びっくりするほど不味かった。

小日向葵

びっくりするほど不味かった。

 「お前いつもその飴舐めてるな」


 ちさとが手に持つ小さな包み。僕の知らないブランドの、知らない味の飴。


 「好きなの?それ」

 「ううん、大嫌い」

 「なんだそれ」


 僕は首をかしげる。いつも舐めてるのに大嫌い?


 「でもいつも舐めてるじゃん」

 「うん」

 「なのに嫌い?」

 「そう」


 幼馴染のちさとは、いつの頃からかとてもそっけなくなった。僕が何かを尋ねても、口の中で飴をからころ言わせながら無表情のまま、全く乗り気でない返事をする。


 小学校低学年の頃はこうじゃなかったと思う。クラスが分かれて、男女であることを色々と意識させられて、それでも幼馴染だからと思っていたんだけれど……気が付いたらちさとは仏頂面で飴を舐める子になっていた。



 中学三年の夏、高校受験のために塾の臨時講習に通った僕は偶然……本当に偶然、街中で女子テニス部の子たちと笑って歩くちさとを見た。僕といる時とは全く違う、まぶしい笑顔だった。屈託のない笑顔のちさとなんて、僕はもう何年も見てはいなかったんだ。僕は呆然とした。そしてあのテニス部の女の子たちに嫉妬した。あんな笑顔を見せる相手がいるなんて。そして、それが僕でないことに絶望して、現実なんてこんなものかと諦めた。



 その日から僕はちさとに会おうとはしなかった。学校では避け、自宅では部屋に閉じこもって来襲から身を守った。父母も姉もそんな僕の態度に不審を抱いたようだったけれど、とにかく受験に集中したいんだという僕の前に深い追及はなかった。




 そうして僕は志望校に合格した。


 初登校してクラス分けの掲示を見た時に、僕はそこに予想外な名前を見つける。ちさと?……あいつは女子高志望じゃなかったのか?同姓同名の別人か?僕は内心じっとりとしたものを感じつつ、教室に入る。


 はたして、そこにいたのは飴玉を口に入れたままぶっきらぼうに手を振るちさとだった。




 「なんでその飴舐めてるんだ、嫌いなんだろ」

 「うん、嫌い」

 「じゃあなんで舐めてるんだよ」


 高校に入ってからと言うものの、ちさとは常に不愛想なまま僕にぴったりとくっついてきた。通学経路や住所から、クラスの面々には早々に幼馴染という関係が周知された。クラスメイトには特に冷やかされることもなく過ごしているけれど、いつまでも仏頂面で付いて来られても困る。


 「……舐めてないと、冷静になれないから」

 「冷静?」

 「そう、冷静。これを舐めてると、色々と抑えられる」

 「なんだかよく判んないな。不味いならやめたらいいじゃないか」


 放課後の、夕焼けに染まる教室には僕とちさとしかいない。遠くからどこかの運動部が、ランニングをする掛け声が聞こえる。

 ちさとはそっと下を向いた。


 「責任取れる?」

 「なんだそれ」

 「責任取れるかって聞いてるんだよ」

 「なんかよく判んないけどさ、そんな不景気な顔でいつまでもくっついて来られるくらいなら、責任でもなんでも取るよ。そんな飴やめてくれよ」

 「……判った」


 薄茶色のカーディガンのポケットからティッシュを取り出して、ぺっと飴を吐き捨てるちさと。ペットボトルの緑茶を口に含んで飲み干す。


 「……あんたのせいだからね」


 言うなりちさとは僕の胸に飛び込む。あまりのことに混乱する僕の唇に、ちさとはむしゃぶりついた。


 「なっ!?」

 「ずっと抑えてたんだ、ずっと、ずっと。不味い飴を舐めて」


 部活帰りだろうか、教室に戻って来たクラスメイトが僕たちを見て、ぎょっとした顔をして慌てて立ち去る。ちさとはちらりとそちらを見ただけで、また僕の唇を貪る。


 「止められないんだ、あんたの顔を見ると。こうしたい、こうしたいって欲望がどんどん沸いて来て。だからあの飴を舐めてたんだよ。あの不味い飴で、心のバランス取ってたんだよ」

 「判った、判ったから一旦止めよう。ストップストップ」

 「嫌だ。あんたが責任を取ると言った。飴をやめろと言った。だからもう私は我慢しないんだ。我慢なんかもうしてやらないんだ」


 僕は手探りでちさとのカーディガンのポケットを探った。固い手触りに行き当たる。僕はそれをそっと取り出して、包装紙の中からひとつ、ちさとの隙を盗んで自分の口に放り込む。

 なんとも言えない味が口の中に広がる。そしてちさとの舌が僕の口の中にねじ込まれ……そしてちさとはさっと口を離す。


 「!!」

 「落ち着けちさと。お前の気持ちはよく判った。だけどやっぱり、どこかで歯止めは必要だ。そうだろう?」


 ちさとはしばらく無言で僕の顔を見ていたが、やがてこくりと小さく頷いた。

 僕はちさとの頭を優しく撫でる。うっうっと肩を震わせていたちさとは、それから日が落ちるまで僕の胸の中で小さく泣き続けた。




 そうして、今は僕が舐めている。


 この飴は……びっくりするほど不味かった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

びっくりするほど不味かった。 小日向葵 @tsubasa-485

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説