少女、強くなる

 朝が来て、夜が来て、また夜が明けた。釜田剣之助かまたけんのすけ達が、八代近隣にある、内ノ原辺りの廃寺に宿ってから三日が過ぎた。西南の役から二週ほどしか経っていないので、八代の町にも、官軍や警官が駐屯していた。

 しかし、鹿児島城山に比べれば、異国のように平穏だ。軍隊が動けば、金が動く。町の民草は、官軍へ食糧物資だけでなく、娼婦を提供することで大儲けしていた。古今東西のお約束である。

 戦火が皆無というわけではなかったが、本格的な戦場にはならなかったので、町の被害も軽微である。昼は漁師や酒屋の元気な声、夜は電気ランタンのいかがわしい光で満たされていた。


 剣之助は、雀の鳴き声に起こされた。ゆっくりと、熟睡したのはいつ振りだろうか。少なくとも、鹿児島にいる間は、山犬が小枝を折る音でも跳び起きていた。

 外に出れば、秋晴れの朝である。繁茂した樹木の間から、薄い木漏れ日が注いでいた。剣之助は、廃寺の近くをゆく小川で水を汲んだ。牟田滝から流れてくる清冽は、ひどく透明であった。寺まで戻ると、彼は火を起こして米を炊き始めた。

 剣之助が焚火の様子を見ていると、後ろから早瀬真蔵はやせしんぞうが声を掛けてきた。


「早いな、釜田。何をしているのだ……飯の支度か?」

「そうだ。今日は、俺の担当なのでな。高木先生の説明を聞いていなかったのか? 飯と宿直は輪番、洗濯は自前だ。朝餉と夕餉をまとめて炊くから、飯は宿直より楽ではあるが」


 剣之助は振り向きながら言った。真蔵は、今日も変わらず、不愉快な笑みを浮かべていた。彼を見上げると、針のような眼が更に細く見える。

 真蔵は剣之助の横にしゃがみ込み、


「どうせ、そなたのことだ。炊事などしたことがないのだろう。手伝ってやる」

「そういうお前はどうなのだ」

「俺が剣術だけの男と思っているのだろう。俺達は似た者同士だからな。だが、二人でやれば早く終わる」


 そう言って、真蔵は笊に生米を入れ、研ぐために川へ下っていった。六人分を目分量で注いだ素早さに、剣之助は思わず眼を瞠った。

 剣之助が火加減、真蔵が米の炊き加減を見、程なくして飯の支度が整った。その頃には、岡田成政おかだなりまさも起床して、高木玄蕃たかぎげんばと何か用談していた。藤田瑞喜ふじたみずきは、本堂の縁に座って何か書物を読んでいた。

 剣之助は辺りを見廻して、「薫は?」と真蔵に尋ねた。真蔵は肩をすくめ、


「知らんな。俺が起きた時には、まだ寝汚く眠っていたぞ」

「呆れた男だ、却って羨ましい」


  剣之助が溜息をつくと、それに呼応するように、暢気な少年が大口を開けながら、本堂から出て来た。剣之助は、怒る気も失せてしまった。


 食事を終えると、不意に、真蔵が瑞喜をじろりと見た。彼女は、凜と背筋を伸ばし、食事中も隙がない。真蔵の視線に気が付くと、訝しげに睨み返した。

 真蔵が何を言い出すのかと、一同が思っていると、


「おい、藤田。そなたは女だな?」

「はい、それが何か?」

「飯の支度や洗濯を俺達にやらせるつもりか? そういうのは女の仕事だ、解ったか」


 真蔵は傲然と吐き捨てて、煙管に火を付けた。わざわざ紫煙を瑞喜へ吹きかけるので、彼女は頗る不愉快そう。

 瑞喜の横に座っていた薫は、


「早瀬さん酷いですよ。どうして朝からお怒りなのですか。煙たいなぁ」

「小僧、覚えておけ。男には男の役目がある。同時に女にも女の役目が……」


 またご高説が始まりそうなのを見て、剣之助が真蔵の横から割り込んだ。


「早瀬、そう言うな。今はそんな一文の得にもならぬ、無用の口舌を動かしている場合ではない。そんな暇があるなら、一厘でも稼いでこい」

「ははは、小僧は不甲斐ないのは存じておったが、そなたまでとはな。俺はいつ、二人が死ぬのか心配だ」


 真蔵はそう言うと、煙管の火を消して立ち上がった。岡田は、彼に近隣の調査を命じていた。どうも真蔵は、誰かを愚弄しないと気が済まないらしい。

 真蔵が馬を走らせていくと、高木も、周囲の村落を調べにいった。今年、齢六十になろうかというのに、老翁は身体に鞭を打っている。

 

 暫くして、岡田は剣之助を呼び寄せて、


「剣之助、お前は薫を連れて、八代の町へ向かってくれ。打粉や丁子油などの買出しだ。ついでに何か、銭を稼げそうな情報や噂がないか、探るのだ。良いな」

「御意。輜重を使ってもよろしいですか?」

「勿論だ。ああ、そうだ。瑞喜君も一緒に同行させてやってくれ。あれも、ずっと宿所にいては気分が晴れぬだろう」

「承知しました。薫、薫! 出掛けるぞっ」


 柔らかな草の上で寝そべっていた薫は、その声に駭然として跳ね起きた。狂騒しながらも彼は、すぐに準備を整えた。

 薫には瑞喜を呼びに行かせ、剣之助は馬を引いて輜重に繋いだ。


 ガラガラと車輪が鳴る。使い古された物なので、乗り心地は極めて悪い。薫は剣之助の右で、情けない声を出していた。

 瑞喜は泰然自若とし、荷台の方で跪座していた。余り、口を開かない。剣之助は、彼女に向かって、


「瑞喜君は、俺達と共にいるのはお嫌いか? いつも顰め面だ」

「……いいえ。ただ、弱い者として扱われるのが嫌いなだけでございます。これ以上、侮られては狂いそうです。わたくしだって、働けます」

「宿営を整えるのも立派な務めであろう」

「勿論、わたくしが担当の時はさせて頂きますが、他のこと、即ち剣戟に参加したい所存です」


 薫は眼を皿のようにして、瑞喜の方を振り向いた。そして、早口にこう述べた。


「駄目ですよっ。僕でさえ、死にかけたのですから。瑞喜さん、まるで柳のようなのですから、すぐに斃されてしまいますよ」

「薫殿。根拠無き断定はお辞めください。わたくしは狩りも出来ますし、剣術の心得もあります。流派は直心影流」

「道場で如何に強者であったとしても、実戦は違います」

「では、実戦とは逃げ回ったり不意討ちしたりするのが極意ですか?」


 皮肉を言われ、薫は顔を真っ赤にして沈黙した。剣之助は、二人のやり取りを聞いて、笑いを噛み殺していた。

 しかし、敢えて瑞喜の志願は否定せず、


「まあ良い。だが、剣技が弱いだの戦えないだので、物の役に経つかは決まらぬ。皆、それぞれに役割がある。覚えておけ」


 と、言った。


 ――八代の町に到着したのは、一刻ほど経ってからだった。昼前なので、通りは殊に賑わっていた。日用品の店、蕎麦の屋台、呉服屋、酒屋など、種々雑多な店が並んでいる。

 剣之助は、商店が軒を連ねる道の空き地に輜重を止め、薫と瑞喜を調達に向かわせた。彼は、町を歩きつつ、情報を収集するつもりである。人叢の中、飯屋、居酒屋……噂の出所は幾らでもある。


 半刻後、剣之助は薫達の待つ空き地へ向かった。めぼしい噂は二つあった。

 一つ目は、近日中に球磨川を下ってくる旅客船。鹿児島から避難する金持ちが乗っているという。二つ目は、政商が試験的に設けた銀行だ。

 いずれも襲撃すれば金になる。剣之助は、岡田と高木に報告すべく、紙にそれらを書き留めた。


 空き地に戻ってみると、瑞喜の服装が変わっていた。矢絣模様の小袖に武者袴を着け、西洋のブーツを履いている。そして帯には、鈴が付いた脇差――堀川国広――を差していた。

 遙か離れた、東京府の女学生のような格好に、剣之助は一瞬、人が変わったのかと思った程だ。

 剣之助は二人に近付いて、


「待たせたな。瑞喜君、見違えたな。似合っているぞ」

わたくしの家から持ち出したゲルマン札で購入したものです。皆で共用するお金には手を付けておりませんので、ご安心ください」

「ウム。岡田殿から預かった金だが、余った分は好きに使って良いとお許しを頂いておる。もう午の刻……いや、十二時だ。飯でも食べに行こう」


 薫はそれを聞いて、跳ねるようにして喜んだ。瑞喜も新しい服を手に入れてご満悦らしく、久方ぶりに微笑んだ。

 三人は、近くにあった一膳飯屋に入った。これは、町や宿場にあった簡易食堂である。飯、豆腐汁、煮染めが素早く三人に饗された。

 瑞喜は箸を動かしながら、薫と語らった。剣之助は、食事中は啞のように沈黙する。


わたくしは薫殿が想像なさっているような、お淑やかな深窓の姫君ではありません。生け花やお琴の稽古も皆無です」

「でしょうね。今の姿を見たら、道場にいる瑞喜さんが目に浮かんでくるようです。瑞喜さんが誰かの祝言を挙げたら、良人の妾の家を破壊しそうです」

「北条政子の真似事は致しません。只、良人の首を刎ねるのみです」


 物騒極まりない発言に、薫は返答に困惑した。剣之助は内心、(意外に多弁な女だ)などと考えていた。


 その時、暖簾に腕押しして、男が四人入って来た。無頼漢か博徒らしく、まだ陽も高いのに酩酊していた。飯屋の中にいた者達は閉口し、因縁を避けようと眼を背けた。

 すると、彼らの一人が瑞喜を見つけ、大胆不敵に絡み出した。卓の反対側にいても漂って来る酒の臭いに、剣之助は思わず眼を顰めた。

 男は瑞喜の肩に手を廻し、呂律回らぬ舌で口説き文句を述べている。瑞喜は耳の無い人のように無視していた。やがて苛立ったのか、男は、彼女の胸を掴もうとした――が、


「なぁんだ、全然胸がねぇ」

「無礼者!」


 と、瑞喜は男の顔に手拳を見舞い、仮借無く床に投げつけた。それを見て、彼の仲間が憤激し、と彼女に跳び掛かる。

 瑞喜は足を上げ、横の卓を蹴った。卓が飛ぶ。無防備な男の顔に当たり、彼は堪らず気絶した。二人が、短刀を抜く。死身の立合。瑞喜は、身じろぎしない。代わりに、気を放った。

 躊躇せず、一人が踏み込む。瑞喜は前に跳躍した。敵の懐に潜り、拳で突いた。鈍い音と唸りを出して、男は悶絶して倒れ伏す。瑞喜は、全く声を発しない。しかし、殺気。彼女の殺気が、その場を支配した。


 瑞喜は、最後の者を睥睨した。猫目から発せられる眼光は、刃よりも鋭く見える。男はすっかり怖れを成し、一も二も無く逃げ出した。

 剣之助は入り口に立ち塞がった。「退け!」と男が短刀で突き込んだ。剣之助は後ろに跳んだ。男の右手めて。そこに手強く手刀を当てた。

 骨を折られた男は、眼を廻して昏倒した。剣之助は瑞喜に近付き、


「強いではないか。咄嗟に殴ったので、度肝を抜かれたぞ」

「ええ。如何に酔いどれでも、女の胸を許可無く触るのは無礼。斬り捨ててもよろしいですか?」

「いや、ポリスの眼を引く行動は避けろという御命令だ。こうしよう」


 剣之助は、四人を縛り上げて店先に放り出し、『八代の酒樽』と書き置きして放置した。

 瑞喜は清々した顔で輜重に乗り、誇らしげに胸を張っていた。薫は彼女の本性に顔を蒼白させ、半ば言葉を失っていた。

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