第96話



*ヨウシ郊外


 二日後、イラーザは一人で街の外へ向かった。


 この辺りで獣人の暮らす村は、遥か山の向こうだという。交易もなく、公共の交通手段は一切ないようだ。


 しかも、彼らの村のすぐ先は、魔獣が支配する未開の地であるという。

 だが、仙人の洞窟と呼ばれるトンネルが山を通り抜けており、そこを抜ければそれ程困難な道のりではないという。


 洞窟辺りの通行は冒険者に案内を頼むのが常識となっているようだ。彼らに支払う報酬は決して安いものではないので、ヨウシの住民は基本誰も近づかない。


イラーザの聞き込みは既に終了していた。トキオが連れ去った子供も、その獣人の村から来たとされている。



 一人街道を歩くイラーザ。もちろん彼女も、このまま出立する気はなかった。

 少し、様子を見ておきたかったのだ。どれほどの山を越えるのか、その全貌を少しでも把握しておこうと思ったわけである。


 一人で街の外に出たといっても、都市壁の外である。いきなり未開の荒れ地になるわけではない。壁外にも住民の家は点在しており、畑も牧場もある。


 見た目はともかく、十八歳の冒険者であるイラーザにとって、それ程危険な行程ではないはずだった。


 小さな鞄を肩に下げ、これ見よがしに杖を肩にかけて歩く。魔法使いとわかれば迂闊な阿呆も近づいては来ない。彼女はそう思っていた。


 イラーザは、件の洞窟へと続く、山脈への入り口に向かう。

 ギルドで護衛のパーティを雇うとして、どのレベルと行くべきなのか把握する為に訪れたのである。



 しかし、イラーザが一人で街道を歩いていると、出会う馬車や、通行人が足を止めて心配そうに声をかけて来る。


「お嬢ちゃん、本当に大丈夫かいね?」

「…大丈夫です。ありがとうございます」


 遠ざかって行く、心配顔の親切な通行人達に、イラーザは笑顔で手を振るが、心で述べている言葉は違った。


「うざいんですよ、大きなお世話です。なんで年齢を言うと、いちいち私の胸元を見るんですか。杖の方を見なさい。魔法使いを侮ると焼き殺しますよ」


 しっかりと声に出ていた。彼らに聞こえはしなかったが。

 彼女は、他人に対する悪感情を元に戻した。やはり宿敵とする。


 イラーザが遠くから臨んだときは、あの山脈ですか、と視認できていたのだが近づくほどに、辺りの樹木が邪魔になって見えなくなってきた。


 彼女は己の背の低さを呪った。

 街の人たちに教わったその分岐辺りでは、更に樹木が生い茂り見晴らしがまるでなかった。ここで引き返したら何をしに来たかわからない。通行税の無駄だ。


 仕方なくイラーザは少し先に進んだ。

 その辺りは、人の行き来がまるで無いようで、道は草に侵食され、獣道といった様相を呈している。


 でも見渡しの角度が良くなったようで、山脈の峰が見えた。少し白く霞んで見える程距離があった。

 噂より大分遠い。あの峰の反対側か……日帰りはとても無理ですね。

 しかも、人気がまるでない。信用できる冒険者を雇わねばいけません。

 


 ガサリ。


 藪から聞こえた足音を聞いた瞬間に、イラーザは後悔した。ほんの少しだからと、人気のない場所に一人で足を踏み入れてしまったことに。


 彼女が目を向けた所にいたのは、いかにもな様相の男だった。

 

 子供に、山賊の絵を描いてみてと言えば描かれるだろう、スタンダードな山賊だった。少し縮れた赤茶の毛。禿げあがった額には派手な古傷が刻まれた大男だった。

 白目の多いぎょろりとした目でイラーザを睨め上げる。


 顔の下半分を布で隠していたが、上半分だけで十分すぎる程に悪人を語っていた。

 彼の悪意を削ぐために、こんにちは~と声をかけてみるのも、はばられるほど怪しい人物だった。


 イラーザは即座に回転し、本道に向け走って返す。


 だが、挟み撃ちに気づき急ブレーキをかけた。靴が砂利を飛ばす音が立つ。


「ひっひっヒュっ…」



 狡猾そうな目をした小男が、息が漏れるような不思議な笑い声をあげ、行く道を塞いでいた。

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