一乗寺ブギーポップ

江戸川雷兎

プロローグ

 念願の京都大学に合格し、京都に住み始めたころの話だが、入学式前に高校時代の部活の先輩が所属していた水泳サークルの新歓に参加した。そこで出会った教育学部二回生のサークル代表の人に「どこに住んでるん?」と訊かれ、「一乗寺です」と答えたらこう返されたことを今でも鮮明に覚えている。


「ラーメンが好きなん?」


 京都市左京区一乗寺と言えば、関西でも屈指のラーメン激戦区として知られている。しかし当時の僕は京都に、ひいては関西に引っ越してきたばかりでそんなことを知るわけもなく、「どういうことですか?」とさらに質問を重ねた。

 地元が九州なので、ラーメンは当然のように好きだった。浪人時代、愛車のZRで休日のたびに本屋をめぐるついでにふらふらと街を走り回ってラーメンを食べ歩くくらいには好きだった。

 しかし、一乗寺に住もうと思ったのは、決してラーメンが食べたいからではなく、白川通沿いの雰囲気が気に入ったからだ。でもラーメンが好きだという僕がそういったラーメン激戦区に住むことになったのは、ある意味で運命だったのかもしれない。


 そもそもの話、歩いて行ける距離にラーメン屋が多く存在しているということは、どこへ行くにも車が必須なドがつく田舎育ちの僕にはかなり衝撃的なことだった。

 自分の住む場所がラーメン街だということを知ってから、時間があればのらりくらりと入り組んだ京都の路地を歩き、ラーメンを食べ歩いた。

 地元のラーメン屋のようにどこに行っても同じ味というようなことはなく、行く先々で新しい味に出会った。それもまたひどく衝撃だった。しかしやはり数が多いだけあって、舌に合うものもあれば、合わないものもあった。一年も経てば、だいたいどこのラーメン屋のどのラーメンが美味しいか、ということを身体が把握し、いくつかのお気に入りのラーメン屋ができ、そこをローテーションする日々が続いた。もちろん一乗寺の外のラーメン屋もいくつも回ったが、気軽に足を運べるという点では、一乗寺のラーメン屋が一歩リードしている現状だった。


 もはや中毒と言われても仕方がないのだが、僕の舌は頻繁にラーメンを欲する。僕の脳は人間の三大欲求のひとつがラーメン欲だとでも認識しているのかもしれない。

 その欲望は不意に、水底から水面へと浮かび上がってくる泡のように浮上してきて、決して止めること――抗うことができない。一度その欲を抱えてしまえば、麺をすすり、スープを飲み干すまで満たされることはない。

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