わざわざ書かない難しさ

推敲過程を続けます!


『肝試し離れ 父と見た火球』


今はこうなってますが、実はあえて悪い見本にしています(笑)


どこが悪いかというと『見た』です!


俳句は五感をもって体験したことを書くものと説明しましたが、つまり見たり聞いたりしたのはすでに前提条件なんです。


テレビでもこんなこと書こうものならバッサリ赤線でした。


見聞きした結果、どう感じたかを書きましょう。

……ともならなかったり。

体験した結果、感動した、感情が動いたのすらも前提です!


分かりやすく名句を一つ

『古池や蛙飛び込む水の音』


古池に蛙の飛び込む水音が聞こえた、という様子を詠んだ名句ですね。

でも字面だけみたら本当にそれだけ、俳句自体には音が聞こえたとかそれにどう思ったのかは何も書いてない。

そこをどう解釈してどう趣を見いだすのかが俳句の妙味ですね。

この句は名句すぎて解釈がすごいことになってたのでwiki見ると面白いですよ(笑)



勿論書かなくていいことを強調の為、表現の為あえて書く、ということもできますが……これがなー難しいのよなー。

私は上手く説明できない!





とにかく、ただ動作を説明するのはダメというかつまらないのですね。


何か『名詞』を出したならそれに対する“あたり前の動作”はわざわざ書かない。


『写真』を撮る、見る。

『絵』を描く、見る。

『食べ物』を食べる。

などなど。

もう、あげればキリがないですね(笑)

これをやらないだけで音数に余裕が出て、俳句に深みがでるはず!


もっともそうやって生まれた2音、3音のとこに何を入れるかが大事なんですけどね!






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