第83話

*シカランジ城


 居室の形は長方形で、石壁が剥き出しの無骨な造りだ。

 ただし天井は高く、部屋は広い。三十人程度のパーティなら難なくこなせそうだ。


 大きな梁のある木製の天井には、燻んだブロンズの燭台が四基下がっている。縦型の格子窓からは、午前の清らかな光が斜めに差していた。


 長大なテーブルには純白のクロスが掛けてあり、窓から射す光を浴びて白く輝いていた。室内には三人の人間がいたが、メイドは今しがた丁寧なお辞儀をして出て行った。


 朝の光が、眩く満ちた空間に二人の銀色が、テーブルに着いている。

 窓際にいた銀髪銀眼の青年が口を開いた。


「アリアーデ、本当に何事もなかったのか?」


 青年はアリアーデの兄である。その顔は妹と同じで人形のように整っているが、彼女と違って無表情というわけではなかった。今は柔和な微笑みを浮かべている。


 表情だけではなく、アリアーデより彼は幾分優しげな顔を持っている。髪は男としては長く、肩まで届かない程度まである。ほぼアリアーデと同じほどだが、彼の髪はストレートだ。

 前髪は眉毛が少し隠れる程で、自然に切り揃えられている。


「兄上、先程からそう申し上げております。あ奴は逃げました」


 アリアーデは人形のように無表情だ。

 テーブルクロスの反射光が下から彼女を柔らかく照らしている。柔らかにウエーブが掛かった白銀の髪は朝日を浴びて雪のように白く輝いている。


 同じく光を受け、柔らかく浮き立つくすみのない白い肌。色の淡い唇。何もかも白いようだが、髪が作り出す影、顔の形が作り出す影にはほんのりと紅味がさしている。


 この部屋で午前中に見る、この妹の姿がツェールは好きだった。


 我が姫…正しく妖精のようだ。我が妹ながら本当に美しい。


 アリアーデ、私の不在の内に、お前のその姿が失われないで本当に良かった。

 美、これはお前のために存在する言葉だよ。

 さて…。


 ツェールは心の賛美を切り上げて本題に入る。


「アリアーデ、何故、彼が逃げたのかわかるのか?」


「さあ」


 アリアーデは機械仕掛けのように、抑揚なく答える。


「お前、どこかをもぎり取ってしまったのではないのか?」


「失礼な。どんな発想ですか。私はモンスターではないのですよ」



 兄は鋭い突っ込みを入れたわけだが、いよいよ無表情で返された。

 ツェールは思う。あれ、おかしいな。



 ツェールは昨夜遅くに城に戻った。侍従や騎士長から報告を受け、敵が去った事由を知る。当面の危機は回避できたとはいえ、交戦状態である。


 課題は山積みだったが、彼が気を取られたのは妹の事だった。

 我が姫に、我が冷血の妖精に命が灯っている。第一印象でそう思った。


 それは彼女が、この領の救世主となったトキオなる男との関わりを話している時に現れた。その変容は、ツェールにしかわからない本当に微妙な変化だった。


 目がコンマ一ミリ多く開いてるとか。口元が笑みを作っているような気がする、気がするとか、そんな程度のものではあった。

 だが彼は、時間を作りだし、妹に生まれたその兆しを調べようと考えていた。



「彼は、トキオ殿は、お前を攫いに来たのだよな。なぜ逃げる?」


「さあ」


 ツェールは、いつも通り淡々と話す彼女の様に疑問を持った。

 あれ、これは…。もしや、わざと淡々と話しているのかも知れない。


 アリアーデに、妹に限って、そんな会話スキルを使うはずはない。

 そう思って見逃していたのかも知れない。これは淡々と話しているのではなく、淡々と見せている?

 もしや妹に、照れが生まれたのだろうか。これは事件だ。


「ところでアリアーデは、トキオ殿をどう思っている?」


「とても面白い男で、私をドキドキさせます。でも、少し意地悪なところがあります」


「そうか…」


 ツェールは再考する。

 あれ、照れがない。多分に好意がちりばめられた言葉だった。照れのある人間がこんな風に語るだろうか。


「恐ろしいほどに強く、時に冷淡な行動をしますが、私にはわかるのです。

 彼の性根はとても優しい。

 恋をしました。どうやら私は彼を好きなようです」



 まるで照れがないじゃないか。

 ツェールはがっかりした。


 言葉は、恋の花咲く乙女のように情動的だが、表情がまるでついていってない。

 頬も染めず、そんな淡々と言われても、誰にもその想いは伝わらないだろう。


 だが、私にはわかる。彼女は本気で言っている。


 これは、こんな娘なのだ。

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