第一章 残酷な冬⑥

 先日と同じ、昇り龍がしゆうされたスカジャン。長い三つ編み。上背があり、容姿の第一印象はいかついが、仕草はかなり恭しい。

「暗いから気を付けてくださいね」

「……はい。ありがとうございます」

 男性からおとぎ話のようなエスコートを受けるのは初めてで、つい緊張してしまう。

「燕さん、雪道に慣れてますね。タイヤもかんぺきで」

「そうでしょ~? 修行で雪山放り込まれたことがあるんだ」

「修行、ですか?」

「そう。俺は生まれつき神力が弱かったから、人一倍鍛えられたんだよね」

(『神力』って……早梅も言ってたな。不思議な力のこと……?)

 ピンとこない用語が増えてきて、雪音は思わず首をひねる。

 燕はあきれた素振りはまったく見せなかった。藤矢と顔を見合わせ、「境内で話そう」と進んでいく。

 境内は大きなれきこそ撤去されているが、依然として荒廃している。降雪が多い時季ということもあり、修繕工事は思うように進んでいないのだ。

 臨時の照明器具が設置されただけの、薄暗い神社。雪音も生まれ育った場所でなければ、不気味だとすら思っただろう。

「神使さま……ごめんね」

 砕けたこまおおかみ像が、本来の台座の足元に放置されている。雪音は、二頭に積もった雪を手で払った。

 ここでは色々なことが起き過ぎた。立っているだけで、脳裏にあの夜の光景がよみがえる。

「──雪音、早梅を覚えているか?」

 だから藤矢にそう問われ、雪音は深くうなずき返した。

 忘れるわけがなかった。あのまがまがしい気配とろんな瞳。身の毛もよだつ未知の力を持った青年だった。

「あの男は、まがかみ派と呼ばれる集団の一体だ。人間ではない」

「……神様」

「ああ。社は百年ほど前に廃社になっているが、じゆつかさどる神だったようだ」

 禍津神派とは早梅のようないんの神らと、それをまつる人間らとの集団だという。世にこんとんをもたらし、悪しき神の力で人々を支配しようしているらしい。

 少なくとも千年以上前から存在しており、凶悪な災害や事件を引き起こし続けている。一般に事情こそ伏せられているが、数多あまたの悪事の裏側に、彼らの暗躍がある。

「要はテロリストだが、神力のない人間には、禍津神の力は観測できない。把握しているのは、俺たちのような『特格神社』の関係者に限られる」

「特格……?」

「国内の神社は、『一般神社』と『特格神社』に分類される。一般神社が、君たちがよく知る神社のたぐい。『特格神社』は一般人には知られざる神社。有り体に言えば、特殊なご利益がある神社のことだ」

 説明しながら、藤矢が手のひらを差し出してくる。

「? わっ」

 のぞき込んだ瞬間、空気の渦が巻き起こり、雪音の髪をなびかせた。

(手の上で、竜巻が起きた?)

 目をぱちくりさせながらも、雪音は先日の一幕を思い出していた。

(私を助けてくれたときも、不思議な光が貫いて、それから風が吹いて……)

 にわかに信じ難い話だが、既に身をもつて味わっている。あの暖かな風に守られて、雪音はどうにかここにいるのだ。

「特格神社は、一般神社では解決しえない問題を、一般ならざる力で対処する」

 神秘的なものの存在を、まるで信じていないわけではなかった。

 だが雪音にとって、神社や祈りというものは、心のための領域だった。

 六出神社の縁切りだって、厳かに整えられた場所で、心底真剣な人たちが集まって執り行うことに意味があるのだと。わざわざ言語化をしたことがなかったけれど、非科学的な超常現象を操れるとは思っていなかった。

「俺の実家は特格の『御景神社』だ。主祭神は風神だから、社家の術者は風の力をお借り出来る」

 当たり前に語る藤矢を、燕が苦笑いで補足する。

「まあ、藤矢くんはずば抜けて強いんだけどね。こんな魔法使いみたいに『神力』を扱えるような人ばかりじゃないよ」

 やはりあの超常現象の源が『神力』なのだ。藤矢も燕も、それを操って戦っている。

「すみません私、何も知らなくて……」

「いやー、仕方ないよ。六出神社の事情は少し特殊だからさ」

「ああ。六出神社は表向きは一般神社だが、本来は特格神社だから」

 目をみはる雪音をよそに、藤矢は崩れた境内をいちべつする。

「奇特な術を受け継ぐ一族として、その実態を隠してきたんだ。特格本庁のデータベースにも登録されていない。俺たちも探し当てるのに苦労した」

 こちらはすぐには信じられなかった。雪音は物心つく前からずっとこの神社で過ごしてきたけれど、そういった事情に触れた覚えがない。

「ご両親もお祖母様も、意図的に隠していたんだろう。君はまだ中学生だ。跡継ぎにするつもりはあったようだし、高校進学あたりを機に伝えるつもりだったのかもしれない」

「……あ」

 雪音が高校生になったら、大切なことはすべて順々に伝える。繰り返し言われ続けてきたことだった。

「六出の者は代々強い神力を持ち、たぐいまれなる『縁切りの神術』を操ることが出来る。俺たちはあの日、君のお祖母様に縁切りの依頼をするはずだった」

「それを、早梅が……」

「ああ。禍津神派は、各地で力のある特格神社をつぶして回っている。特格は常に禍津神を討伐しようとしているから」

 藤矢は言葉にしなかったが、先を越されたのだ。

(私と同じように、家族を殺された人もいるのかな……)

 どうしようもない気持ちがこみ上げて、雪音は奥歯をみ締める。

「私に、縁切りが出来れば……」

 夜風に溶けるほど、とても小さくつぶやいた言葉。それに食い付いたのは燕だった。

「出来るよ!」

「えっ」

「出来るようになる! だって名前が『雪音』でしょ」

 跡継ぎの名前に入る『雪』の文字のことを言っているのだろう。

「……そう、ですね。いつかは私も」

「すぐ出来るようになるって!」

 食い気味に言う燕に、雪音は思わず身を引いてしまう。途端、我に返ったように「ごめん」と口にするが、それでも燕は止まらなかった。

「ごめん……でも、いつかじゃ遅いんだ」

「おい、燕」

「こんなタイミングに、間に合わなかった俺たちが頼むのは、本当に違うって分かってる、けど……」

 必死の形相だった。止めようと肩をつかむ藤矢の腕を、逆にぐいっと引っ張って、雪音の前に差し出した。

「頼む。藤矢くんを助けてくれ……!」

「は、え……?」

「燕。黙れ」

「うるさい、話さないと始まらないだろ!」

 燕が叫ぶ。先ほどまでの朗らかな雰囲気はなかった。

 藤矢の胸元に手を伸ばし、抵抗されれば無理やり押さえつけようとする。

「ちょっ、どうしたんですか……!?」

「いいから、これを見て!」

 燕は藤矢の詰襟とシャツを無理やり脱がせようとしていた。ぶちぶちっと音を立てて、いくつかのボタンがはじけ飛ぶ。

「おい、燕!」

 そうして無理やり、藤矢の首元をさらけ出した。

と縁切り出来なかったら、藤矢くんは死ぬんだ!」

 大胆に見せ示された、藤矢の素肌。雪音は思わず、呼吸を忘れた。

「……!」

 暗い青紫色の大きなあざが広がっている。重傷な火傷やけど跡のような痛々しさ。

「藤矢くんは呪われてるんだ! 御景家に代々受け継がれている、禍津神派からの呪い」

「呪いとの、縁切り……?」

「そう、頼むよ! 切れなかったら……御景家の跡継ぎは、二十歳で死ぬ……!」

「燕!」

 鋭い声で刺され、燕はようやく黙る。藤矢の体から手を離し、雪音に「ごめん」と頭を下げる。

「俺にも謝れ」

「……ごめん」

「追いぎだってもう少し手ぬるいだろうな」

「追い剝ぎしたことないから分かんないよ……」

「俺だってないよ」

 わざと軽口をたたいているように聞こえた。藤矢は会話を続けながら、うなれた燕の頭をぽんぽん叩いている。

 それから至極申し訳なさそうな表情で、雪音の方を向いた。

「驚かせたね。燕は信頼のおけるだんなんだが、忠誠心が強すぎるところがあって」

 雪音は慌てて首を振る。面食らいこそしたが、燕には必死になるだけの理由があるのだ。

「……本当に、二十歳で?」

「このまま何もしなければ確実に。情けないことに、御景家はもう五百年も前に受けた呪詛を、いまだに断ち切れずにいるんだ」

 そうして語られたのは、まがまがしい呪いの話だった。

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