第25話
しまった。話が通じるかもとか思って、よけいなことを言った。
そっちに気がついちゃうとか、この女なんて性悪なんだ。
「エナン、あの時の村人を覚えておろう、捕らえて参れ」
「ハッ!」
エナンは、ボールを追いかける犬のように一目散に駆け出した。
「待てーー!」
やべ、ついつい大声出しちゃったぞ。
アリアーデ様の首がゆっくりこちらを向いた。
やや顔を傾けて、こちらを伺う銀髪銀眼。ほんの少しだ。彼女は人形のようにすました表情を微妙といえる変化で彩る。
ほんの少し口角を上げたその笑顔は、悪い魔女のものだった。
「初めて、お前の声を聞いた気がするな?」
口調にも感情が見える。うあ…この御方、めちゃ性格悪そうに笑うじゃん。
「なーんちゃって。好きにすればいいよ。全然、関係ねーし」
アリアーデ様は歩みを進め、俺の胸を鞭の柄で強く突いた。
「ふふふ…お前の声がはっきり聞こえるぞ?」
「ハズレ!」
アリアーデ様は何の事かと怪訝な顔をする。
「もうちょっと上だよ。俺のがそんな下についてるわけないじゃん」
もちろん乳首のことだ。
言ってやった。痛快だった。我ながら素晴らしい瞬発力だ。俺は生まれ変わったようだ。これがピュアな俺?
「俺は一発で当てたよね?」
切れたね。アリアーデ様切れたよ。瞬時に顔を赤化させ、鞭を持ち替えもせず、柄の方で殴りつける。
だが、一発だった。
バケツを牢屋にぶつけて粉々にするような女の腕力だ。頭の芯が揺れ、一発で気絶しそうになったが追撃は来ない。
ここで殺されたのなら、もう興味はなくなる。あの高山で目覚め、スッキリ忘れて新たな冒険に出発できただろう。
でも、続きはなかった。痺ればかりで、熱いような感覚がだんだん痛みに変わってくる。俺はなんか悪いことをした気になった。
アリアーデ様は、ワナワナと言う感じか。少し紅がさした顔で睨みつける。何度か口を開くが言葉は出てこない。
なに?可愛らしい。なんだこれ?
「アリアーデ様!」
庭師風の男が駆けてきた。
男は敷地外を指差す。アリアーデ様がそちらに目を向ける。
土埃を纏い、馬が二頭、遠くからを駆けてくるのが見える。乗っているのは兵隊のようだ。だが、普段のようにピカピカに磨き上げられた鎧を身につけてはいなかった。大分薄汚れていた。兜もない。
アリアーデ様が手を振ると、兵たちは向きを変え、裏門から敷地に入って来きた。
先に着いた兵士が、馬から転がり落ちるように降りた。
彼の鎧は胴部分しか残っていなかった。腕には、応急処置で巻かれたとみられる布越しに血が滲んでいる。彼はろくに挨拶もせずに訴える。
「イースセプテン国リッチラン領のマカン公が北方から越境、進軍して来ました!」
「な、馬鹿な、リッチランとは本日、講和条約を締結するため父上が向かった…」
俺はT字に縛り付けられたまま、映画さながらの緊迫の様子をポカンと見ていた。間抜け顔も極まっていただろう。
「ち、父上達はどうした、手勢もいたはずだろう」
兵士達は互いに目をやる。年長の方が口を開く。
「ディランド様は国境の講和会議席上で乱心し、マカン公に切りかかったとか…互いの護衛が応戦し、ディランド様はその場で命を落とされたと…」
アリアーデ様は、白い顔を更に白くしていた。淡々とした声音も僅かに震えている。
「馬鹿な、あの父上が…。それは確認済みか、誰の報告か?
そうだ兄上はどうした?」
そこで兵士は俯いた。
「北の砦が、陥落しました。
全く警戒しておらず、突然押し寄せた二百程のリッチランの軍勢に、なすすべなく攻め落とされました。
私共は、恥ずかしながら囚われました。
マカン公に命ぜられて、ここに書状をお持ちした次第です」
「マカンが、マカンの奴がそこへ来ているのか?」
「ディランド様の御乱心の話も全て、捕らえられた後に、公の配下が我らにした説明です。私共は実際…どうなのか、まるでわかりません」
ふむふむ。どうやら条約締結とか大嘘こかれて、領主と護衛は謀殺された。
領主を送り出し、帰って来るのは隣国との平和を手にした領主だと、安心していた砦をあらかじめ用意された軍勢で襲い、攻め滅ぼした。
アリアーデ様、終わりだ。残念ながらこれは詰んでるよ。
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