三菱商会何物ぞ

 彼方に見えた小さな影。漁民もいないので、それがひどく目立っていた。やがて、蒸気船の全影が見えてきた。軍艦とは比べるまでもないが、真っ黒な鯨のようである。

 水平線を割った蒸気船は、ゆっくりと錦江湾を辷ってくる。岡田成政おかだなりまさは、双眼鏡でそれを確認し、乗組員の人数を数えていた。

 釜田剣之助かまたけんのすけは、後方を見た。砂浜から離れた林の中に、高木玄蕃たかぎげんば藤田瑞喜ふじたみずきが、まるで祖父と孫の顔で立っていた。高木は剣之助に気が付くと片手を振り、瑞喜はペコリと頭を下げた。


 岡田は馬の鞄から、回転式の拳銃を三つ取り出した。官軍から奪い取ったものの余りである。彼は、それを剣之助達に手渡しつつ、


「弾は各自、六十しか無いが、護身用には十分だろう。無駄撃ちは控えよ……特に薫」


 佐藤薫さとうかおるは目を輝かせ、弾けるばかりの笑顔である。撃鉄を起こしたり落としたり、引き金をカチカチ鳴らしていた。新しい玩具を買ってもらった子供のように、それをじっくりと見廻している。

 早瀬真蔵はやせしんぞうは何も言わず、クルクルと拳銃を指先で廻し、不意に、剣之助に突き付けた。剣之助が彼に、侮蔑たっぷりの流し目を送ると、彼は哄笑し、


「ははは、冗談だ。釜田、弾倉を紛失したり、銃で刀を受け止めたりしてはいかんぞ。お前は剣術は抜群だが、土州の浪人のようになりかねん」

「お前こそ、彼方此方撃ちまくって、味方の背中を撃たないようにして欲しいな。撃つならお前自身の眉間にしろ」

「相変わらず不愉快な男だ。岡田殿、硝薬はありますか?」


 相変わらず、真蔵の細い目は殆ど動かない。顔の下半分だけが働いているようである。

 彼の声に応じ、岡田は筒状のものを、彼に投げ渡した。薫が不思議そうな顔で、


「何ですかそれ? 尺八ですか」

「莫迦、そんな筈がないだろう。ダイナマイトと云う代物で、中には硝薬が詰められている。携帯出来る砲弾で、異国から輸入されたものだ。国内では作れん。真蔵には、これで舵を壊してもらう」

「そうなんですか。暴れたい早瀬さんにはお似合いですね」


 薫が真面目な顔で言ったので、剣之助は思わず吹きだした。いくら言っても口の減らない歳頃だ。

 真蔵は、頗る不愉快な冗談と笑いを聞いて、薫の頭を後ろから銃床で撲りつけた。薫は涙目で怒りだし、何か早口で抗議した。

 すると、岡田が大声で、


「皆の者! もう来るぞ。準備しろ、計画通りに動けっ」


 と、素早く下知をしたので、他の者も慌てて、口元を三尺手拭で覆った。馬から降りて、漁村から拝借した小舟に乗る。


 船が、煙を吐きながら近付いて来た。計画書に依れば、乗組員は約五十人。その内、武装した者は二十人。素早く行動すれば、船を制圧出来るだろう。裏を返せば、制圧しないと不利になるということである。

 真蔵は両手を擦り合わせ、「いよいよだな」とほくそ笑んだ。

 船が、投錨した。


 それを見て、剣之助は櫓韻微かに、しかし力強く漕ぎだした。四人乗りの舟は、速魚のように水面をゆく。

 音も無く錨まで近付き、まず、岡田、剣之助、薫が錨鎖を素早く登った。先頭で甲板に跳び込んだのは岡田である。

 見張りの者は「あッ」という間も無く、岡田に喉を斬り裂かれた。そやつを海に投げ込むと、入れ替わりに剣之助が登ってきた。


「流石の腕前ですな。少し驚きました」

「喜ぶのはまだ早い。真蔵が仕事を終えたら、すぐに斬り込むぞ」

「あ、上がれない、上がれないです」


 情けなく高い声がしたので、剣之助が振り向くと、薫の白い両手が見えた。剣之助は呆れ返り、


「そのまま終わるまで、そこにいても良いぞ」

「冗談じゃありませんよっ。引き上げて、いや、引き上げて頂きたいです」

「解った解った」


 と、剣之助が薫を引き上げた瞬間、轟然と耳を劈く音がして世界が揺れた。船尾の方から赤々とした炎と真っ黒な煙が見える。

 乗組員達は右往左往、ぶつかり合ったり転んだりしていた。警備の者達も何事かと狼狽した様子だが、襲撃だとは思っていない。

 剣之助達が隠れている船首に水夫が一人来た。剣之助はすかさず、備前兼光を鞘走らせ、「動くな」と低い声音で言った。

 

 彼は水夫を後ろから引っ掴み、喉元に刀を突き付けながら、帆柱の方に歩いていった。岡田が彼の後ろから、意気軒昂に拳銃を持ち、


「諸君! 我々は大義の為、貴船に乗り込んだものである。大人しくしていれば、武士の情け、誰も殺さぬっ。キャプテン殿は何処いずこにありや!」

「おのれ、酔狂な鼠賊め!」


 と、一人の者が大刀を構えて躍ってきた。岡田はそれを見据え、無慈悲に引き金を引いた。

 ドン――と鼓膜を揺さぶる音と火薬の臭い。その者は、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。剣之助は、改めて銃の威力に驚いた。すると、船尾から、真蔵が静かに登ってきた。

 剣之助は彼に、「騒ぐな」と目で合図したが、彼はニヤリと不快な笑みを見せた。同時に、後ろから武器を持った者に向かって発砲した。


 二人も味方を斃されて、武装した者の赫怒は、頂点に達したらしい。一斉にギラリと刀を抜いて、じりじりと剣之助達に迫ってくる。

 是非も無い! 剣之助は舌打ちし、人質を突き飛ばした。人質が蹌踉け込んだので、敵に寸隙が発生する。転瞬、剣之助は跳足し、一人の首を斬り飛ばす。返す刀。左にいた者の、肋まで斬り下げた。

 重囲である。剣之助の眼前から、上段で敵が跳び込んだ。剣之助、跳躍。相手がつんのめった。兼光の刃光ひかりが、頭蓋を二つに割った。右に殺気。剣之助は身を開き、敵の刃を躱した。同時に膝を上げ、そやつの脾腹へ蹴り込んだ。怯んだ隙に刀を上げ、そやつの腕を斬り飛ばす。


 更に敵、敵。剣之助は、大きく息を吸った。見廻せば、敵にも僅かに心得はあるらしい。士族だろう。士族が今や、商人に顎で使われている。

 もう一度、跳んだ。着地と同時に、二人の腰車を斬った。奥から刀。戛然と刃が触れ合い、火華が散り、息が出る。こうなると、敵も隙間無く襲ってくる。殺気と気合が谺した。

 斬れば斬る程、全身に血が廻る。両手、両脚、双眸が熱くなる。それらが本当に自分のものになるのだ。眼前に一人。袈裟を狙って斬りつけてきた。剣之助は敢えて、彼の懐に跳び込んで、心の臓を貫いた。


 一人は容易いが、五人も六人もいれば別である。いつしか、欄干に追い詰められていた。車輪のような刃に囲繞されている。敵は、六人。

 奥では、早瀬が、警備の者も乗組員も関係無く、斬り捨てていた。彼は返り血で、赤鬼のようである。薫は韋駄天の如く逃げ回りながら、何とか三人と斬り合っていた。

 剣之助は、青眼に構え直した。敵が、距離を詰めてくる。


「……」


 備前兼光が、陽光を吸って、輝いた。剣之助の鋭い眼光にも似ている。

 命の危急。剣之助は敵を睨み、瞬きを忘れた。視界が、白黒になった。世界が、遅くなった。

 剣光が走り、同時に彼は、男六人の斜め後ろにいた。彼が血振りをした瞬間、六人が殆ど一斉に、黒血と共にぶっ斃れた。


 剣之助がと一息つくと、警備は、粗方片付いたらしい。

 真蔵は、四人に囲まれていたが、一人に右手めての小太刀を投げつけて、三人が驚いた隙をつき、二人の頸動脈を切断する。逃げようとした最後の者も、わざわざ追い掛けて頭蓋を割った。

 剣之助が薫を捜すと、彼は船尾まで逃げて、三人に追い詰められている。剣之助が助力に行こうとすると、岡田が、


「おい! 銃だ、銃を使え!」


 それを聞いて、薫は帯から拳銃を取り出した。弾は装填されている。

 振り向きざま、彼は引き金を引いた。銃声が反響し、一人が左胸から血を噴き出して斃れ伏す。薫は、もう無我夢中である。二発目、三発目を発砲し、寸分違わず、残りの敵も射殺した。

 剣之助は薫に駆け寄って、彼を助け起こしつつ、


「意外だな。銃を撃ったことがあるのか?」

「ありませんよ……。でも、良かったです」


 岡田は、すっかり怯えてしまった乗組員達を集め、真蔵に命じて、五人単位で縛り上げさせた。そして、威儀に溢れた佇まいで、


「ウム。今見た通り、わしの部下達は剣術も優れているし、あの子は銃が巧い。諸君らが、如何に抵抗しても無駄である。キャプテン殿をこれへ」


 真蔵が、震え上がった船長を引き摺ってきた。岡田は、彼に鼻先を近付けて、


「良いか? わしらは、常に死を覚悟しておる。士道を心得るものは、常に死んだものだと思っているからこそ、このような大事が出来るのだ」

「お、お前達……この船が誰の御船か解っているのか」

「ふふふ。三菱商会だったか。武士のくせに、政府に阿った政商など、怖れるに足らぬ」

「ひ……ひい」

「だが、そなたらは武士ではない。だから、命令を聞けば情けを掛けてしんぜよう。わしらは商人と違って、嘘はつかぬ。の字、の字、キャプテン殿に、船倉へ案内して頂け」


 「来い」と真蔵は、船長に小太刀を突き付けて、船倉へ歩かせた。

 船倉まで降りてくると、船長はガタガタ震えながら、


「か、勘弁してください……。お、お金を奪われたら、私は御役御免、クビです」

「ならば、此処でそなたを首にしてやろうか? 黙って開けろっ」


 と、剣之助は船長を平手打ちし、船倉の扉を開けさせた。

 中は、薄暗かった。僅かに設けられた窓から、形だけ平穏な陽光が差し込んでいる。食べ物の入った箱や飲み水の樽、書類の束が至る所に散在していた。

 剣之助は更に船長を脅し、奥にある金庫を解錠させ、柄頭で彼を気絶させてしまった。真蔵は、金庫に頭を突っ込んで、


「オオ、見ろ釜田っ。金だ、十円札の束だっ。ははは、これは良い」

「確り、太政官札や債券も持っていくのだぞ。それが目的だ」

「解っておる、そう急かすな。おい、その男は斬らないのか」


 と、真蔵は、倒れている船長を指差した。まだ息はある。

 剣之助は、肩をすくめて笑い、


「もう抵抗はしないから良いだろう。斬るべきものは斬るが、そうでないものは殺さぬ。誰彼構わず殺すのは蛮勇だ。侍では無い」

「甘い男だ。知らんぞ」


 そう言って、真蔵は近くにあった巾着を取り、奪ったものを詰め込んだ。いつの間にか、酒まで開けていた。

 

 船長を船底に閉じ込めて、剣之助と真蔵は甲板に上がった。暗がりからいきなり戻ったので、流石に少し眼が眩む。

 岡田は、剣之助が手渡した債券を見、満足そうに彼の肩を叩いた。そして、拘束された連中を顧みて、


「では、わしらはここで失礼仕る。遭難事故にでも遭ったと思ってくだされ――と頭取の岩崎殿には伝えておくように。皆の者、帰るぞっ」


 剣之助達は、救命筏を下ろして乗り込んだ。乗組員達は、血に染まった甲板の上で、恨めしそうに一行を見送った。


 ――無事に戻って来た剣之助達を見て、高木は安心した表情をした。しかし、すぐに憂いの顔を見せ、


「本当にやってしまったな。もうこの県にはいられまい」

「だが、金は手に入ったぞ、高木殿。次は何処へ行くかだ」

「はあ……。隣の熊本県に行こう。熊本城下は暗澹としているが、八代の辺りはまだ戦禍を避けた。そこに避難している連中は多いから、私達も紛れ込もう。人目に付かぬ場所の見当はつけてある」

「参謀は高木殿だ。任せる」


 そう言って彼は、口笛を吹いて馬を呼んだ。

 剣之助も鞍上の人となり、一行は、追手が来る前に、北を指して人無き廣野を歩いていった。

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