第117話

 *岩山


「なんだ!」

「どうした」

「なんなんだあれは!」


 夜空を焦がす爆炎に男たちは警戒心を取り戻した。

 マグカップを片付け、大事な商品を片付けにかかる。アクスが脱ぎ捨てられた洋服を集め、イラーザに押し付ける。寝屋の方に顎を回して促した。


「イラーザ。逃げられるとか、思わないでね?」

 


 闇に浮かんでしまう焚火を消そうと、慌てて蹴散らす残りの男達。


 夜空に、群れ成した翼を持つものが時折浮かぶ。大きな炎に追われているようだ。

 様子を見ていた五人には、その生き物は小さく見えた。


 それは、小さなものに見えるほど遠かったのだ。

 逃れた一匹が近付くにつれ、少しずつ大きくなっていたが、背景の炎が消えると、どこを飛んでいるのかわからなくなった。


 

 警戒を続ける男達の直近で、いきなり木が折れる音が鳴った。


 続いて雷のように、樹木がなぎ倒される衝撃音が聞こえる。そして一陣の風が通りすぎた。


 羽の一部を失った亜翼竜が、バランスを崩しながらイラーザたちの隠れている岩壁に激突した。

 岩が砕け、粉々になってバラバラと落ちて来る。


 岩盤が崩れたら埋まってしまう。慌てて服を身に着けていたイラーザは、熟睡しているライムを起こした。


 いや、起こそうとした。


 彼女は、ライムは起きていたのだ。枕代わりの布袋が涙でびしょびしょに濡れていた。

 それでイラーザは気づいた。


 彼女は悲嘆に満ちた瞳を向けていた。彼女は一部始終を見ていた。さっきイラーザが目の端で見たものはそうだったのだ。


 ライムは全てを聞いていたのだろう。

 この天然、私のストリップショーを眺めている気だったのか?

 止めも助けもせず。酷い…。


 心を悪意の方に傾けて見たが、さすがのイラーザでも無理だった。

 この子は十二歳、正真正銘の子供だ。親元を離れてみたのも初めてのような子供なのだ。


 よく頑張った方だ。

 暴れて、嘆いて、切れて、彼らを非難しない、問い詰めない胆力がこの娘にはあった。


 じっと涙だけを流し、我慢していたんだ。それと知られなかったら、チャンスはあるかもと…。


 イラーザは彼女に闇の才能を見た。

  自分がそんな奴だとは思わなかったが、イラーザは極々自然にライムを抱きしめていた。

 温もりと、声を潜めた嗚咽がイラーザの身体に伝わる。


 イラーザの中では、大人として少女を慰める様子のつもりでいたが、実際には傷ついた姉を慰める妹のようにしか見えなかった。

 


 亜翼竜は、高空から落ちて岩壁に衝突し、大怪我を負っていた。

 しかし、周囲に人間が存在することを察知すると、狂ったように暴れた。


 まるでそこにいた人間たちに、空から叩き落されたとでもいうように。

 大して気配を探ることもなく突進し、人がいようがいまいが構わず、辺りを破壊した。


 男達も、散り散りに逃げるしかなかった。最後まで彼女らを捕捉していたアクスも、広場に立っている所を亜翼竜に狙われた。

 


 尾の薙ぎ払いを身軽さでかわし、地面を転がり立ち上がるとイラーザ達は視界から消えていた。


 辺りには、燻り続ける薪が散らばっている。それらから、ちらちらと時折炎が湧き出していた。



 モンスターの襲撃を天の助けとして、姿を隠すことはできたイラーザたちだったが。何のことはない、彼女たちは岩壁から逃れ、茂みに飛び込んだだけだった。


 ただ、それだけの事で、イラーザとライムの息は上がってしまっていた。


 草が頬に当たる。ぼんやりとした視界。絵空事のように見える争い。遠い物音。自分の物なのに他人のように操りにくい身体。


 イラーザは暫く草むらに身を横たえていたが、肘をついてなんとか体を起こした。元凶の左手のリングを見やる。


「これさえ、外せば…」


 手を自らの後頭部のリボンに回す。


 身体を捩じったので、ライムが視界にはいった。彼女は横で仰向けに寝転がっていた。

 胸の上げ下げが、苦しい呼吸を語っていた。彼女はイラーザをずっと見ていたようだ。


 イラーザは考えた。

 この子を連れて逃げるのは不可能。私は綺麗事を排して生きてきました。

決断…しなくては。


 どう考えても置いて行くしかない。決断する。分かりきった事に時間をかけるのは愚か者のする事です。


 置いて行くしか…ない。


 置いて…。

 


「逃げて…。イラーザさん…だけなら逃げられるんでしょ…」


 

 ライムの口から呟くような言葉がこぼれた。


 ここに来ても天然ですね。

 途端にイラーザは冷静になった。イラーザは醒めた目を向ける。



「その意味、本当にわかっていますか?」


 ライムは頷いた。コクリ。ほんの少しの頷きだった。

 暫く二人は見つめ合った。イラーザは真意を測るため、いつもならまともに合わすことのない、他人の目をじっと見た。


 暗がりで見えづらいが、昼に見た深緑の瞳を脳裏に浮かべる。晴れた日の湖の煌めきのような眼だった。


 男達の叫ぶような声や、木々が薙ぎ倒され地面が揺れても、亜翼竜の唸り声が至近で轟いても、ライムの瞳は揺るがなかった。

 


「わかりました了解です」


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