第2話(上) スキの前にまず友達から

 須凍有沙。

 彼女が初めて“氷の一匹狼”の片鱗を見せたのは四月の初め――入学してすぐのことだった。


 誰も彼もが仲良くなれそうな友達を探して、あるいは同じ中学校から進学してきた人を見つけて、じんわりと高校生活という氷山に溶け込み始めている頃。

 須凍有沙は誰とも会話を交わさなかった。


 正確には何人か須凍と話そうとした人が居たのだが――。


 例えば後にクラス委員長になる秋月さんが話しかけた時なんかは、こんな感じだった。


「あ、あのっ! 私、秋月旭って言うんだけど……えっと……須凍さん、だよね?」

「ええ。私は須凍有沙。以後お見知りおきを」

「綺麗な銀髪だよね……それって地毛?」

「地毛よ」


「……あ、その、綺麗だね!」

「ありがとう。……ええと……ところで、何の用かしら?」

「え、えっと……ん、いや、何でもない!!」


 と、こんな具合に会話が滞りまくり、最終的に委員長は泣きながら帰ってきた。


 秋月は明るくて元気溌剌な女子なのだが――須凍の目の前では言葉も碌に出てこなかったらしい。


「なんか……“圧”がすごいの!」


 と秋月は語り、その言葉が大量の尾ひれをつけてクラス内に伝播しまくった結果が今の“氷の一匹狼”と呼ばれる所以ゆえんになっている。


 当時の須凍の印象は、少し“浮いている”一人ぼっちの美少女、だった。

 ミステリアスで何を考えているのか分からない。


 授業中に先生に指名された時も、彼女はいつだって淀みなく答える。

 授業態度は当然二重丸だし、この間張り出されていた中間テストの点数も、数学IA、化学基礎ではほぼ満点をマークしていた。


 “勉強熱心で近寄りがたい美少女“というだけでも近寄り難いのだが――”氷の一匹狼“を決定づけたエピソードがある。


 六月の半ば。

 僕たちが通う私立晴栄高等学校の校舎裏の茂みで、誰かが犬を発見した。

 学校の裏には広大な雑木林が林立しており、時折猫やら蛇やらが遊びに来るのは日常茶飯事ではあるらしいのだが――犬とは。


 と、まぁ可愛いトイプードルから柴犬くらいのものを皆考えていたのだが。


 体育の前の休み時間、靴を履き替えようと通りがかった玄関口で――僕は大きな悲鳴を聞いた。

 慌てて靴を履いてその悲鳴のもとに駆け付けていくと――校門の前に、がっつり巨大な犬が鎮座していた。


 薄く白い毛並みを逆立てて、敵愾心を隠そうともしない犬。

 犬種はシベリアンハスキーか。


 グルルル、と威嚇を続ける犬が一匹。

 少し離れたところで腰を抜かす秋月さんと、クラスメイト達。


 そして――犬に対して果敢にも近づいていく生徒が一人。


「危険だよ――離れて! 須凍さん!」


 秋月さんが、犬に近づく生徒――須凍に対して叫ぶが、須凍はその言葉を聞き入れようとしない。


 グルルル――ガッ!

 わんわんと鳴く、よく聞く犬の鳴き声とは全く違う、重く響く暴力のうねりのような音だった。


 だけど、須凍はそんな強めの威嚇をものともせず、まっすぐに近づいていった。


 須凍は威嚇するでもなく、ただ冷たく笑って犬に近づき――そして、犬は正門から尻尾を巻いて逃げて行った。

 どうして逃げていったのか、傍から見ていても分かった。

 ――不敵に笑う須凍に怯えていた。


「ああ……逃げられた」


 ぽつりと、静まり返った門の前で須凍は一言呟く。


 その瞬間を、クラスの誰かが一枚の写真に収めていた。

 そこに映し出されていたのは――怯える犬と、凍えるように冷たい表情の須凍。


 その写真が新聞部によって回収され――全校に向かってその写真が発信された。

 それ以来、須凍は学校内で“氷の一匹狼”としての称号を手に入れることになる。


 †


 須凍さんに告白(?)された翌日、の、さらに次の日。


 教室に到着するなり、朝から須凍さんが僕を睨みつけてきた。

 須凍さんの席は最後列窓際だが、僕の席は前から二番目のやや廊下よりの席。とても黒板が見やすい、勉強に専念できる席だ。


 須凍さんが睨んでいるのは知っているが……だからと言ってこちらから話しかけに行くのは違う気がして、僕はスルーを決め込むことにした。


「ねぇ夜墨っち……おーかみさんに喧嘩でも売った?」

「なわけ」


 おは! と声をかけてから小声で俺に耳口してきたのは、クラスメイトの日向夏海。

 同じ中学校から進学しており、驚くべきことに夏海とは中学から数えて4年連続同じクラスになっている。


 ショートカットで元気溌剌。スカートも短めだが、遭遇するタイミングでは代替ジャージを着ている印象がある。

 スポーツが万能だが、本人曰く「器用貧乏」だそう。

 部活は文化部をコンプリートする勢いで掛け持ちしており、いろんな部活に顔を出しては楽しんでいる。

 ……煙たがられていないかどうか、正直不安ではある。


 三年間同じクラスにいれば流石に話す機会には事欠かない。

 中学に通っていた頃はあまりにも同じクラス、同じ班、同じチームに組まされることが多く、付き合ってるんだろというあらぬ誤解を受けたりもした。

 だが、結局彼女はそんなからかいにもめげず、僕と距離を取ることもなく未だに友好的な友達関係を築いている。ありがたい限りだ。


「狼さんに喧嘩を売ったつもりはないよ、狙われてるだけ」

「食べられちゃうの!?」

「そうならないように願っててくれ」


 ちらりと僕は教室の後方を見ると、須凍と視線が合った。

 同時に氷の一匹狼が僕を睨んでいるという状況にクラス中が異変を察知し、僕に注目が集まっていた。


 そんな異変に気付いた狼さん、もとい須凍はちいさく咳払いしてから手元に置いてある水色のブックカバーを付けた文庫本に目を落とす。

 いつも通りの凛とした須凍に元通りだ。


「ありゃ、でもあの感じ、絶対夜墨っちに気があるんだと思うんだけど」

「なんでもコイバナに結び付ければいいってもんじゃないよ、それで僕らも中学時代痛い目見ただろ」

「……嫌な思い出、だった?」


 僕と目を合わさずに、夏海は聞いてくる。


「いや? むしろいい思い出だろ。役得ってね」

「あーあ、それにしても私の次はおーかみさんなんだねぇ~。夜墨っち女の子とっかえひっかえしてプレイボーイなの? ちょっとは自重したほうがいいよ!」

「お前と付き合ってたことはないし、須凍とはそういう関係でもないから」


 夏海に向かって否定したときに、須凍が視界の端で席を立つのが目に入った。


「そういう関係じゃないってことは……つまり! おーかみさんとなんかちょっとでも関わりがあったってことだね! 名探偵夏海ちゃんの目はごまかせないよ!」


 だだん! という効果音が後ろで鳴りそうな夏海の言葉に、クラス中が静かになる。


 同時に、夏海の後ろで須凍が佇んでいた。

 いつもの表情で、何を言うわけでもなく。

 夏海はその姿に気づいていない様子だ。


「その辺歩いてたら偶然会ったってだけだよ」

「だからって! 知り合いと出会ったところで夜墨っち挨拶すら返してくれないじゃん!」

「それはお前がジャージのまま公園の遊具で遊んでるからだろ……」


 同じ学区というだけあって、それなりに高い頻度で夏海を見かける。

 知り合いには挨拶をしない、のではなく、夏海だから声をかけにくいというだけの話だ。


 とまぁ、俺たちが他愛もない会話をしていると――気付けば須凍は席に戻っていた。

 ……幽霊か何かか?


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