第37話
*湖畔の宿屋
ドルツ表情の変化などまるで気にかけず、タイカは爪磨きを続けている。
「ドルツさん、私は、ほんの十秒であなたの部隊を全滅できる。一人残らずね」
「そんな事をしたら、おまえはマカン様に…」
「できる、できないの話ですよ。私はやれる、あなたと違って?
気分次第で、いつでもですよ。勿論、しませんがね?」
タイカは爬虫類を思わせる目でドルツを見据える。彼は爪を磨き続けているが、鎌首持ち上げ獲物を狙う、蛇のような雰囲気があった。
こいつはやりかねないと思ったのか、ドルツの額にうっすらと汗が浮かび始めた。
彼はグラスを傾ける女に目を向ける。
「パナメー、おまえもなんか言ったらどうだ。おまえが命じられた計画だろう!
我らは人殺しをしに来たわけじゃないんだぞ」
パナメーはグラスを傾け、ワインをごくりと一口飲んだ。少しだけ厚みのある唇に、赤い雫が残った。
「そうなんですね。最初の脅しが効きすぎたんですね。あんなバラバラに切り刻んで脅されたら、冷静になれないですね?」
「おや、パナメーさん。私が悪いとでも?」
「いえ、タイカ様。滅相もないです。威力が強すぎたんですね。
私が思うより遥かに上です。私の考えが及ばなかったんですね」
パナメーは、唇の雫を指の背で拭うとグラスを置いた。下向きの睫毛の優し気な目を、宿屋の老夫婦に向ける。
「ねえ、それでどうしたらいいんですかね。どうしたらこの宿に魔女がいるって事になるんでしょうかね?」
「わ、私達が外に行き、我が宿に!魔女様が滞在なさっていると、吹聴してまわります!
偉大なノワール様がぁ!ー居られることをーー!」
夫婦は背筋を定規のごとくまっすぐに伸ばし、青ざめていた。とんでもなく硬直している。もう暫くしたら気絶するだろう。
「本当にできるんですかね、楽しそうにやれるんですね?
自慢気に、愉快気に、話せますか?
それができないから、皆、吹聴先の家族ごと亡くなってしまっているんですよ?」
目を見開き、息をのむ老夫婦。口元がヒクヒクと痙攣している。
これまでドルツらは、四人を情報発信に行かせたのだが、誰も平常心ではいられなかった。
涙を浮かべ、緊張で硬くなった、ぎこちなさを発散する彼らは、すぐに尋常でない様を他人に見破られてしまった。
結局のところ、尋ねた家ごと。話しかけた集団ごと。全員始末される羽目になっていた。
今回の五人目は、出発直前に切り刻まれてしまった。
「ひき…ましゅ。ひってきましゅ!僕は…うまくやりまっしゅ!」
脂汗で顔を照らつかせながら、こういって宿を出ようとしたところをタイカの風魔法が切り裂いたのだ。
パナメーの言う通り、最初の脅しが効きすぎたのだろう。
絶対に逃がしはしない。
本気であると示すため、放った魔法が残酷すぎた。見せしめで殺された宿泊客は、自らが掘った小さな穴に、きれいに収まるように小さく刻まれたのだ。
一瞬の事だった。
血液のたまった穴に、人の欠片を入れると。ボチャンと水音がした。土を被せると跡形もなく消え去った。
それを見させられ、強制的に後始末に参加させられた宿の従業員たちは、恐怖に取りつかれてしまったのだ。
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