第38話

*湖畔の宿屋


「やはり、宿屋で演じながら普通に過ごし、噂を伝播させるべきだったのだ」


「しつこいですね、ドルツさん。今更それを言ってもしょうがないでしょう。

 パナメーさん、ここからどうしますか?」


「困ったですね。演技は人間の基本です。あんなに皆が、演技できないなんて思わないですね。

 普通やれます。命が懸かっているんですから」


「命がけだからできないのです。あなたは特別なのでしょう?」

「…そうなんですね」


 パナメーは伏せた目で物憂げな表情を見せる。

「ハア…いっそのこと、この宿屋を吹っ飛ばしちゃいますか?

 穴を掘るのも面倒ですし、魔女様を怒らせたってことで、行けるのではないですね?」


「馬鹿な事を…」

 冗談のような、乱暴な提案をするパナメーにドルツが苦言を呈した。


「簡単でいいですね。そうです。作戦は簡単な方が良い!」

 タイカは立ち上がった。


「タイカ、よせ!」

 差し出した右手のあたりに光が集まる。マナが変化し収束する。ドルツがそれを止めようとするが、タイカは続ける。


「見ておきなさい、ドルツさん。魔法というものを!

これから私と対等などと、努々思わぬように!」



 パナメーは、グラスに残った赤いワインを一口だけ口に含むと、残りを硬直した老夫婦にひっかける。

「逃げないと、死んでしまいますね?」

「ひいいいーー!」



「空を成すもの、吹きすさぶもの、盟約の儀に従い、邪魔成すものを空に散らせ!」


 ドルツ、パナメー、老夫婦が建物を飛び出した時、タイカの予備呪文の詠唱が終わった。複雑な魔法円が多重に重なる。タイカは魔法を上方に向けていた。


「竜刃、三叉槍!」


 湖畔の宿屋は一瞬縮んだかに見えたが、すぐに膨らんだ。三つの風の刃は、家屋を螺旋に走り屋根を引き裂いて吹き飛ばした。

 暴風が渦巻き、粉砕された建物が紙クズのように上空に巻き上げられる。大物は二、三メートル。小さいのは塵から小石まで。


 タイカは露天となった宿の床に立っていた。

 腕を天に伸ばし、歪に微笑んでいた。後に残っているのは、彼がいる床と壁の一部だけだった。建物はきれいさっぱり解体されてしまった。


 ガン、ゴン、ガス。

 空を舞った瓦礫が地上に戻って来る。皆頭を隠して逃げ惑った。


 ドルツは上方を睨みつけ、飛来物を慌てることなくよけながらも、肝を冷やしていた。

 こんな威力の魔法があんなに簡単に行使されるとは思ってもいなかった。


 あの方が、マカン様がタイカに授けたお力。これほどの物を与えたのだ。

 奴の言うとおりだ。もう同格に思うべきではない。


「しかし、こんなことをして、銀の娘と部隊を村に引き付ける策略は一体どうなる」

 ドルツは悩み深い顔で呟いた。



 宿が吹き飛んだ轟音に、辺りから住人たちが集まってきた。

 宿の惨状に驚愕する。


 宿の方を向き、地面に伏して泣き叫ぶ宿屋の老夫婦達。呆然と廃墟を見つめ立ち尽くすドルツ。その時、タイカは難を逃れた隣家の軒下に座っていた。


 存在感を発揮していたのがパナメーだ。突然の呪文発動にも慌てず、手にしてきたワインのボトルをラッパ飲みしている。


 湖を背にして、惨状を眺める様は、彼女の過激にメリハリのあるスタイルと相まって見事だった。誰が見ても主役だった。


 住民たちはパナメーの予想通りに想像した。宿屋の夫婦が魔女を怒らせた。この辺りで魔女と言ったらノワールだ。

 一発で家が吹き飛んだ。

 こんな大魔法を行使するのはノワール様に違いない。グイグイと赤ワインを吸い込む冷酷な姿。色気のある体つき。皆の想像を掻き立てた。


 良い魔女とかいう噂だったけど、良い魔女なんているわけがない。偉大な能力を持つものは大概横暴だ。恐ろしい災厄だ。

 あの身体だって偽物に違いない。きっと作ったのだろう。あんな見事な身体が存在するわけない。


 騙されるな。近づくと危険だよ。あんた騙されるんじゃないよ!

 俺はあんな女といたせるなら…。


 バカが!おまえなんか蛙に変えられちまうぞ。



 ノワール様がサウザンレイクにおられる。怒らせるな。気をつけろ。近づかない方がよい。噂は周辺の村々を走った。



 その後、宿屋の夫婦を伴い、タイカ達は村長の家に押しかけた。魔女様を怒らせた保証をしろと、言いがかりをつけているのだ。

 警吏もろくにいないこの村ではヤクザまがいの言いがかりでも、応援が来るまでは何もできない。


 ただただ、低姿勢に要求に従うしかなかった。魔法の一発が相当に効いていた。



「お見事です。タイカ様」

「はっはっはっは、小細工を弄することはないでしょう。大魔法を見せればよい。最初にそう言ったではないですか」


 ドルツは間諜の報告を受け、噂が領主の城下、シカランジまで届いたと確認していた。

 事の後、ずっと黙ってはいたが、やはりまだ腑に落ちないようだ。

 今一度苦言を呈す。

「だが、あの老夫婦が、おまえのしたことを訴えたら…」


「訴えない。それにもう間に合わないでしょう。

 この国は戦争になる。

 戦争の中では大罪さえ、雑事に代わるものですよ」

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