第11話

 静かになったね。


 残ったのは立ち上がらなかった何人かの客と、壁際で立ち上がって、呆然と様子を見ていた獣人の少年だ。目を丸くしてる。本当に丸いな。


 それと何人かの店員もいた。厨房やカウンター越しで大口開けて止まっている。

 あとはぐちゃぐちゃだよ。ひっくり返った椅子。飛び散った料理。白目むく酔客。わずかに聞こえる苦悶の声達。


 シーンとしてたわー。


 俺は、呆然としたままの獣人の少年に歩み寄った。

 その時までは俺だって、それができるとは思ってなかった。


 隷属の首輪は魔法で守られている。本人に外そうとすることはできないし、無理に外そうとすると首が飛ぶ。

 偉大な契約魔法はアンタッチャブル。誰も逃れられない。この世界でずっとそう言い聞かされて育った。


 これは双方が、同意してしか装着できない公正なアイテムだ。

 神がお許しになった、聖なる約束の証とされている。だが実は、半ば強制的に装着させられている。


 今死ぬのと、これ着けるのどっちが良い?

 そんな二択を選択というか?


 そりゃ同意するしかないじゃないか。俺も着けられたことがあるんだ。

 

 店員の一人が表に飛び出していった。警吏を呼びに行ったのだろう。この店は都市壁門の詰め所に近いので、すぐに駆け付けられるだろう。


 俺は少年の前に立つ。

「このままでいるか。それともちょっと冒険するか?」

「冒険する!」


 少年は俺の目を真っ直ぐ見て、迷いなくきっぱりと言った。

 かわいらしい声だったが、実に男らしかった。俺なら間違いなく、もじもじしただろう。


 恰好いいぞ少年。これが選択するというものだな。

 俺は首輪に手を伸ばす。


「ちょっと、あんたおよしなよ!」

 女将さん風のおばちゃんが、契約魔法の酷い粛清に怯え声をかけるが、俺は構わず彼の首輪に触れた。


『収納』


 その瞬間に首輪は消えた。

 だと思ったんだ。俺が操る世界は、真に次元が違う。


 何某かの呪法が込められたアイテムだろうが、俺はいきなり異次元に放り込むんだ。偉大な契約魔法も通用しない。向こうに時は無い。発動もしないだろう。

 ただ、今取り出してみたらどうなるかちょっと判らない。この首輪を収納したことは忘れるとしよう。


 いきなり枷の消えた少年は、すっきりとした喉元に手をやって驚いていた。

 このまま置いていくわけにはいかない。

「行くか?」

「うん!」


 俺が恰好いいのはここまでだった。


 切れて、後先考えないパワーが尽きてしまい、俺は追い詰められていた。

 警吏に追いかけられ、裏木戸から民家の台所に忍び込んでびくびくしながら隠れていた。通りを行き交う役人達の怒号が聞こえる。やべーよ。大変な騒ぎだよ。


 だが、暗がりの中にいても獣人の少年は、キラキラと目を輝かせ俺を見ている。

 どうやら彼は少しもビビっていないようだ。俺を英雄だとでも思っているのか。


 俺は無敵だが神じゃない。それに、人を守護する機能はかなり薄い。

 この期待にどう応えたらいいのか。もう一度よく、このうずくまっている姿を見て欲しい。パンピー丸出しだろ。モブだよ。


 ちょっと考える。俺だけならとっくに振り切っている。

 子供を連れてこのまま逃げるのは難しい。そこで俺は決断した、神になろうと。いや、人でなくなるんだ。

 少し、俺が隠し持った能力を公にしなければいけない。

 それは、安穏と生きる予定の俺には巨大なリスクだ。見ず知らずの子供を助けるためにそんな負債は背負えない。


 だからって俺には、この子を置いて逃げる選択肢もない。全然ない。小馬鹿にしたあいつらに笑われるでしょ。


 決意した俺は、冷えた炉から白い灰を取り出し、油と混ぜて顔に塗った。棒状の真っ黒な炭を見つけメイクもする。

 目から涙のようにまっすぐ線を引き、目の上にも頭まで真っすぐ線を引いた。せっかくだからと、目の下のクマも濃くし、下まつげも描いておいた。両側に描いた。


「何をしてるの?」

「おまえ…、名前は?」


「ガーだよ」

 …大丈夫かそんな名前で?

 それ、全仲間分あるのか?次ガーとか三ガーとかありなん?


「俺はトキオだよ」

「トキオ」


「俺はな、実は魔物が化けていたんだ?」

「え?」


「俺は魔物だったんだよ!」

「はあ…」


「わかったのか、俺は魔物だ!」

「わかった!」



 門壁は大体、四メートル程の高さがある。

 身軽ならば継ぎ目に手足をかければ登れないことはないが、警戒態勢がしかれているのでそんな時間はないし、追手を掛けられるのも面倒だった。

 追って来る気を無くさせる。


「助けてー!」


 都市門を警戒していた警吏の集団にガーが駆け寄る。俺はそれを追いかけていた。

 目一杯悪魔的な何かを装って。両腕を上げ、襲いかかるぞー的なポーズだ。ちょっとガニ股でピョンピョン跳ねる。


 これは、子供が無理矢理魔物に連れて行かれる風の小芝居だ。

 ガーは実にうまくやってくれた。助けに出てきた警吏の手前で、きっちり俺は彼を捉える。

「ヒョヒョヒョ、ヒョー」

 俺は奇怪な笑い声と共に地を蹴った。


 俺は重力を操作する。ガーと俺の重力を瞬時に消した。

 前世でも、この世界の住人でも見たことのない、まるで物理に反したフワフワした飛翔を彼らに見せる。


 ガーを小脇に抱えたまま、ふわりと浮き上がった。夜空に吸い込まれるよう遠ざかる。都市壁を上から見る高さに達する。

 俺がいつの間にか都市壁の中にいた理由がこれだ。


 この程度の高さの物は音もなく登れる。いや、どれだけ高くても登れる。俺は垂直の壁を歩くことができる。俺は時空を操る、重力をも操れるんだ。

 ちょっと待ってくれ。これが最大のチートだと思われるのは心外だ。無敵を語る能力は他にある。まだ凄いのがある。


 警吏がどよめき声を上げる真ん中に、俺の初級魔法ファイアを放った。

 炎が十メートル程吹き出すが、届かないよう調整した。しかし彼らは、その熱量と迫力にびびって蜘蛛の子散らしたように散らばった。


 はっはっは、人がゴミのようだー!


 ちなみに普通の魔法使いのファイアは、ウサギを半殺しにするくらいの力しかない。


「ヒョヒョヒョッヒョ」

 異様な笑い声と共に俺はロケットのように飛んで行く。メイクも決まってるし、これは人じゃないだろ。完璧だろ。絶対追いかけて来ないだろ。


 安心だな。

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