第2話(下) スキの前にまず友達から

「ところで……さっきは話を逸らされたから話を戻すけど、今日は何の用で僕を呼び出したの? お弁当は嬉しいけど……もしかして、なんかの交渉材料?」


 “スキ”を証明すると言ってきかない須凍さんだけど、「これを食べたからには告白に応じなさい」とか言われるのか。


「交渉といえば交渉ね。私が今日お弁当を渡したのは、“スキ”を証明するためよ。私は夜墨君にお弁当を渡すほどスキなのよ」

「なるほど……?」

「なんで疑問符を付けてるの? さすがにこれは“好き”のポーズでしょう?」


「ポーズって……。ってか、そもそもお弁当作ってきたりって恋人同士になった人がやることなんじゃない?」

「なによ、まるで私がただ片思いなのに浮かれて一足飛びにお弁当を作ってきた痛い人みたいじゃない」


 あまりにも適切な客観視に僕は涙を禁じ得ない。

 むしろどうしてそこまでわかっていてそんな暴挙に出たのか。


「……で、どう? これは私が夜墨君を“スキ”な理由にはなるはずよ。だって、“スキ”じゃなかったらお弁当を作って来ないもの」

「その論で言うとおにぎりを作ってくる野球部のマネージャーは部員のことが“スキ”ってことになるけど」

「……特定個人に対して、と前提に付け加えておくわ」


 のらりくらりと僕の逃げ道を須凍さんは潰してくる。

 ……というか、どうして僕は須凍さんの“スキ”を避けているんだろうか。


「正直、一昨日の告白はその場の勢いだと思ってた。……まさか三日間もこの勢いが続くなんて思ってもなかったよ」

「執念深いだけよ」

「……だからちょっと聞きたいんだけど、どうして僕のことが好きなの?」


 あの日、須凍さんを僕は助けた。

 自分で言うのは筋違いかもしれないけど、それによって須凍さんはあの日僕に惚れた……って言うのなら、わからなくもない。


 もちろん、助けたのはただの偶然だし、僕は常に手を差し伸べる完全無欠のヒーローなんかじゃない。

 そう思い込まれているとしたら、きっと彼女の中で僕を過大評価しすぎていると思う。

 だから、そう言われたら断るつもりだった。


「どうして……どうして?」


 だけど、須凍さんはその答えを持ち合わせていなかったみたいで。


「私が、どうして夜墨君のことをスキなのか、ってことよね?」

「うん。自分で言うのもなんだけど、冴えない男子だしね、僕」


 氷の一匹狼として崇められる須凍さんなんかとは当然釣り合うはずもない、目立たないただの一般男子生徒でしかない僕を、どうして須凍さんはスキになったのか。

 須凍さんの告白を受ける前に、どうしても知りたかった。


「……それは、夜墨君が私のことを助けてくれて――私を彼女だって言ってくれたから……でも、それは“スキ”の理由にはならないわ。私が夜墨君に対して感謝しているから? だから……スキ?」


 まるで人の心を解そうとするロボットのように、須凍さんは言葉を紡ぐ。


「多分だけど……須凍さんは、助けてくれたお礼がしたかったんじゃない? だからあの場で“彼女になってあげる”って口走ったんだと思う」

「……否定はしないわ」


 探偵ばりの推理で僕は行動の原理を紐解いていく。

 人のことは言えないくらいに、僕だって理屈っぽい。


「だから、そのお礼はこのお弁当でチャラってことで。おいしかったよ、ありがとう」

「どう……いたしまして」

「洗って返すから、お弁当箱は一日借りるね」

「いえ、私の分と一緒に洗うから大丈夫よ。その代わりと言っては何だけど……私が食べ終わるまで一緒にいてくれないかしら」


 代わりも何ももとよりそのつもりだった。

 先に食べ終わったからバイバイするほど薄情ではない。


 階段の最上段に腰掛けながら、もぐもぐと小動物のように小さく咀嚼をする須凍は寡黙だった。

 美人という噂が流布するくらいには、そりゃもう。

 ただその一方で、凄い気迫を出していた。


 ちょうど聞こえるくらいの小声で「好き……どうして?」と検索サジェストのような言葉を何度か呟いている。

 僕のことが好きな理由を須凍さんなりに考えているんだろう。

 好きな理由を考える時点で好きじゃないんじゃないか、というのは察しても黙っているべきだと考え、僕は無言で彼女の思考を見守る。


 そして黙ること十分。

 須凍さんはお弁当箱最後の一口を口に運ぶのを粘りに粘って、アディショナルタイムの二分間をフルに使ったのちに、ようやく口を開いた。


「夜墨君の質問に今答えるのは難しいわね……」

「やっぱり?」

「でも、落胆しないで欲しいの。夜墨君のことは“スキ”なのよ」


 取り繕うでもなく、須凍は自分の言葉をその小さい口で咀嚼しながら飲み下ろす。


「私は間違ったことを言っているつもりはないわ。私の“魂”に誓ってそう言える」


 きっと須凍は予習復習を欠かさないタイプの真面目だ。

 少し伏せていた顔を上げて、お弁当箱を閉じてから僕に向き直る。

 いつもの無表情から少し変わって、真面目な顔で。


「だから……これはお願いなんだけれど、私の好奇心(・・・)に付き合ってくれない?」

「好奇心に……付き合う?」


「どうして私が夜墨君のことが“スキ”なのか、知りたいの。夜墨君としばらく一緒に居たら知れると思うのよ」

「はぁ」

「だから……私と、たまにこうやって会話して、こうして夜墨君に“スキ”であることを証明するから、その証明が正しいかどうかを聞いてほしいのよ」


 たどたどしくもまどろっこしい説明だけど、それは要するに。


「そんないい方しなくても……それって友達になってほしいってことじゃなくて?」

「そういう会話ができる間柄のことを友達というのなら、そういうことね」


 少しだけ顔を赤らめて、須凍は僕に頭を下げる。


「そんな丁寧にならなくていいって……須凍のことはもう友達だと思ってるし」

「……本当?」

「本当。じゃなきゃこんなところに呼び出されて長々と話したりしないだろ」


 恋人ではなくとも、友達だとは思ってる。


「私、友達っていうのも初めてで……どう接したらいいのかわからないことがあるかもしれないけど……失礼なことがあったら指摘してくれると嬉しいわ」

「初めて、って……」


 友達がいなさそうだとは思っていたが、まさか初めてだとは。


「それから、見捨てて無視とかしないでくれるともっと嬉しい……」


 小声で祈るように呟いた言葉がずんとした重みをもって僕の心に染み込む。


「しないしない、しないから……」

「本当に!? 信じるわよ……?」


 キラキラした目で見られることに慣れてないから、目をそらしてしまいそうになる。

 ちょっとした星よりもずっと綺麗な輝きがそこにはあった。


「これからは……私と夜墨君の関係は“友達”ってことでいいのね」

「定義するようなもんじゃないぞ」

「そうなの?」


「ああ。こーいうのは曖昧なうちに定まっていくもんだろ」


 格好つけて須凍に言ったはいいものの、僕だってさしたる人生経験があるわけじゃない。



「じゃあ、これから……昼休み、ここに集合ってことでどうかしら?」


 チャイムが鳴る二分前。

 夜墨は二人分のお弁当箱を纏めてランチョンセットの中に詰め込みながらそう言った。


「なんでわざわざここに?」

「だって……教室で話しにくいじゃない。あ……でも、そうよね!」


 何かに気付いた須凍がポンと手を打った。


「“友達”だから教室で話すのも普通よね」

「友達じゃなくても普通だと思うけど」


 僕の適切な突込みは須凍のスルーにより風を切り。


「ちょっと頑張って……話しかけてみようと思うわ――明日から!」


 こうして須凍と友達になった僕は――これから教室で一目置かれるようになることを、まだこの時は知らなかった。

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