第25話:Virtualの肉体
妙な感覚だった。体の中が溶けていくような、崩れていくような、喪失感。そのあと、むず痒いような、何かが生まれていく感覚がある。かさぶたが痒くて、剥がしたくなった感触を思い出した。
「――――ぁ」
悲鳴というほどの声は出ない。ただ、自分が別のものになる感覚がある。不快感とは違う、塗りつぶされることへの恐怖。これ、慣れるまでは結構かかりそうだな……そんなことを思っていたら、突然あらゆる感覚が切断され――直後、再接続された。
「うん。取りあえず大丈夫かな。ツキコくん、ヘルメット外して立てる?」
レグルスさんの声がする。違和感はあるが不快感はなくなった。閉じていた目を開くと、視界がぼんやりする。
「――うぇ。なぁんですかこれ、ぼやける」
「身体を作り替えたからね、違和感は出ると思う。モニタリングする限り、異常なところはないから、脳が適応すればたぶん大丈夫。魔力は消費し続けることになると思うけど……ま、無理はしないでいいからね、ゆっくりで」
レグルスさんはモニターを見ながらカタカタとキーボードを叩いている。
「……うん、目、治りました。大丈夫そう。立ってみます、ね。よいしょ……おぉ。なんか、全然違いますね、前のVtuberの身体と」
前の身体は明らかに実体ではない感覚だったが、今回は違う。自分の身体だ。
「うん。魔力で体そのものを変化させてるからね。あ、そうだ、モニターに映すね」
椅子の正面にあるモニターに映し出されたのは、まぎれもなく『天乃月子』。――わたくしだ。
ぺたり、と右の頬に触れてみる。普段の肉体と全く同じ。身体を動かす感覚、皮膚に触れた感触、触れられた感触。
「……当たり前ですが、これ、わたくしの身体ですね。前の身体は、作られた肉体を動かしている感じだったから、全然違います。……容姿や体形が変わってるから、結構違和感はありますね、やっぱり」
天原月乃より、天乃月子の方が女性らしい柔らかさのある肉体だ。動いたときの感覚が違う。それに、目が大きい。当たり前だが、光の入ってくる量が違う。こんなに眩しいものなのか。
「どうです、歌えそうですか?」
ソルさんがこちらを見つめながら笑みを浮かべる。わたくしも彼に微笑み返した。
「――はい、もちろんです!」
「じゃあ、さっそくだけど、試してみようか。ソルくん、今日エルメスさんも呼んでるんだよね?」
「えぇ、一時間くらいは色々調整いるかなと思ったんで、時間ずらして呼んでます。あとライラさんも来るそうで」
「えっ、お二人来るんですか」
「もちろん。実際、彼女たちに見てもらって、納得してもらえないとダメですからねぇ。きちんとしたクオリティで、ライブができるって。――そうしなきゃ、やる価値がないでしょ」
確かにその通りだ。わたくしはお披露目に備え、声を出し、身体を動かして違和感を少しずつ減らしていく。筋肉が動く感覚、疲労し、汗をかく感覚。魔力の身体とは違う、自分の身体としての感覚がある。そんなことをしていると、ドアが開き、エルメスさんとライラさんが部屋に入ってきた。
「やほ。来たよー」
「こんにちハー」
入ってきた二人に手を振る。ちなみに今のわたくしの格好はセーラー服である。ステージ衣装も考えないとな……。
「へぇ。……やっぱり見た目は普通の人間とはちょっと違う感じだけど、以前に比べると動きとか反応に全然違和感がなくなったね。これが新しい技術?」
エルメスさんがこちらをじいっと見ながら言った。
「はい。詳細はレグルスさんに聞いてもらうのが良いと思うんですけど、わたくしの身体そのものを、変化させてます」
「なるほド。声も多少変わってるネ。体形が変化したせいかナ?」
「あ、声変わってますか。それはよくわからなかったです」
「大きな変化じゃないけどネ。まぁ同じ人が声の出し方を変えタ、くらいの感覚だからそこまで違和感はないヨ」
なるほど。ある意味自然な変化ではあるか。
「さて、じゃあさっそく、歌と踊り、見せてみて?」
エルメスさんに促させるまま、部屋の中にあるステージに立つ。
「レグルスさん、音、流せます?」
「もちろん。私もしっかりモニタリングしておくからね。じゃあいくよ……スタート」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「はぁ、はぁ……ど、どうでした……?」
「うん。あのねぇ」
エルメスさんとライラさんは顔を見合わせ――そして、わたくしに向けて微笑んだ」
「よかった! 声も踊りも全然違和感なし! かわいかった。いやーいいね。これいけますライブ」
「うン! 良かっタ! ツキコちゃんでいるト、笑顔が良く出るネ、見てて気持ちがイイ」
「あ、ありがとうございます……!」
褒められた、嬉しい。最初は違和感があったけど、慣れたら歌も踊りも自然に出てきた。やっぱり練習は大事だね。
「いやあ、良かったです。これならライブ開催は問題なさそうなんで、告知とか諸々準備、本格的に進めていきましょう。……レグルスさん的には、何か問題ありました?」
ソルさんの言葉にレグルスさんが少し顔を曇らせる。
「動きも声も、肉体的には何にも問題はないね。ただ、魔力が、ね」
「……魔力? そういえば、肉体を維持するのに魔力がいるって言ってましたっけ?」
「そう。肉体が変化している状態を維持するために魔力が必要なんだけど……その量が、思った以上に多かった。今はこの研究所から魔力を供給してるんだけど、それでもギリギリ。ライブ会場で、さらに四曲もあるってことだから、魔力を何とか調達する手段が必要になるね……」
なるほど……そういう制約があるのか。……一つが解決したらまた別の問題、前途多難だなぁ。
「いや、それはたぶん、大丈夫だと思いますよ。魔力はその場で調達すればいいんですからねぇ」
レグルスさんにそう返したのはソルさんだ。……その場で?
「その場で調達、って言うのは?」
「元々ツキコさん、『歌唱魔術』を使う必要があるって話をしてたんですよね。その訓練もしてるんですけど、要は単なる歌だけじゃなくて魔術で観客に訴えようとしてまして」
そうだ。わたくし、歌いながら魔術も使わなきゃならないんだった。
「じゃあ余計魔力が必要なんじゃないの?」
「ええ。でも、アレがありますから。ほら、『Magic Word』。彼女が生み出した魔法にして、視聴者の応援を魔力に変える仕組み。アレと同じようなものをライブ会場に仕込みましょう。配信の視聴者からだけじゃたぶん足らない。実際にリアルで足を運んでくれた人の声援を、魔力に変える仕組み。それが構築できれば、ツキコさんの肉体維持も問題にはならないと思います」
ソルさんはあっさりと告げる。声援を、魔力に変える仕組み。それは――簡単にできるものなんだろうか?
「簡単に言うけど、声から魔力を抽出なんて現実的じゃないよ。使う側が意識的に魔力を送る術を使うか、無差別に魔力を吸い上げる装置を作れば似たようなことはできるだろうけど……」
「いや、それじゃあダメです。『Magic Word』と同じく、望んだ人の応援が、簡単に演者の力にできる。そういう仕組みが必要かと。まぁそれが難しいのは俺にも分かるんでね。ここはサクっとお願いしちゃいましょう」
「お願いって……誰にです?」
「そりゃもちろん『世界』さんですよ。なに、別に新しいことをするわけじゃない。『Magic Word』はコメントという媒体を使っていた。それが、リアルな声援になるだけですからね。システムを介さない分楽かもしれません」
「ええ……でも、それ、そんなに気軽に、頼めますかね? そもそもどうやって連絡を取れば……」
あの時は、リトライダンジョンのボスを倒すことだけを考え、配信を面白くすることに必死で、無我夢中に呼びかけた。あんな状況はなかなか作れないと思う。
「連絡手段はちょっと考えてみましょう。でも大丈夫。だって、『世界』は――あなたのファンですからねぇ。ライブ成功のために、きっと協力してくれると思いますよ」
ソルさんは気軽に言う。――まぁ、でも、そうか。世界ちゃん、わたくしの配信面白かったって言ってたし。スパチャくれたし。うん。何とかなる。何とか、しよう。だって初めてのライブだ。成功させるためにやれることは、何でもやってやる。そう決めたんだから。
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