第4話

 ここは脇道もない一本道だ。洞窟熊が得意の狩場としているゾーンだ。


 デッキは振り向き、今一度それを確認する。

 絶望の退却路を目に収め、およそ逃げきれないことを理解したのだろう。

 彼は逃げの姿勢から踵を返す。剣を引き抜き、吠えた。


「逃げろーーー!」


 デッキはこういうとこがリーダーとしても男としても立派だ。

 重装備の鎧の全力で駆ける金属音が、洞窟内に響く。


 割と単純な男だ。加速すれば自分一人で押し止められるとか、本気で思っているのだろう。


 速力が乗っていく。

 デッキはグングンと洞窟熊の巨大な顔に向かって行く。


 剣の柄で押してもまるで揺るがない、針金だらけの剛毛に真っすぐ走る。刃を押し留めてしまう縮毛に対応するためか、剣を水平に傾ける。


 デッキ、本当に大したもんだ。ここまでやるとは思ってなかった。恐ろしくないのか?



 リーダーのデッキから出た、命がけの指示を受けた仲間は一目散に逃げだし…てはいなかった。


 皆はその辺りでまだ戸惑っていた。

 命大事。こういう時は即断しないとだめだぜ。


 俺は少し笑う。

 困った奴らだ、俺なら逃げてる。

 

『時間停止』


 

 俺は時空魔法の使い手。実は時間を停められる。


 これが、俺が厚かましくも最強をうたう一つの理由だ。他にもまだまだ凄いのがある。


 究極のギフトだ。

 止めた時の中で、動けるのは俺だけ。我ながらずるい。

 気の小さな俺は、知られたらやばいと思っている。まあ、制約も大分あるのだが。


 俺は時の止まった、音のない世界を走る。



 音のない要因は一つ目の制約だ。


 止まった時の中で俺は、俺自身と、所持している物以外動かせない。

 止まっている物にはまるで干渉できないんだ。


 土も小石も、柔らかな草の新芽さえも。びくともしない。

 だから走る音がしない。砂粒さえ動かせない。お陰でその素材から生じる摩擦音がしない。

 砂が滑るザッザッとか、草を踏むギュッギュッとかいう音が生じないんだ。


 自分の履いている靴底が、鉄でも石でもガラスでもない、まるで揺るがない硬質なプラスチックのような素材と擦れて生じる音が、かすかに聞こえるような世界だ。


 一番後ろにいたシリルの横を通る。

 いつもは居丈高で小生意気な顔が、悲痛に歪んでいる。


 正直に話すと経験済みだ。

 時が停まった世界。俺だけの世界だ。


 はい、触ったよ。触りました。

 とっくに触ったことがあるシリルの立派な乳を今一度、確かめるように触っておく。


 うん、硬い。銅像のそれのように硬質だ。

 説明したように揺るがないんだ。


 だから痴漢はできないよ?



 イラーザの横に立つ。実は大きな目をしているのだが、彼女の目はいつも半目だ。


 今は見開いているが、眉根を寄せ、悲しみに満ちて…あれ、どこを見ているのかな。


 熊でも仲間でもない。なんでこいつは真横を見ているんだ?


 そうか。状況を変えられる、なにか使える物を必死で探しているのか。最後まであきらめない。根性あるんだな、ぱっつん娘は。


 彼女の、申し訳程度に膨らんだ平らな胸元に目を送る。ちら見した後、じっくり見て判断する。これはだめだ。


 服の自然な膨らみに完全にカバーされてしまっている。


 洋服の生地も、まるで揺るがない世界なんだ。胸の膨らみを形どった物なら触れる価値があるが、これではコートハンガーに吊るされた服を触るのと同じだ。


 まるで意味がない。


 これではセクハラの内に入らない。いや、立派なセクハラだけど。


 なんとなく、嫌がらせでセクハラしたかったんだ。


 いや、なんとなくじゃないな。

 絶対したかった。なにがなんでもだ。

 だから小さな尻を撫でる。うん硬質。これが彼女とのお別れの挨拶だ。



 新人は無視した。見たくもないし。


 デッキを追い越す。おっと、こいつ泣き顔じゃねーか。


 俺は後ろ足で彼の股間を蹴った。もちろん硬質で、まるで揺るがない。

 どれだけ強く蹴っても、決して倒れたりはしない世界だ。


 軽く蹴るつもりだったが、大分力が入ってしまったようで、足に結構な衝撃が返ってきた。


 いつか、蹴ってやろうと思っていたのだろうか?

 実は、かなりの怒りと憎しみをデッキに感じているのだろうか。その思いがつい、出てしまったようだ。まあ、俺は小さい人間だからな。しょうがない。


 どーせ、誰にも被害はないんだ。

 


 俺は洞窟熊と壁の隙間に身を滑り込ませ、後ろに回り込んだ。


 こいつは、頭以外は意外と小さい。熊というが顔が熊風なだけで胴は寸胴型だ。熊のように全体が丸っこくはない。


 爪がびっしりと生えた六本の足が人命を奪う凶器だ。


 さてどうするか。止まった時の中では、こいつを仕留めることはできない。だから俺の仕事はここからいつも結構苦労する。


 そうそう、俺は異次元収納も持っている。

 この異次元収納の話も秘密だ。誰にも見せたことはない。


 ラノベでは、チート系主人公の標準装備で、大小の差はあれ、割と世界にあるスキルのように描かれるが、この世界でこれを持っている奴に俺は出会ったことがない。


 ここでは俺だけだ。


 サイズは無限に入る。だが出す時に、具体的なイメージがないと出てこない。これを手に入れて実験した時に、適当に入れた物が入りっぱなしだが、容量に限界を感じたことはない。


 あと、岩場から切り出されて地面に置いてある岩なら、どれだけ巨大でも収納できるが、大地に埋まったままの岩を収納することはできない。


 もう一つ、時を停めてから異次元収納にアクセスすることはできない。

 そんな制約がある。なので異次元収納から、予め紐を出しておいていた。


 俺が手に持っていたものだから、自由に動かせる。地面に這いつくばって、洞窟熊の足に紐を結ぶ。暗くてよく見えないが、俺にはもう手慣れた作業だ。


 無論、この紐に洞窟熊の馬力を止められる程の強度はないが、突然現れた紐は十分足止めになるんだ。


 俺だって不意に足が掛かれば、タコ糸程度の細い紐でも転ぶ。

 念のため、取り出しておいた唐辛子を鼻の穴と口に塗り込む。残念ながら針金に守られた目には届かなかった。


 これは、この世界インクブスの唐辛子だ。見た目は少しだけ違うようだが、地球の物と遜色ない調味料だ。

 他の物もそうだ、地球と大して変わらない物がこの世界には多数ある。


 時が停まった世界では、何もかもが硬質になる。

 鼻の穴も、口の中だって濡れてはいない。だから粉状の物を振りかけても、くっついたりしない。

 だから、このいたずら用の唐辛子は乾燥唐辛子と、生唐辛子を練り上げてペースト状にして保存してある。


 丁寧に塗り込む。自らの生命の危機にあっても無視できない刺激だろう。

 これぐらいでいいかな。



 実はまだ他に、時空魔法の能力を持っているんだ。それが俺の最大のチートと言えるものだ。その力を考えると、こんな時にでも、それほど失敗を恐れる必要はない。


 俺は仕事を終え、洞窟熊の間を抜ける。今度は正面からデッキの股間を蹴ると、元の場所に戻り隠れた。


『解除』



 時は再び動き出した。足が絡んだ洞窟熊は、巨大な顔面から地面に向けて突っ込む。その反動で背中が上がる。


 涙を散らし、目をつぶって真っすぐに突っ込んでいたデッキの剣先が、無防備なモンスターの背に刺さる。双方の勢いが重なり、深々と突き刺さった。


「ゴアアアアァーーー!」


 洞窟熊の野太い叫び声が洞窟内に轟く。魔法が次々と放たれ、灰色の岩壁が明滅する。しばらくの騒ぎの後、彼らの歓声が聞こえてきた。


『やったな、デッキ…』


 仲間を置いて逃げなかった。諦めずに戦った。これはきっと彼らのいい経験になるだろう。



『じゃあな、二度と会うことはないだろう。さらばだ』

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