第31話
エナンの言い分に、しばらく呆気にとられていたアリアーデ様だったが、ほんの少し笑顔を見せる。
「私は…魔女殿の協力を得られねば、皆を逃すことを決めていた。
だから城下の者は、兵をつけて先に逃した。
シカランジの集落には一度逃れるよう伝令を出した。
だが、投降までの期限を設定しておきながら、リッチランは進軍を続けていた。
待ち伏せされ、逃したはずの者達が襲われていることに気づいた。
迂闊だった。まるまる信じてしまった。仮といえど指揮官にあるまじき失態だ。
私の負けだ。
私は皆に解散を告げた。これからは自分の為に戦えと。
命を大切にせよと。
だが、皆お前と同じことを言った。そして、ここまでに死んでしまったぞ。
私は皆のお陰で、まだ生き残っている。
もうこれ以上、家族が死ぬのを見たくない。
エナン、幼き時からの付き合いだな。お前にお願いがある。
お前だけでも生きて…生き残っておくれ。
頼むエナン…叶えておくれ。これは拙い私の小さな願いだ。
私が一人生き残って喜ぶ人間だと思うか?
私の最後の希望なのだ…せめて私に、誰かを守らせておくれ」
彼女の、ひたいから伝う血が目に達している。血の混じった涙が、一粒だけ銀眼からこぼれた。それは紅に染まりながらも僅かに透明だった。
それを受けた、エナンの意表ついた言葉には驚いた。
「わかり…ました」
おいおい!わかるか普通?そこは押し通すだろ。
エナンは滂沱の涙を流し、唇を噛んでいる。
アリアーデ様の心を本気で推測ったのだろう。彼女の願いを、望みを叶えることを選んだのだろう。
でも、間抜けで子供みたいな泣き顔だった。本当に顔がもったいない。
騎士としては微妙な決断だが、それが悪い選択だと俺は一蹴できない。
やっぱり、ちょっと憎めない男だ。
「エナン、あれらを蹴散らしてからにしようか」
不意にアリアーデが呟いた。
「ハッ!」
エナンは彼女が首を向ける方を見て、快活な笑顔で応えた。
頬には、まだ涙をべったりと貼り付けたままだったが。
遠く、敵兵に追われている村人達がいたんだ。
彼らが落とした手荷物が、遠くから点々と続いていた。彼らは散り散りになり、必死に逃げまどっていた。
馬上のアリアーデ様が俺に目を向ける。同時に、刀のように反り曲がってしまった分厚い剣を向ける。
「この際だ。今なら詫びを受け取っても良いぞ」
今謝れば、この戒めを解くと言うのだろう。
こいつは…もしかするとこれを解くため戻って来たのか。そんなわけないのに、少し頭に浮かべてしまった。
「俺は留守を守るよ。かかしだけど」
俺は動揺を気取られぬよう、やる気なく返した。
「ふっ」
息をついたような声を残し、二頭の騎馬はあっという間に遠ざかった。
二人は、五、六人の兵団を軽く蹴散らして行く。
強いな。
アリアーデ様はマジで強かった。一薙ぎで三人程吹っ飛ばしていた。
遠くだからよく測れた。三メートルは飛んでた。
そんなのもう、起き上がれるわけがない。あの剣が曲がるはずだ。
戦闘が終わり、村人たちが頭を下げる。アリアーデ様は落ちている荷物を集める。
エナンが受け取り、馬に括りつける。村人達とエナンが一緒に先に進む。
避難民は、隣の市に向かっているようだ。
アリアーデ様は彼らに手を振った。
銀色の姿で、緑の草原にポツンと立ち、エナンらが見えなくなるまで見送った。
エナンが点になって消えてしまうまで、その手を千切れんばかりに振っているのが俺からも見えた。
あばよ。
彼らをすっかり見送ってしまうと、アリアーデ様は馬に乗り颯爽と駆け戻る。
もう、とてもじゃないけど、彼女に意地悪を言えそうにない。
俺は良い奴じゃないけど、人は良いんだよ。
きっと、峠での一件も意地悪言っただけなのだろう。
よく考えてみたら、エナンがおっさんを蹴り落として、殺そうとするのを止めたとも言えるし。
その後、晒す話になった時も、微妙に言葉が途切れていた気がする。
そんなアリアーデ様が、いきなり馬から落ちた。
黒馬が心配げに戻る。アリアーデ様はすぐに立ち上がり、馬の顔を撫でていた。実は大分お疲れのようだ。
それはそうだろう。
アリアーデ様は、少し離れた所に馬を繋いだ。黒馬に話をするように顔を寄せ、首を優しく叩いた。
踵を返すと、繋がれた俺の前にゆっくり歩いて来る。
美しい所作だった。
返り血だと言ったのは嘘ではないと思わせる、華麗な歩き方だった。鎧の重みを感じさせなかった。
そして、いきなりそれを見せてきた。
「これはな、爆砕石という。己の生命力を爆発に変える魔法の石だ」
「えっ…いきなりなんだよ?」
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