第103話

*バラック

 

 都市壁の外側にそれはあった。海風に煽られる場所で、よくぞここまで建物が耐えている。そう思わせる建物だった。


 寄せ集めの端材で、都市壁の一部を利用して作られている。今すぐに、風で吹き飛んでしまっても誰も不思議に思わないだろう。


 その周辺にも似たようなバラックがいくつか建っている。足元に迫る絶崖。誰も所有権を主張しない場所に、弱者が集まっているのだろう。



 イラーザはこの間、ヨウシ市に大分滞在していたがこの場所を知らなかった。


 いや、気がつかないふりをしていただけ…。

 イラーザは何故か自分を責めた。

 

 建物の中では、痩せて気力のない子供たちが、窓もない室内でぼんやりしていた。


 イラーザは顔色を曇らせる。知っている。見たことがある。実は彼女もこういうところで暮らしていた経験があるのだ。


「おーい。アランはいないかー?」

 ポールが大きな紙袋を抱えて声をかけた。途中でパンを買ってきたのだ。無気力に膝を抱えていた子供が薄茶の紙袋に目を向ける。


「パンだ!」

「パン!」

「パンなの?」

「おじちゃんくれるの!」


「おじちゃんじゃないだろー。ポールだよ。あっはっはっは、ほら慌てるなー」

 

「ねえ、アランはどこ行った?」

 アクスも、同じ人物を探すが、子供らの目にはパンしか見えていないようだ。


 室内に入ったイラーザは懐かしい匂いを嗅ぐ。日陰の、かび臭くすえた匂い。


 嫌な匂いだ。過去が蘇って来るようで眉をひそめた。あの頃には嫌な思い出しかない。そう思ったのだが、すぐに考えを改める。


 懐かしい喜びを目にした。


 痩せて、薄汚れているが夢中でパンを口にする子供達。

 薄暗い室内には喜びがあふれていた。


 イラーザの目には、笑顔の子供とパンがどちらも金色に輝いて見えていた。

 


 ふと彼女は気付く。あのガキがいない。

 

 彼女が振り返るとライムは室内にはいなかった。戸口から覗くと遠くにいた。隣の建物の横に立っていた。不審に思ったイラーザだが、とりあえずは気に留めなかった。


「アランという人が、この小屋の園長さんなのですか?」

「はっはっは、イラーザ。アランは子供だよー」

「そうだよ。彼らと大差ないんだ。でもこの中のリーダーなのかな」


 ポールもアクスも、子供たちの口の中に次々とパンが消えて行くのを満足気に見つめていた。言葉はなかった。


 イラーザはその横顔を見て、同じ気持ちでいるような気がした。


 お腹が空いている時は、誰が持ってきたパンでも本当においしかった。

 彼らがこんな気持ちで見ていたのかと思うと、心のささくれが取れる思いがする。


「おい、おい、アランの分も残しておけよー!」

 


 イラーザは二人を残し、一人小屋を出た。崖っぷちなので外の風は強かった。


 風に煽られ、海のように波打つ緑の草原でライムは一人立っていた。

 白いブラウス。こげ茶のジャンパースカートを翻し、薄緑の髪を風に弄られ、斜めになりそうに揺れていた。


「どうしたんですか。あなたはここに来るのを喜んでいませんでしたか?」


 ライムには珍しく、自信無げな姿だった。引き結び気味の口元に、小さな笑みを作ってはいたが目を逸らしている。


「私は奇麗な服を着てるから…怒るかもしれないから…」


 イラーザは、風で煽られ、顔にかかる髪束を肩の後ろに回した。


 わかってはいるんですね。自分が恨まれ、妬まれる存在だと。

 奇麗なおべべ着て、自分は数倍美味しいものを食べ、両親に温かく守られた家で過ごし、私は弱者に施してあげていますなんて態度なら許せなかった。


 ちっ…なんでこのガキは泣きそうなんですか。

 

「誰からもらったパンでも…美味しいものですよ」

 

 イラーザは驚いた。


 滅多にない優しいことを言ってしまった。

 途端に彼女は後悔した。イラーザは、すぐに打ち消すべく何か皮肉めいた言葉を急いで探す。

 

「…本当!」


 パッと輝いた、ひまわりのように単純な笑顔がイラーザを止めた。

 ライムの、子供らしく照れも臆面もない表情に黒い考えが霧散した。


 この子は本気なんだ。それがいつ変わる物かわからないけど、今この子を占めてる心は本物なんだ。橋を渡りたい。彼らの為に何かしたいんだ。

 

「眩しい。眩しいです。ちょっと、向こうに…」


 きっちり、皮肉を口に出したイラーザだったが、ライムが目の前に立つ。


 イラーザが海面からの反射を、眩しがって言った言葉と勘違いした彼女は、自分の身で彼女を隠した。ライムの方が、五センチ程背が高かった。


「これでどう?」

「……」


 イラーザは眩しそうに眉を顰めライムを見る。

 何を嬉しそうにこのバカめ……仕方ない。心の呼び名を、ガキから天然にランクアップしてやりましょう。

 


 不意にワッと歓声が上がった。二人が目を向けると、彼らはいつの間にか屋外に出て来ていた。子供たちと、ポールとアクス、皆で誰かを囲んでいる。


 中心にいたのは男の子だ。歳は十くらいだろうか。肩にロープを背負い、手には籠を持っている。籠の中には卵が入っていた。


 イラーザは海に向かう絶壁を見て理解した。彼はロープを使い、崖を降りて鳥の卵を取っていたのだろう。


 子供が、危険極まりないです。彼がアランですか。


 アランは、ポールに背を叩かれ褒められているようだ。得意気に鼻の下をこする。

 イラーザは日に焼けた、長髪の少年を見る。


 恰好良いなおまえ…。トキオさんみたいだ。


 ちなみに彼とトキオはまるで似ていない。トキオは普通だ。彼は男前である。

 

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