第3話(上) ひとりぼっち達
「はーい二人組組めー」
この悪魔のような呪文は、高校という閉ざされた鳥籠に仕舞われている限り逃れられない。ペアワークになると常に登場し、英語だろうと国語だろうと総合だろうと家庭科だろうと気を抜いたタイミングでしばしば登場して教室の人間関係をあぶり出していく。
とはいえ先生も鬼ではない。
三人組で仲がいいクラスメイトは割と居て、「じゃあ三人組でもいいですよ~」などと容認するような姿勢をとることもしばしばだ。
もともと2では割り切れないうちのクラスメイトは2人だったり3人だったりでペアを組み――それでもなお、僕は余ることがしばしばだ。
その結果、仲のいい二人組に何故か加入することになった僕、というなんとも居心地の悪い3人組が爆誕し、禍根だけを残すことになる。
……とまぁ、そんな悪魔みたいな呪文が体育教師の口から飛び出し、僕はいつものように口から魂を出して放心していた訳で。
「三人組じゃ準備体操も出来んだろうが! 今日は秋月が休みだから全員二人になれよ~」
強面の男性体育教師が大きく手を鳴らしながら二人組を促す。
戸惑いながらも威圧に負けたクラス名とは渋々と分断を受け入れ、徐々に二人組は完成していく。
今日の体育は男女混合の短距離走。
ランナーとタイマーを交互に行うための二人組だそうだ。
そういう理由なら二人組がマストなのも理解できる。
実際僕は全員参加の前回の授業で先生と組まされていた。
先生とじゃないだけマシか、と考えて僕は余ったクラスメイトを探す。
二で割り切れる以上誰かがどこかであぶれているはずだ。
「それじゃ、ペアになったやつらから座ってけー」
そしてあぶれていたのは――僕と、須凍だった。
男子はぽつぽつと座り始め、僕だけが残っており。
女子は固まって誰と誰が組むかを話し合っている。
そしてその集団からあぶれていた須凍が僕のところまで歩いてくる。
女子は話し合いに夢中になっているが、一部の男子が気付いてざわめき始める。
須凍はお構いなしに僕の隣で話す。
「普段ペアを組んでる秋月さんが休んだのよ」
「ああ……優しいもんな、秋月さん」
秋月旭――クラス委員長で普段から浮きがちな須凍に自ら話しかけに行く奉仕の心の持ち主だ。
「他の人と組むとかじゃダメだったの?」
「いえ……別にそれはそれで良かったんだけど……あれを見て」
須凍は目で女子の集団を指し示す。
二人ペア、と言われているのにも関わらず、十人単位で集まっていた。
「誰か須凍さんと組まないの?」
「組んでもいいの? じゃあ私がっ!」
「させないわ、私の須凍さんに傷一つつけさせるわけには行かない。譲らないわよ」
「でもこのままだと須凍さんが冴えない男子と組むことになっちゃうよ!?」
「ってかなんでうちのクラス男女合同で体育があるのよ!?」
「いい? これは須凍さんにお近づきになるチャンスなのよ? みすみす逃すわけには行かないわ」
「秋月さんみたいな抜け駆けは許されないけど……今回は平等だもんね」
女子の間で、大規模じゃんけん大会が開かれようとしていた。
「いいじゃん、須凍さんを争って戦いが起きてるよ」
「面倒なのよね……秋月さんみたいに近づいてくれればいいのに、ああやって徒党を組んでお互いに牽制しあってるのよ。彼女たちはどうやら私を守ってくれているらしいけど」
「それって、須凍さんと話してる僕は目の敵にされるんじゃ……?」
校舎裏に呼び出される想像をして身を震わせていると、女子集団と目が合った。
僕は慌てて目を逸らす。
「まさか、そんなことないわ……だってそれは不合理よ。私が仲良くしている人を傷つけて私の好感度が上がるわけがないじゃない」
「そうだけどそういうことじゃないんだって……!」
今日も須凍さんはマイペースだ。
「お前ら早くペアを組めよ、決めらんないのならこっちで勝手に決めるぞ」
体育教師が仲裁に入り、それからこっちに歩いてきて僕の肩をぐっと押す。
「お前らも決まったんならはよ座れ」
ぺたり、と。
僕は教師に押されて無理やり座らされ、須凍さんは僕の隣に合わせて腰を下ろす。
「須凍さんが……」
「男子と!?」
「私が組む予定だったのに……」「いや私が」「今からでも遅くないから交渉すれば――」
「ほらお前らも早く決めろ」
ドスの利いた声で体育教師は女子生徒に詰め寄る。
しびれを切らしそうな成人男性の声は想像以上に恐ろしい。
はい……とペア分けはスムーズに進み始めた、のだが。
「なんか……見られてないかしら」
「こういう時に男女がペアになることってないからな」
「でも男子も女子も奇数ならこうなるのは当たり前よ」
「それが普通にあぶれた男女ならな。というか、須凍さん、普通に話せてるじゃん」
「それは今私たちが“なるべくしてなった”からよ。私たちは先生に組むことを『強制』されたのよ。だから話すことに対して抵抗はないわ」
それなら話せるのか……なら教室で話すこともできるんじゃないか? と思わなくもない。
「注目されてるのは、あの“氷の一匹狼”さんが、何の変哲もない男子と組み、その挙句楽しそうに話してるから、じゃない?」
「ちょうどいい機会じゃない、私たちが“友達”ということをクラスメイトの皆に証明してあげればいいのよ。そうすれば私たちが教室で話しているのも普通よね!」
現状起きているイレギュラーが教室でも起こるだけだとは思うけど……。
須凍さんがそれでいいと思うならいいんだろう。
そもそも教室で普通に話せないってなんだよって話だしな。
「それに……普通に話せるのは夜墨君だけだから、さ」
須凍さんはふふっ、と笑う。
それは、僕に向けられていた顔だったけど。
クラスの皆が彼女のことを、確かに見ていた。
氷で造られた面皮が溶解する、その瞬間を。
「ねぇ、なんで何も言わないの……? 夜墨君は他の人にも普通に話せるから特別視してる私がバカみたいって嘲笑ってるとかそういう――」
「いや、僕も同じだって思ってたよ」
須凍さんの中にある黒い影が完全に外に出る前に、慌てて僕は言葉を被せる。
「こんな風に普通に話せるのは、須凍さんだけだからさ。友達とかいないし」
「それは嘘ね。日向さんいるじゃない」
「あ……あ、居たわ。いや、でもそれは違って……! 普通に、何の気兼ねなしに話せるのは須凍さんだけだから!」
「……はぁ。そういうことにしておいてあげるわ」
溜息。
だけどそれは厳しいものではなく、にこやかなほほえみを湛えた、優しい吐息だった。
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