第32話

 彼女は、俺の戸惑いを無視して続ける。


「いずれここに、マカンがやって来る。勝ち誇った顔をしてな」

 アリアーデ様は振り返り、塀の先の、彼方を見すえる。


「私の心をくじくため、私を散々怯えさせるため、数を揃え大軍で来るのだろう。

 騎馬の兵団を揃え、平原一杯に広がってな。


 私の味方はいない。邪魔だてする者はもう一人とていない。ゆっくり、ゆっくりとこの丘を登って来るだろう。

 気づくと奴は、私の正面に、真ん中にいるのだろう。他の騎馬を従え、真っ直ぐ馬を進める。


 計算通りだろう、全て奴の予定通りだ。無人の野を進む。勝利の味をじっくりと噛み締めながらな。そういう男なのだ。あれは」


 その様を想像しているのだろうが、彼女の横顔はなぜか清々しかった。

「この私を蹂躙してやろうとな」


 俺は、彼女が見せてきた爆砕石の意味を理解する。

「なるほど、それで吹っ飛ばしてやると?」


「そうだ」

「それは痛快だろうな」


「お前は、道連れだな。一緒に死んでもらおう」


 アリアーデ様は、俺に銀眼を向ける。血で銀髪が紅く染まっていても、銀の鎧が汚れていても、童話に出てくる妖精のような綺麗な姿だった。


「それは、光栄だね」


「ふふっ、お前は面白い。お前の命の話をしているのだぞ?」


 何も考えずに出してしまったけど、素直な言葉だったと思う。

 もしかしたら本気で、最後にそばにいることを光栄に思ったのかもしれない。


 アリアーデ様は手のひらの爆砕石を見つめるている。しかし、その目の焦点はどこか遠くにあった。


 黒い煙は、まだあちこちから立ち上っていた。いつの間にか城の屋根に戻って来た鬼カラスが一鳴きする。

 見渡す限り人気のない、風景に寒々しさを加えた。



 ふと気づくと、会話が途切れてから随分経っていた。


 アリアーデ様は、俺の傍らの柵に背を預け、懐かしむように風景を見ていた。

 前を向いたまま、彼女は不意に口を開いた。



「お前は…どこから来た?」



 アリアーデ樣はゆっくりと首を回し、銀眼を俺に向けた。


「お前は随分…貴族を恨んでいるようだ」


 最初の問いは、あまりに意表をついていて答えに詰まったが、次のは答えやすかった。そちらに先に答える。


「そりゃそうだろ。生まれただけで偉いなんて変だろ?」

「その考え方…ここではお前の方が変なのだぞ」


「何の苦しみも努力も知らねー奴が、偉そうにしてるのが普通なのか」

「私が、何一つ苦労無く育ったと言いたいのか?」


 アリアーデ様は銀の瞳を向ける。人形のようだった。見方によって悲しそうにも、楽しそうにも見える顔だ。この時は沈んで見えた。


「へえ、あんのか苦労が。あったのか?聞いてやってもいいぜ?」

 でも俺は、感じ悪さを消さなかった。


「確かに四歳までは、なんの苦労もなかった。

 自分を姫だと…思っていたよ。


 随分わがまま放題で育ったよ。うふふ…でもな、上がいる。

 そして、その上もいる。


 だから、お前の言う、偉そうな我らも、意外と…可哀想なものだぞ」


「へっ」

 俺は、鼻息一つで小馬鹿にしてやった。


「本当の姫の前では、私は口を開くこともできん。立っていることも、座ることにも許可がいるものだ。

 この家もな、昔はもっと広大な領地を持っていた。この城は所領の一部でしかなかった。他はすべて取り上げられたのだぞ」


「へー」


 どうでもいいことだ。そんなことよくある話だ。経営していた会社が突然つぶれる。

 大した悲劇じゃない。



 路頭に迷ってないだけラッキーだろう。

 アリアーデはわずかに頭を傾け、俺に銀眼を向けていた。一つ大きく息をし、手元の爆砕石を見つめる。


「それとは違う話だが、私が十一の時にな…

 この地を統る、上位の貴族が賓客として城に泊まったのだ。


 彼に目をつけられ、寝室に呼ばれたことがある」


 俺は少し、硬直した。

 ついつい、彼女の全身を見てしまう。

 十一歳、小学生。小さなアリアーデ様の姿を想像する。


「以前からそういう趣味があると、噂のある男だった」

 彼女は遠くを見つめるような横顔で語った。


「その時の私は、そんな馬鹿なことが許されるわけないと思っていた。

 そんな理不尽な話は無いと。


 だが、皆の意見は…違った。


 誰も助けてはくれなかった。

 父上も母上も、あの兄上までも…。

 その当時、世界最強だと思っていた巨漢の騎士長さえな。

 誰一人助けてはくれなかった。


 仕方ないのだ。

 逆らえば家を取り潰される。

 全て捻り潰されるだけだ。


 そして結局のところ、私は彼の奴隷にされるだろう。

 おもちゃのように扱われ、飽きたらゴミのように捨てられる。


 もっと酷いことになる。だから我慢しなさい。

 仕方ないよ。これが我らの日常だ。


 心を塞いでしまいなさい。楽しい事を考えてれば良い。

 私より遥かに強いと思っていた、背の大きな人達が口を揃えた」



 俺の心は硬直したままだ。結構ヘビーな話だった。

 …いや、でもな、今は反論しないけど庶民にもあるからね、そういうの。

 どっちかといえばこっちのが多いからね。


 アリアーデ様は、手の中の爆砕石から目を離し顔を上げた。


「そう言えば、その中で、違うことを言う少年がいたな。

 逃げましょう、アリアーデ様。この世で一番貴いのはあなただ。彼はそういった。あれは…救われたな」


 遥か遠くを見るよう、空に向ける銀の瞳は、少し潤んで空が綺麗に映っていた。

 エナンだろ、それ。バカだからなあいつ。

 そこはスルーして問いた。


「逃げたのか?」

「まさかな、そんな勇気はなかった。教わったよう、心を殺して出かけたよ。


 恐れを顔に出さず、当たり前の事のように、ドアを叩いた」



「…そうか」




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