第一章 残酷な冬⑦

 特格神社を統括する『特格本庁』は、へいあん以降に国家さいを管轄していたじんかんから枝分かれした組織だ。成立以降、専門の書記官が置かれ、人と神の歴史を記録し続けている。

 その記録によれば、まがかみ派が御景家に強力なじゆをかけたのがおよそ五百年前。時はむろまち時代の後期で、めいおう地震によりとうかいどう全域が大混乱に陥っていたころである。

 呪詛はまず、生後間もない後継者の赤ん坊に、不穏な痣が浮かぶことに始まった。

 痣は成長と共に肥大し、宿主に苦痛を与え続ける。そして二十歳で絶命に追いやり、また次の後継者に発現する。

 無論、御景一族も黙って呪われていたわけではない。優秀な神職者や術者を集め対策を講じた。そのあって、数百年の間は御景の跡継ぎに痣が浮かぶこともなかった。

 その小康状態が終わったのは、ほんの十年前。唐突に禍津神派が力を強め、国内では大規模な災害や疫病が相次いだ。

 そして御景家への呪詛も復活したという。

「当時は存命だった俺の兄に、痣が浮かんだ。長年苦しんで、二十歳で死んだよ」

「そんな……」

「俺はまだ死ぬわけにはいかない。だから解呪のため、あらゆる方法を模索して……この六出神社に行きついた」

 助けたい、と思う。彼は雪音を助けてくれたのだ。早梅のことだって許せないし、禍津神派とやらをのさばらせておくのも嫌だ。責任だって取りたい。だけど──

「ごめんなさい……私、私に出来ることは何でもって、言ったばかりで……」

 雪音は唇を嚙みしめ、深々と頭を下げる。頭上から燕の、切実な叫びが降り注ぐ。

「そんなこと言わないで、頼むよ……! 頼む、どうか……! あと三年しかないんだ、藤矢くんは、あと」

「燕」

「藤矢も頼めよ! 他に頼めるヤツいないんだぞ、お前が死んだら俺はどうすればいいんだよ!」

「ごめんなさい。ごめんなさい、無理なんです……」

 胸が締め付けられる心地だった。なくて泣きたくなる。

 雪音だって、この人たちの悪縁を切りたい。だけど今、そのためには力が

「私には、『さや』がないから……」

「鞘?」

 聞き慣れない単語に、二人が首を傾げる。

 信じてもらえるだろうか。一抹の不安はあったが、ここまできて誤魔化す気にもなれない。雪音は恐る恐る口を開いた。

「……だんさんのこと、です」

 息をむ二人の前に、雪音は自分が聞き知る事実をとつとつと語った。

「六出の縁切りの儀式では、狼星っていう神具の日本刀で、剣舞をします。ただ、鞘がないとこの剣舞は完成しなくて。儀式の後継者は、結婚したら夫婦で職人のもとにうかがって、自分専用の鞘を作ってもらうんです」

「……それはあくまで、物理的な入れ物の話だろう。実際に必要なのは、はんりよの存在ということか?」

 藤矢の冷静な問いかけに、雪音はうなずく。

 実際に縁切りの剣舞には、抜刀と納刀の動きがある。雪音もこの剣舞だけは、幼いころから教えられていた。独特の足運び。指先の所作。神具の代わりに木刀を握り、毎日けいを続けていた。目をつぶっても舞えるくらい、この身にすべてが染み付いている。

 これだけは。この半月間、家に閉じこもっている間さえも、ずっとずっと繰り返してきた。

(でも、今の私じゃ……)

 雪音はこれ以上何も言えず、ただうつむいた。

「なるほど」

 一方で、藤矢の声は落ち着いていた。雪音がチラリと視線をやると、あごに手をやって何やら考え込んでいる。

「じゃあ俺が鞘になろう」

「……あの?」

 何を言われているのか分からず、きょとんとしている雪音に、

「俺と結婚しようか」

 藤矢は平然と言い放った。

「……えっ」

「雪音は中学三年、十五歳か。誕生日はいつ?」

「六月ですけど……」

「うん、俺が十二月生まれだから、十分間に合う」

 藤矢は淡々と計算し、頷く。

「雪音。俺の他に婚約者は?」

「い、いませんけど」

「恋人や、好きな相手はいる?」

「それも、今のところは」

「じゃあ都合が良い」

「え、えええ」

 雪音はただただ絶句する。目を白黒させ、けんしわを寄せたり、首を傾げたり。その間、藤矢はただ雪音の返事を待っていた。

「私まだ、十五歳ですけど……いいんでしょうか?」

「俺もまだ十七歳だから、年齢はお互い様だよ。ひとまず婚約しよう。どうせいという体で御景の本家で暮らしてもらえれば、いざというとき君を守れるし」

「十七歳で婚約できるんですか?」

「婚約であれば、法的年齢制限はない。そのお陰で、俺にも山のように婚約話がきている」

「えっ! じゃあこれ愛人契約のお誘いってことですか? ええっと……鞘って不倫でもいいのかな……」

「ストーーーーップ!」

 み合わない二人の間に、燕が割り込んでくる。

 いよいよ黙っていられなくなったらしく、「コントしてる場合じゃないから!」と長い髪をかき上げた。

「藤矢くん。本気で言ってる?」

「俺が冗談でプロポーズする男だと思うか?」

「いや思わんけどさ……いいの?」

 燕の意味深な視線に、藤矢が黙って頷く。それを見届けて、燕は長いため息をついた。

「ビックリしたよねー、ごめん、ほんとごめんね」

「いえ、はい、びっくりは、していますけど」

「はは。まー藤矢くんが言ってるのは、言葉の意味そのまんなんだよ。ガチで二人が結婚するなら、六出神社さんにもいっぱいメリットがあります」

 雪音はごくりとつばを飲む。どうやら本格的に、冗談ではないらしい。

「御景神社って、特格神社の実質トップなの。ほら、社格制度がなくなっても、じんぐうってやっぱレベル違う感じするでしょ?」

 そうして燕は、前提知識のない雪音のために、ひとつひとつ嚙みくだいて説明してくれた。

 御景神社は言うなれば裏・伊勢神宮のような存在だという。全国の特格神社を統率し、表の神社本庁とも深く通じる。更に政府中枢にも入り込んでいる上、貿易から芸能まで、各業界への影響力も甚大であると。

 それだけ大規模な神社ともなれば、当然社家の人間も多い。総本社は東京にあるが、全国に散らばった末端の分家を含めると相当の数になる。

 そして彼らは、『まがかみ派の討伐』という最大の課題について、一枚岩ではない。いくつもの派閥が混在し、地位や名誉や財産が絡んで泥沼状態になっているという。

「藤矢くんの父親は当代のだいぐうだから、正統な跡取り息子なんだけど、ここの親子仲も最悪なんだよね」

「当然だろ」

 燕に説明を任せていた藤矢が、吐き捨てるように言う。

「あれは権力や保身にしか興味がない。自分の派閥を拡大するために、正妻以外に多数の愛人を囲って子どもを産ませた。人でなしだよ」

「……藤矢くんを生んだお母さんは、地方分社のさんだったんだ。本当は別に婚約しているお相手がいたんだけど、神力が強いからって脅迫されて別れさせられたって」

「そんな……ひどい……」

 雪音はついこぼしてしまい、ハッと口を押さえた。

「すみません」

「問題ないよ。本当にろくでもない男だから」

 苦笑いを浮かべながら、燕が続ける。

「そんな酷い人だからかな、大宮司派って禍津神派との長期的な戦いに備える方針というか、冷戦派というかね。もう息子の呪いを解くことをあきらめてる」

 それはつまり、父親が我が子の命を見捨てるということだ。

(人の命を、家族の命をなんだと思ってるんだろう……)

 言葉なく唇を嚙む雪音を見て何を思ったのか、燕がぐっと前のめりになる。

「ねー、酷いでしょ? しかも酷いのは、これで終わりじゃなくってー」

「これ以上?」

「だって現状、藤矢くんが唯一の本家血統だもん。呪いで死んだら、御景神社は途絶えちゃうでしょう。というわけで、最悪の計画が進められようとしてる」

 呪いを解かず、本家の血筋を残す方法。藤矢がいなくなったあとに必要なのは、藤矢の替わりになる存在……

「ものすごーーくマイルドな言い方をすると、多重結婚作戦」

 雪音は開いた口がふさがらなかった。

「そもそも御景家に嫁ぎたい女も、娘を御景家に嫁がせたい親も山ほどいる。それこそ正妻じゃなくても、本家の血が欲しい。大宮司派からしたらもう選び放題なんだよね」

「『どうせ呪いは解けない。体の自由が利くうちに、可能な限り子孫の用意をしておけ』という話だよ」

 とんでもないことを、藤矢は淡々と言ってのけた。

「当然俺はそんなの御免だ。権力争いの駒にされる子どもが気の毒だし、御景の血が分散すれば特格内の統率も乱れ、禍津神派につけ入る隙を与えかねない。だが、相手は腐っても大宮司だし、どんな卑劣な策を取るか分からない男だから油断ならないんだ」

 しんらつな口調だが、藤矢のひとみに怒りや憎しみの感情は見えなかった。その手の感情を抱けないくらいの間柄になってしまっているのかと思うと、雪音は何も言えなくなる。

「君が婚約してくれれば、俺は当面の間、父親から押し付けられる他の婚約者候補を拒みやすくなる。相変わらず愛人は勧められるだろうけど」

 そうして藤矢は静かに、雪音を見やった。

「当然これだけのことをしてもらうのだから、君にもメリットを提示する。俺と婚約してくれれば、六出神社再建の資金援助は惜しまないし、今後君のご家族も御景の精鋭が護衛しよう」

 それはこの上なく、魅力的な条件だと思った。禍津神派が六出神社に目をつけているのは確実だ。再び襲撃を受ければ、雪音たちにすすべがない。恐らく警察のたぐいがどうこうしてくれる話でもないはずだ。

(早梅は……また私を、殺しにくる)

 雪音は直感していた。彼は雪音を諦めない。迎えに来るという身勝手な宣言通り、遠くない未来に雪音の前に現れる。

 あのどろりとした気配。どこまでも深い闇の瞳。思い出すだけで鳥肌が立つ。

 あんな敵意を向けられたのだ。今度こそ本当に殺される。今度は両親や弟だって巻き込まれるだろう。

 ともすれば実家で過ごすよりも、対禍津神派の本丸である御景家に身を置いた方が、誰もが安全に違いない。

(この家に、私はいない方がいい。私が家族のために出来る、最大限のこと……)

 何でもすると決めたのだ。出来ることなら何でも。そして今は出来なくても、これから出来るようになることも、全部。

「俺は君のさやになる。君は十八歳になったら、俺の呪いを断ち切ってくれ」

 請い願うセリフだが、有無を言わせぬ力がある。他の選択肢は感じられない。

 否、たとえ感じられたとしても、雪音の選ぶ道はひとつだ。にじむ困惑を覆い隠し、雪音が雪音を奮い立たせる。

「ふつつかな嫁ですが、末永くよろしくお願いします」



*この続きは『縁切り姫の婚約』(角川文庫刊)でお楽しみください。

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縁切り姫の婚約 白土夏海/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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