第12話:覚悟

 白く、広い部屋。そこに現れたのは昨日ひどい目にあわされた大蜘蛛。


「ツキコちゃん、武器、どうする?」


 リクニスさんの言葉に一瞬迷うが。


「槍で!」


 前回のわたくしの選択は、間違っていなかったと思う。命を斬り裂き、奪う覚悟は、まだない。せいぜい貫き、押しのけ、払う程度が関の山、だ。


 槍を手に、蜘蛛と対峙した時、打ち合わせの時のリクニスさん達との会話を思い出した。


『――命を奪う覚悟って、どうやってすれば?』


『うーん。この世界に元々いる人ってさ、魔物イコール危険なもの、っていう認識が染みついていて、命を奪うことに対する躊躇があまりないんだよね。冒険者志望ならなおさら。だから……そこで躓くことはあんまり想定していなかったな』


 ――例えば、元の世界で飲食店などにネズミが出た際、殺せるか。きっとそういうことだろう。危険性を認識し、お店を、お客さんを守るためならできる人もいる一方、躊躇ってしまう場合もある。


『まぁ、生き物を殺すためには、理由が必要ですねぇ。欲、義務、責任、恨み、大義名分。ハードルを越えるためには推進力がいるもんですよ。なくてもできるのは狂人です。だから……あなたの中にある理由を探してみたらいいと思いますよ』


 ソルさんの言葉を反芻する。例えばお客さんを守る、という責任。店を汚されることへの恨み。害獣だから殺しても良い、という大義名分。なるほど。ネズミの場合は明白だ。では……今のわたくしの場合は?


『私の、理由……』


 先ほど答えは出なかった。天原月乃に、魔物を殺すような理由や動機はない。

 

 だけど『天乃月子』なら? わたくしは、何のために、魔物を殺すのか?


 目の前でこちらを見つめ、爪を構えてこちらに迫る蜘蛛、そして――コメントの閲覧用に配置されたディスプレイ。そこに映るのは。


『頑張れ、応援してます!』


『ファイトー』


『負けるなー』


 まだ見ぬ、人々からの声援。


 その声に答えるために? もちろん。それも間違いのない動機だ。でも、それだけじゃない。『天乃月子』なら。


「わたくしは、お前を倒す。だって――――そうじゃなきゃ、この配信、面白くならないから!」


 わたくしは、なりたてだけど配信者だから。視聴者のみんなを楽しませなきゃならない。だから、こんなところで止まれないんだ。


「とりゃああああああー!」


 他の人から見れば、拙い覚悟かもしれないけど、自分にとってはとても大切だ。だから、前の時よりも強く踏み出せる。


 力を込めて構えた槍の穂先は蜘蛛の頭部に突き立ち、そのまま貫通した。さすがに生命力が強い蜘蛛も動かなくなり――その姿が光に包まれて掻き消える。


「やっ……た?」


 呆然と立ち尽くす私の方が叩かれる。


「やったじゃん。まずは一勝、おめでとう、ツキコちゃん」


「ほんとですか! やったー!!!」


 少し大げさに、わかりやすく両手を上げてその場に飛びあがった。――でも、本当に、嬉しいんだよ。だって、みんな、盛り上がってくれているからね。


『うおおおおおお!』


『やったぁぁー!』


『いい攻撃!』


 コメントを見ているだけで、嬉しくなる。――少しでも、彼らを楽しませることができたのなら、よかった。それに、私自身、すごく達成感がある。


「あの蜘蛛、消えましたけど、実体じゃないんですね」


 死体が残るかと思ったが、このダンジョンでは消えるらしい。


「ああ、そうそう。このダンジョンの魔物って、魔力で作られた存在なんだよね基本」


「……それ、教えておいてもらえたら、もう少し気楽に倒せたかもしれないんですが」


「いやいや。生き物を、魔物を殺す覚悟は必要だよ、ツキコちゃん。何せ――ここは、君がいた世界とは違う。当たり前に、魔物と戦う機会があるんだから。その時のために、ね」


「――そうか、ここは、異世界でしたね」


 今更ながら、呟く。そうだ。ニセモノなのはダンジョンの中だけで、外には普通に魔物がいる。もしかしたらそれを、自らの手で殺さなくてはならないかもしれないんだ。


「ありがとうございます、先生。おかげてやっと、実感できました」


「よしよし。じゃあさっそく――次、行ってみようか」


「えっ?」


 た、確かにまだ配信が始まってから三十分にも満たない。せめてもう少し時間が欲しいところではあるが……。


「というわけで第二弾、ゴブリン!」


「ゴ、ゴブリン!?」


 私の前方に現れたのは、緑色の肌をし、棍棒を手にした小さな鬼のような魔物。大きさはやはり子供くらい。元の世界の創作物でも見たことがある姿だ。


「ゴブリン、知ってる?」


「は、はい! 女の人にいやらしいことをするというあの!」


「はっ? 違うよ!? 何そのイメージ!? 魔物の一種で、知性は子供並だけど残虐。別に異種族に性的興味を示すことはありません!」


「あれ!? おかしいな。わたくしの読んだ元の世界の物語ではそういう役割を担うことが多かったんですが……」


「なんか、読書経歴偏ってない? まぁ……とはいえ、武器も扱うし、さっきの蜘蛛より危険度は高い。そして何より……見た目が人間に近い魔物だ。さぁ、さっきみたいに、倒せるかな?」


 わたくしのゴブリン像がだいぶ偏っていたことを恥じつつ、真剣に目の前の魔物を見つめる。二足歩行をして道具を扱う、つまり知恵を持っている生物だ。例えるならば見た目がかわいくない猿。それを殺す。実体でないとはいえ、もう一歩踏み込んだ覚悟が必要となる。だが――。


「大丈夫です。覚悟はもう――済みましたから」


 そう。この迷いはもう、。命を奪う覚悟をするフェイズは終わったのだ。足踏みなんて、している暇はない。


 先ほどと同様に、槍を構え突進する。何の訓練も受けていない素人の動き。だが緑の魔物にその穂先は突き立った。

 

 躊躇なく、頭部を貫くつもりで突き出したのだが、さすがにゴブリンも回避行動はとる。当たったのは魔物の右肩。肉を裂き、噴き出す血液と共に大きな悲鳴が響いた。――覚悟はしていたけど、キツイな。蜘蛛はいくら大きくとも虫だが、ゴブリンは相手の場合は確実に『動物を傷つけている』という事実が、目と耳に突きつけられる。


 ゴブリンは悲鳴を上げた後、凄まじい形相でこちらを睨みつけると跳躍した。そして――手にした棍棒を思い切り、こちらに振り下ろしてくる! まずい。目では追えるが、身体が動かない。手は震えて、身体はこわばり、息は荒い。……ダメだ、心は準備できていても、何の準備も訓練も経験もない身体は、生まれて初めての暴力に、全く対応ができない。そして――。


 ゴッ! という鈍い音ともに、わたくしの意識は暗転する。あぁ……でも、これはこれで、ひとまずの取れ高には、なったかな……。


 流血沙汰で放送禁止の映像になっていないことを祈りつつ、私は地面に倒れこんだ。

 

 

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