第9話


 この街には、白い壁とオレンジの瓦屋根の建物が多いようだ。風合いが僅かずつ違う屋根が海まで続いていた。景色は良い。


 俺はとある方法で都市壁内の街に入っていた。いわゆる違法な行為だ。

 ここから新しい歴史を作るのはやめだ。


 適当な宿を見つけベッドに突っ伏す。ちょっと心が折れていた。無論、宿はいつもの陰キャな様子で取りました。

誓います。もう決して演技しません。…いや、しないように努めます。

 

 酒場の前には大きな樽が並んでいた。小さなテラスにもテーブルがあるが、夕方に雨が降ったので誰も座っていなかった。



 お一人様の俺は、店員に雑に案内された席に座っている。

 店内は盛況だ。丸テーブルが一五程ひしめくように置かれていて、周りの客が持って行ったのか、俺のテーブルは折よく椅子が一つしかなかった。


「おまえは、そこで朝まで立ってろ!」

「ぎゃははは!」

「おいおい、昨日も結局よ、最後までそれじゃなかったか?

少しくらい食べさせないと、本当に役に立たなっちまうぞ?」


「役に立たなかったから罰を与えてるじゃねーか!

テメーがのろのろしてっから、小鬼の群れに追いつかれたんだろうが!

テメーが置いてきた荷物が、どれだけの価値かわかってんのか?」

「ぎゃはははは、はーはっは!」


 俺はもう、単純なものを食べたくなかった。パンやら、焼いて塩つけただけの肉やら。

 ここまでの一人旅で、そういうのには飽きていた。


 ちゃんとした料理が食べたかった。それで、酒場に入ったのだが、いきなり不愉快な気配がしていた。


 隣のテーブルに目をちらりと向ける。

 薄汚い格好の少年が壁際に立たされていた。顔を下に向け、罵倒に耐えていた。


 彼には犬的な耳がある。獣人だ。十歳ぐらいだろうか。首には大仰な首輪がある。奴隷なのだろう。隷属の首輪と呼ばれるアイテムだ。


 多分、無茶に荷物を持たされていて、難敵から逃れる時に、いくつかの荷物をダンジョンに置いてきてしまったのだろう。


「…すみません」


 蚊の鳴くような小さな声だった。痩せ細った獣人の少年は、悔しそうな顔も、怒りも、その表情には出ていなかった。もう慣れてしまったのだろう。


 ぐうううぅきゅうう。


 隣のテーブルなのに、彼の腹の音はよく聞こえた。

 空腹で苦しんだ過去を思い出した。


「ぎゃははははは!はーはっははは」

「卑しいなおまえは!詫びの声よりよっぽど、でかいじゃねーかよ!」

「ひっひっひ、腹が減ったんだな。辛いよな~」


 そのテーブルには三人の中年男が座っている。額の禿げあがった男が少年の持ち主なのだろう。身体の大きな男だ。

 彼の額には派手な古傷がある。木製の丸テーブルに太い片肘をつけて、壁際の少年を追い詰めるように体を伸ばし、盛んに怒鳴りつけている。

 あの距離じゃ怒鳴る度に唾がかかるだろう。


 右にいる、前歯が一本抜けた小男が、ビールをあおりながら、先程から何気に親切ぶったコメントをしている奴だ。目付きが鋭い。


 左にいる男は笑い担当。口がでかい男で、大分酔っぱらっている。グラグラ揺れながらビールをあおっている。


 彼らのテーブルの上は、こぼれたビールや、はねたスープなんかで汚れている。料理を平らげられた皿が何枚か積み重なっていた。


 彼らが入店してから、相当な時間が経っているようだ。どれだけ、同じような説教を繰り返していたのだろうか。酔っぱらいの説教は無限ループするから終わりがない。


 ぐううぅきゅうううぅ。


 また少年の腹が鳴った。

 彼の青黒い髪は、長い間洗っていないようで束状に皮脂で固まっていた。首がちょっと見えるぐらいのボブ的な髪型をしている。薄汚れた細い首が下を向き、折れている。


「おいこら、その音やめろよ、恥ずかしくねーのか⁉︎」

 少年は口を動かすが、俺の席まで、彼の声は伝わらなかった。


「おら、聞いてんだよ!恥ずかしくねーのか、ちゃんと答えろ‼︎」

「…恥ずかしいです」

 彼は、さっきよりは大きな声で答えた。従順だ。


「なら、止めろや!」

「ぎゃはははは!」

「あー、かわいそうかわいそう、もう、なんか食わせてやれって~」


 笑い担当は大口で笑い続ける。

 親切歯抜けは笑顔全開で進言する。こいつはアレだ。悪事を働いて捕まった時に、俺は止めたじゃんと言うタイプだ。


額の禿げあがった男が、食べていた物を吐いて皿に戻した。

「おら、オーク肉だ。食え」


 差し出された皿に、少年が手を伸ばすと、額の禿げあがった男は皿をひっくり返し、料理を床にぶちまけた。


 他のテーブルの奴らが半笑いでコメントする。

「おいおい、そいつってオーク肉食っていいんだっけ?」

「ピュ、ひっでーな!なんて事言うんだ、おまえ~」


 歯抜けが雑音を鳴らしながら、楽しそうに突っ込みを入れる。店がドッと沸く。

「ぎゃはははは!」

 痩せた獣人の少年は躊躇なくひざまずき、床に手を突いた。表情はない。彼の表情には悔しさも悲しさも無かった。


「ありがとうございます」

 少年は床に落ちた食べ物を食べ始めた。


 額の禿げあがった大男が手に持っていた皿を頭に落とした。彼の頭は多毛なので、そこで音はしなかった。

 木の皿は床に落ち、ゴワワーンと音を立てる。


「皿を使えよ、みっともねーな。お里が知れるぜ?」

 大爆笑だった。

 この瞬間、店は一体化したかのように見えた。言い放った本人、お笑い担当、親切歯抜け、そしてすべての客と店員が笑っていた。

 

「面白くねーよ、くそハゲがーーー!」

 

 俺は椅子を鳴らして立ち上がった。

 虚を突かれたように酒場が静まり返る。

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