第29話


 城の西から東、一階から二階、いつまでも彼女を呼ぶ声は続いた。


 やっぱり相当に残念な男だ。


 普通なら途中で気づくだろう。誰もいないのだ。どこに行っていたのか知らないが、町にだっていなかっただろう。普通に違和感を持ってほしい。



 息を荒げながらエナンは城から出てきた。


「あのな…」

「うるさい!しゃべるな!お前などに聞く必要はない!」


 エナンは、バカでかい大声で俺の言葉を塞ぐと、辺りを行き来して見回した。


「なにかがあったのだろう。モンスターでも現れたか。そう言えば途中で、町の警吏が何事か言っていたな…。絵師の妻も何事か泣きながら必死で訴えていた」


 泣いて訴えているんだ。少しは聞いてやれよ。


 町を挟み、遠く山々まで緑が続く大地を背景に、後ろ姿のエナンは不意に俯いた。肩が揺れている。愛しい人の一大事にそばにいなかった事を嘆いているのだろうか。


「クックック、良かった。絵師を捕まえられて。

 記憶が薄れる前に、描き上げさせられて本当に良かった」


 こいつ、いきなり何言ってるんだろう。絵?

 エナンは振り向き、不敵な笑みを浮かべながら、俺に巻いた紙を広げて見せた。


 それは絵だった。崖で出会った人の良いおっさんの人相描きだ。そっくりだった。うん、まあ、すごいんだけど…。


「俺が、一人一人、村人を調べて回るとでも思ったか?

 それでは、何日かかるかわからんだろう?

 フッフフ。これが頼られた男の仕事だ。

 この出来栄えを。アリアーデ様に確認して頂こうと思ってな」


 めっちゃドヤ顔だ。


「これを要所に張り出せば、お前の少女恋友達も、すぐに捉えられるだろう?

 そっくりだろう。もう逃げられんぞ。ふはっはっはっは!」


 俺は、それには反論しなかった。代わりに、勤めて冷静に、小学生でもわかるように城の現状を説明してやった。



「はっはっは、戯言を。嘘を言うな、下司の痴れ者が!

 イースセプテン国リッチラン領とは本日、不戦の約束を結ぶ歴史的な日だぞ。

 何も知らないバカめが!」


 まあ…そんなだろうな。そういう反応をすると予想していたが、でもまずは語っておかないと始まらなかった。


「バカはおまえだ」


 エナンは瞬時に顔色を変える。端正な顔を醜く歪ませて拳を握るが、途中で思いとどまる。

 偉いぞ、アリアーデ様の命令だからな。あれ、こいつには命じていなかったか?


 アリアーデ様の許可なく、勝手に手を出してはいけない。そう思ったのだろうか。意外と賢い。そこまでのおバカじゃないようだが、俺はその先で驚いた。


 彼の顔だ。俺は、こんな悔しそうな顔の大人は見た事がなかった。

 まるで小学生が悔し泣きするみたいな顔だ。歯茎が見えるほど歯を剥き出し、顎のところには立派な梅干しを作っていた。


 そのしわは、マッチ棒が立てられそうなくらい深かった。



 雲が、西から東に流れていく。雲行きが怪しいというヤツだ。西からわき出した雲が空を埋めて行きつつあった。


 あれからどれだけ経っただろうか。

 カラスは、いつの間にかいなくなっていたけど、もう逃げちゃおうかな。


 結構、張り付けられて立っているのにも疲れた。

 なんか脇腹がかゆい。柵にも擦り付けられない。かゆいと思うと耐えられない。

 もう限界だ。

 決断しようと思っていたところだった。



 黒煙の立つ町の方から一騎、向かってくる。銀の装飾を纏った美しい黒馬、アリアーデ様だ。


 彼女の姿は、出かけた時の颯爽とした様子とは違っていた。銀の鎧はあちこち凹み、左側は破れて失われていた。



 どんな力が働いたら、金属の鎧が破れるのか。

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