった頬を盛り上げ笑みをつくる。


「ぶはっはっはっは、なんだよ、もうビビっちまったのか?

 あの強気はどうした。つまんねえな、おい!」


 ダルクは口をとがらせて、イラーザの唇に吸いつこうとする。


「ちょ、やめろーー!」

「ぐっふふ、抵抗すんなよ。そうだ、俺が噛んでやろうかぁ?

 その小さな鼻とか、どーだぁ?」

 


 後から、その場に駆け付けたポールが、残念そうに声をかける。

「おいおいダルク…台無しじゃないかー」


 ポールが目を向けているのは、イラーザの足元にいるライムだった。草むらに座ったまま呆然としている。


 天然だが、勘の悪い子ではない。

 イラーザといたようだし、もう事実を知ってしまっただろう。ポールはそう判断した。


 それに今のダルクの所業を見ている。これが仲間と知れてはどうにも誤魔化しきれないだろう。



 ライムは現に、夕飯前までのように純真無垢な瞳を、ポールに向けて来てはいない。モンスターを倒してくれてありがとうって顔ではなかった。


 ポールの後に続いていたアクスも、同じ判断をした。彼は思ったのだろう。もう仮面をつける必要はないと。

 

 アクスの口が横に伸びる。歪んだ笑いを浮かべ、近づいた。怯えた瞳のライムに顔を寄せる。

 今が、彼が愉しみにしていた発表会のつもりなのだろう。


「ライム、ごめんね。僕たちね、悪い人だったんだよ?」


「…アクスお兄ちゃん。私を、私たちを…誰かに、売ろうとしてるの?」


「なんだ、聞いちゃってたんだ?」

「そんな…やだ…信じていたのに」


「馬鹿だなあ、ライム。君が信じたんじゃないよ。僕が信じさせたのさ」


 アクスは座って彼女と視線を合わせた。顔を左右に傾けライムの瞳を覗き込む。


「なあ、ライムは、なんでここに来たと思う?」

「私は皆のために…」


「皆の役に立つ、それな、僕が君に植え付けたんだよ?

 選ばれた人間は施さなきゃいけない。それが当たり前だってね」


 ライムは目を見開く。キスをしようとする恋人たち程、アクスは顔を寄せていた。


 燻っていた焚き火に火がついた。狂気に満ちたアクスの顔を半分照らす。


「君の前で僕は、腹すかせた子供にパンを買ってあげたよね。

 優しい人だって思ったでしょ?

 君にも聞いたよね、お腹は空いていないかって?」

 

 ライムは、醜悪に歪んでしまった彼の顔を見ていられずに目を逸らした。

 アクスは腕をつかんで彼女を立たせる。ライムは膝にうまく力が入らないのか、よろよろと揺れる。


「言ったよね、君は空いてないって?」


 アクスは心を澄まし、在りし日の優しい笑顔をライムに向けるが、彼女にはもう同じようには見えなかった。



 ジムと、トーマもニヤニヤと近くに寄って来ていた。ポールもダルクも興味深げに見ている。全員でアクスのネタバレ発表会を見学していた。



「そうそう、広場にいたあのワンちゃん、突然苦しみだしたでしょ。

 あれ、僕が毒、食べさせたんだよ?」


「そんな…嘘…お兄ちゃんなんで?なんで、コロに毒を食べさせたの?」


「それはね、街で有名なギフト持ちの少女に、活躍の場を与えるためだよ。

 薬草を取りに行く護衛をするためにだよ。


 親切で優しいお兄ちゃんだと思ったでしょ?

 両親の反対を押し切って危険な旅路に向かう程にさ!」

 


 ライムは目を見開き、その時の両親を回想する。

 このクエストに出発する賛同を、両親から得た日の事である。


 自分そっくりの母親が、迷いもなく微笑む。父親も素敵な笑顔だった。


「ライム、お父さんはおまえを誇りに思うよ」


 

 愕然と項垂れたライム。涙が頬を伝い地面に落ちた。

 涙は冷え切った頬に熱かった。彼女はそれを感じる自分に驚いた。


 ぽたぽたと音を立て落ちて行く。


「お兄ちゃんは私が、そんなに…憎かったの?」

「いや、君は僕には金貨にしか見えなかったんだ。今だって大好きだよ?」


「わっはっはひどいな、アクスはー!」

「俺も大好きだぜ、ライム!」


「ぐふふふ…」


 

 その時、ライムに対する死刑宣告を見物して、弛緩したダルクの腕をイラーザが抜けだした。


 ライムをアクスの手から奪い取る。


「あなた達は何がしたいんですか。これはまだ子供です。こんな女の子を貶めて、何か楽しいんですか?」

 

「めっちゃ楽しいよ!!」



 アクスははっきりと言った。本当に楽しそうである。朗らかな笑顔を見せる。得意気に語る。


「わからないかな。映画がないこの世で、一番の娯楽は人なんだよ?」


「おー、それなー。マスターが言ってた奴だなー」

「俺、わかんねーんだけど、その映画ってなんなんだ?」


「俺たちが知る必要はないってさー」

 


 いろいろと地球に似た事物の存在する世界だが、映画という言葉は普通には存在していない。

 しかし、この時のイラーザには、その言葉は聞こえていなかった。



 彼女はそんな事より、千載一遇のチャンスに懸けていた。今は、それだけを狙っていたのだ。

 



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