第4話(下) 一緒に帰ろう


 ちゅうううううう……とアイス吸う音が聞こえるが、さっきまで冷凍庫に入っていたからかなかなか出てこないようだ。


「何言うつもりなんだ? 炎天下でランニングか? それとも駅に着くまで鞄持ってろとか? さては全裸で逆立ちして学校一周とかか? それは公序良俗に反してるからやらんぞ」

「そんなこと言わないわ。もうちょっと些細なことよ」

「なんだ……」


 ぺりぺりとガリガリ君のパッケージを剥きながら、僕は須凍の次の言葉を待つ。


「アイス、シェアして食べましょ」

「……は? どゆこと?」

「だーかーら。さっき買ったアイスを時々交換して食べたりする……友達同士でよくやるアレよ」


 要は――回し食い。


 しゃくっ――と僕が食べたガリガリ君の音が、静かな夏の静寂に飲み込まれていく。


「あ、欲しいの? それなら全然いいよ、はいこれ」

「……そういうことじゃなくて、交換とか、ね?」


 言いながら、ちゅうぅぅと須凍はクーリッシュを吸う。

 ようやく出てきたようで「おいしいわねこの味」とつぶやいていた。


「別にそれくらいならあげるよ。負け分ってことで」

「ちょっ……逃げる気なの!?」


 逃げる、って何からだよ……と思いながらも須凍にガリガリ君を渡す。

 両手に花ならぬ両手にアイス状態になった須凍は、僕にクーリッシュを差し出してきた。


「これ、おいしいわよ」

「美味そうに食べてたよな。貰うわ」

「私も、いただくわね」


 そう言って須凍は――僕が渡したガリガリ君にかぶりつく。


「おいしぃ……わ!」


 額に噴き出た汗を裾でぬぐいながら、須凍はしゃりしゃりと口の中で咀嚼する。


「ほら、夜墨君も食べてみて」


 突き出されたクーリッシュの吸い込み口は、中の液体か須凍の液体かはわからなかったが、表面がぬらりと濡れていた。

 不思議とさほど嫌悪感はない。


 須凍は僕がアイスを口に運ぶ瞬間をじっと見ている。


 しゃーなしと覚悟を決めて、僕は。


「じゃ、ありがたく頂くよ」


 口に触れない程度の高さでアイスをキープ。

 パッケージをぐにゃぁと潰すと自重で中身が落ちてくる。


「ズルいわ!」

「何がだ」

「せっかくアイスをシェアしようって言ったのよ? そのまま口をつけて飲むのが一般的じゃない? それとも潔癖症なの? それならしょうがないわね……」

「別に? そんなつもりはないけど」


 相手が夏海なら確かにそのまま口をつけていたと思う。

 ただ不思議と、須凍と……間接キスするのは恥ずかしい。


「友達同士の純粋な気遣いだろ」

「夜墨君となら別に私、気にしないわよ。普通に吸った方が飲みやすいわよ。……で、お味はどうだったかしら?」

「あじ……味、ねぇ」


 正直な話をすると、緊張してて味なんて覚えてなかった。

 どうやって切り抜けようと考えてたしな。


「じゃあもう一口、食べなさい。これは命令よ」

「なんだその命令」

「同じ味を食べたくてシェアしてるのに味の感想の一つも出てこないんじゃどうしようもないじゃない」


 ごもっともな意見過ぎるな、と反省。


「だから、次はちゃんと味わって飲むのよ」


 念押しされて――僕は覚悟を決める。


「いただきます……」


 いいのか? 行くぞ? 本当に行っちゃうぞ!?

 と何度も自問自答して、ようやく覚悟を決めた末に、僕はやっと口をつける。


 中からは芳醇なキウイの香り。

 おいしい、おいしいんだけども。


 ぷはっ、と口を離す。


「私の味は美味しいかしら?」


 揶揄うようにそんなことをいう須凍さんに僕はむせ返りそうになりながら、鼻に抜ける香りに意識を向けた。


 キウイの味が強くておいしかった。


「須凍さんの味がしておいしかったよ」

「…………!?!?!?」


 須凍さんは顔を赤らめてしまった。

 ……?

 こんなことをさせて今更自分が恥ずかしがるってどういうことだ……。

 恥ずかしいのは僕の方なんだけど。


 ――と、ここまで考えて記憶を呼び起こす。


 今自分、なんて言った!?


「ちょっと……もう一回言って」

「違う違う! 今のは引っ張られただけ! キウイの味が強くておいしかったんだって!」

「ああ……私としたことが抜かったわ。録音の一つでもしていればよかったのに」

「どんな悪さに使うんだよ――もう、忘れてくれ……」


 変なことを言ってしまった自覚が、時間とともに思い出されてくる。

 全部この暑さのせいだ。

 ……いや、変なことを言ってくる須凍さんのせいだ。


「えいっ、一口もらいっ!」


 須凍さんは僕の手からアイスを奪いにそのままちゅぅと吸う。


「うん、私の味だね」

「いいのか、間接キスだぞ」

「誰も見てないわ。これは私と夜墨君だけの思い出よ。言い間違えも、アイス交換も、間接キスも全部ね」

「くそっ……恥ずかしいな」

「私だって、恥ずかしいわよ。こんな風に迫るのも、勇気がいるのよ?」


 そう言いながら自分のアイスを吸う須凍。

 勇気を出している印象はあまり受けなかったが……隠しているのかもしれない。


「これで短距離走の賭けは終わりね。楽しかったわ」

「……まぁ、酷いことされなくてよかったよ」

「酷いこと? 私がすると思う?」

「しない人だって今なら思える」


「それとも……“賭け”はもっと他のことを頼んだ方がよかった?」

「他のこと?」


 少し蠱惑的な表情を浮かべた須凍さんは、僕をし鳥とした瞳で見つめて。


「今は“友達”のギリギリを攻めさせてもらったけれど、“友達”のルールを超えていいのなら、もっと他の事をさせたんだけどね」

「…………」


 須凍さんのことは、昨日から今日にかけて少しずつ理解できていた気がした。

 だけど、今の彼女は何を考えているか分からない。

 でもなぜだろう……。


「されなくてよかった。そういう感じで命令されたら、なんか……負けた気がするから」

「もとより負けた人の罰ゲームよ」


 駅とは反対側に歩いていたはずだったが、何度か曲がりくねった道を通った後――なぜか僕らのよく知っている駅に続く道が見えてきた。

 この楽しい時間ももうすぐに終わる。


「須凍君とは反対側だから」

「じゃあ、ここまでだね」


 改札を通る前、須凍さんは少しだけ寂しそうな表情をした、気がした。

 手を振って別れる前、最後に一つ、と須凍さんは口にする。


「これは、お願いにしなかったんだけれど」


 すっ、とポケットからスマートフォンを出す。


「Line、交換してくれない?」

「いいけど……なんで『あえて』を強調したの?」

「だって……ムリヤリ連絡先を手に入れるのはじゃなくなっちゃう気がして」

「ちなみに、僕が勝ったら須凍さんの連絡先聞くつもりだったよ」


 今言うことじゃないかもしれないけど。


「そんな気遣い要らないって。友達っぽいとか、友達じゃなくなっちゃうかもとか、そんなこと考えながら接しないでしょ、普通」

「でも……私なんかが」

「さっき間接キス迫ってきたのに連絡先聞くのは躊躇するって変じゃない?」

「間接キスは“好きにさせるための戦略”だけど、連絡先を聞くのは違うのよ」


 何が違うのかは分からないが、須凍さんの中では違うみたいだ。

 ……というか、戦略って。


「僕を好きにさせろって誰かからいじめられてる?」

「そんなことはないわ! 誓ってない!」


 冗談のつもりで言ったが、想像以上に声を荒げて須凍さんは否定してきた。


「ごめん、別に疑ってるとかじゃないから」

「いえ……でも、確かに今日は露骨すぎたわね。間接キスが出来るくらい、夜墨君に興味があるということを伝えたつもりだったんだけれど。伝わったかしら?」

「毎回あるんだ、このフィードバック……。伝わったよ、一応」

「それなら良かったわ」


 ふん♪ と珍しい記号が須凍さんの顔から出た気がした。



「最後に……今日は私のわがままに付き合ってくれてありがとう」


 島式ホームに続くエスカレーターを降りながら、うなじを見せたまま須凍さんは言う。


「別にこれくらいいつでも」

「毎日でも?」

「毎日でも」


 表情はわからないが、声音から判断するに悪いものじゃなさそうだ。


「私、授業が楽しいと思ったのは今日が初めてよ。授業中に友達と話すなんてこと……なかったから」

「夏海とかが話したがってるぞ」

「気の合う人……私のことをちゃんと知ってくれている人と、ってことよ。よく知らない人と話すと息が詰まるじゃない」

「わかるなぁ……それ」


 フォン、と電車が入選してくる音がした。

 須凍が乗る電車だ。

 たったったとエスカレーターを駆ける。


「もう電車来ちゃった……私、乗るわ」

「おう、また明日」


 一瞬だけ須凍は振り返って。


「うん、また明日ね」


 軽く手を振った。


「次は……“それ以上”がしたくなるような、“友達”の枠を超えたくなるようなこと、考えてくるわね」


 須凍が乗った電車のドアが閉まっていく。ニコっと笑う須凍の顔は――今日一番輝いていた。


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