第4話(上) 一緒に帰ろう
「一緒に帰りませんか? 夜墨君」
体育の終わり際、須凍は疲れ切った僕に甘い言葉を囁いた。
「放課後、しばらく教室に残っててください。いい感じのところで一緒に教室を出ましょう」
そんなことがあって――僕は今、教室に残って翌日の数Iの宿題をしている。中学の頃の“数字を使っていた”感が抜けて、文字を使った謎のパズルを解いているみたいだ。
とても……面白くない。
頭を悩ませているうちに五分十分と時間は過ぎていく。
教室に残っていた生徒も委員会やら部活動やらで徐々に姿を消していき、廊下には空き教室を探しに来た吹奏楽部の面々がちらほらと教室をのぞきに来ていた。
ふぅ、と一段落したところで数学のワークから顔を上げて教室を見渡すと、一番後ろの席で文庫本を読む須凍さんが目に入った。
須凍さん以外の生徒はもう教室にはおらず、窓から入ってくる涼しげな風が彼女の長い白髪を揺らしていた。
「」
「さて、僕はそろそろ帰ろうかな」
ほかの誰がいるわけでもない教室で、モノローグよろしく説明口調で僕はそれとなく須凍に伝える。
須凍は顔を上げると、栞を挟んでからぱたんと本を閉じ、素早くカバンに仕舞う。
廊下に出ると、吹奏楽部と鉢合わせた。
少しばちが悪くなって僕は会釈程度に頭を下げる。
それから数秒後、須凍も教室から出てきたらしい。吹奏楽部の面々が「急かそうとしたわけじゃないんです……!」と須凍に釈明していた。
「構わないわ。私も今ちょうど帰ろうとしていただけよ」
「あの……なんかすみません。ありがとうございます!!」
おそらく三年生だと思われる、管楽器を持ったパートリーダー風の女子生徒は須凍に対して深く頭を下げていた。
†
窓の外では野球部がキャッチボールをしている。図書室を横切れば自習する生徒が大勢見える。
そうでなくても、玄関口が近づくにつれ帰宅する生徒の数は増えてくる。
うちの学校は最寄り駅まで歩いて二十分ほど。それ以外は自転車とバスの登下校が認められている。バスの行き先は別の路線の駅だ。
周りで野焼きが行われるくらいには田舎じみた場所にあるが、通学範囲は抜群に広い。
そしてそれは、校門を出る段階でどっちに歩くかで通学ルートが見えるということでもある。
僕は電車のみの通学なので最寄り駅に向かうわけだが、須凍はどうなのか。
わからず僕は下駄箱の前で手間取るふりをして須凍を先に歩かせようとした。
「待っててくれたの? 嬉しいわね」
「一緒に帰ろうって言わたけど、よくよく考えたら須凍がどっちから帰るのかわかんなくてね」
「夜墨君と同じよ、電車通学」
「……知らなかった」
「これでまた一つ、私に詳しくなったわね」
帰りのホームルームが終わってからもう三十分以上経つ。
人通りは皆無だった。
「ねぇ、こっちに行ってみないかしら?」
「駅と逆だぞ」
「だからいいのよ」
くす、と須凍は笑う。
初めて須凍と出会ってからまだ数日と経っていないが、今ここに至るまで須凍の表情はずいぶん柔らかくなってきた気がする。
きっと僕はクラスの中で一番須凍の笑顔を見た人だろう。
「本当に畑しか広がってないわ……」
「畑、見たことないのか?」
「馬鹿にしないで。それとも私、そんなにお金持ちに見える?」
「須凍の家が金持ちだって言われても誰も驚かないな」
そういう噂も立っていないこともない。
須凍有沙は謎に包まれた少女だ。
「そんなことないわ。今日このままウチに来る? ママも喜ぶわよ」
「遠慮しとく。告白を断り続けてる女子の家に遊びに行けるほど面の皮は厚くないからね」
「あら、ちゃんと自覚があるのね」
「もちろん。そっちもちゃんと自覚持ってくれよ、たぶんそれって恋とか愛じゃないから」
須凍は一瞬考えてから。
「それは追々答えを出すわ」
「ま、友達でいる分には全く困らないんだけどな」
高校に入ってから新しい友達が一人もできなかった僕にとっては何ともありがたい話だ。
「……そういえば、体育の時間に言ってたこと、聞いてもらってもいい?」
「ああ――あの『言いなりになる』とかなんとか」
「『負けた方が言うことを一つ聞く』ね」
「俺は須凍に何されるんだ?」
「私がしてほしいこと……ね」
「公序良俗に反することは禁止な。友達の距離感を出ない範囲で」
「わかっているわ」
ふぅん――と須凍が考え始めたところで、僕はコンビニを発見した。
ちょうどいいと直射日光にさらされていた僕たちはアイスクリームを買って外に出た。
僕が定番のガリガリするアイス。須凍はゼリー飲料を飲むタイプのパッケージに入っているクールなアイスだ。
お互いに歩きながら食べられるものをチョイスしたのだが。
「パピコとかどう?」
「いや……私はこれにするわ」
と須凍はクーリッシュを選んで譲らなかった。
そんなにその限定キウイフレーバーが好きなんだろうか。
……なんてことを考えていたんだけれど。
「さて、私のお願いを聞いてもらえる?」
店の外に出て早速、須凍はアイスのキャップを開けて口をつけた。
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