襲撃支度

 官軍の輜重隊を襲ってから数日後、釜田剣之助かまたけんのすけ達は、日木山川を越え、鶏冠山の中にある打ち棄てられたお堂に潜伏していた。雨漏りは酷いし、壁には穴も空いているが、麓からは叢生した雑木林で見えにくく、人も滅多に来ない場所である。

 彼らがいる場所から少し登ってゆけば、開けた場所がある。そこからは、眼下に黒川岬の深藍色の海や輝く砂浜、彼方に、いつも怒っているような噴煙を上げる桜島、雄大で美しい自然の景色が一望出来た。

 今朝は、風が西北いぬいで、寒さは感じない。剣之助はお堂の中で眠っていたが、雀の啼く声で起き出した。彼は床で痛んだ身体を伸ばしつつ、外に出、湧き水で顔を洗った。全く望まぬ形での枕石漱流である。


 黒髪を漱いで布で乾かし、いつもの総髪に結び直す。髪質と色合いだけは、誰にも劣らぬと自負していた。

 後ろから、高い声で大欠伸をしながら、佐藤薫さとうかおるが歩いて来た。欠伸をしている彼の顔は、いつにも増して小犬のようである。

 剣之助は、彼の半醒半睡の醜態を見て、


「随分、締まりの無い面だ。昨日、宿直では無かっただろう?」

「いや、眠りましたけど、今、瑞喜さんに起こされてしまって……」

「いつも通り図太くて、安心したよ。故郷くににいた時と変わらん。岡田殿は?」

「さっき、上の方に、早瀬さんと偵察に行きました」


 そう言って、薫は湧き水で口を濯いだ。顔を洗った後、二重の眼を瞬きながら、清冽を虚ろに見つつ、


「僕達、いつまでこんな生活を続けるのでしょうか? ずっと逃げ続けるわけにはいかないですよね?」

「岡田殿があれこれ計画しておられる。今は岡田殿が、我々の主君だ。武士たるもの、仕えるべき主君への忠義が第一だ。それに、敵に捕えられて、敗残兵として獄門など、この上無い恥だ」

「それはそうですけど……。凄く不安なんです。母上も今頃、どうしていらっしゃるか……」


 薫は沈鬱とした表情で肩を落とした。無理もない。僅かに二十日前、十四歳になったばかりの少年なのだ。両親と兄がいたが、戊辰の戦の折、父と兄は官軍の兵となり、長岡で戦死した。

 女手一つで育ててくれた母に無断で、功名心と若さに任せ、国許を飛びだしてきたが、今更憂いが湧いてきた。

 剣之助は、敢えて力強く微笑んで、彼の肩に手をやった。


「気を強く持つのだ。ここで死んでは犬死だ。死ぬべき時に死に、逃げるべき時には逃げるのだ。お前が死ぬべき場所を見つけるまで、俺が守ってやる」

「本当ですか」

「ウム。武士に二言はない」

 

 剣之助が頷くと、岡田成政おかだなりまさと、早瀬真蔵はやせしんぞうが、如何にも楽しそうな顔で、語らいながら降りて来た。

 岡田は、官軍から奪った鹿児島の地図を広げ、早速計画を練っていた。すると、年長の高木玄蕃たかぎげんばは、


「本当に襲うつもりなのか? 正気なのか、お前は」

「正気だとも。高木殿、まだ反対か?」

「反対ではないが、わざわざ目立ってどうする。ひとまず今は隠れて、後で奥州、いや東北へ向かおう。相手は政商だ、政府とも繋がりが深い。敵にしないのが得策だ」

「政府と結託しているから襲うのだ。金禄公債などと抜かしおって、わしらの収入の道を杜絶した挙句、政府に金を出す政商が、それを買い占められるように謀ったのだ。それに、地租を巻き上げて無辜の民を苦しめている。こんな不正と癒着を見て、行動しないのは士道に反するであろう」


 岡田の雄弁には、並大抵の者では敵わない。高木は確かに優秀な学者だが、口舌の才はない。忽ち岡田に反論出来なくなり、嘆息して沈黙した。 

 剣之助は、横から彼に、


「そう言えば、三菱商会とは何ですか、先生?」

「ああ、元土佐藩の岩崎弥太郎と云う男が造った会社だ。政府が侍の反抗を鎮圧する時、物資や兵員の輸送を引受けて、大儲けしたそうだ。今では、日本中の海運業の七割くらいを独占している。九州にも炭鉱を幾つか持っているそうだ」


 他にも、廃藩置県の折、土佐藩の借款を全て引き継ぐ代わりに、政府に帰するべき藩所有の船を全て譲り受けた。新政府が貨幣統一を計画しているという情報を、同藩出身の高官、後藤象二郎から密かに得て、藩札を大量に購入し巨利を得た――そんな噂の絶えない政商だ。

 それを聞いていた岡田は、


「岩崎という御仁は『国あっての三菱』などと吹聴しているそうな。それだけ大儲けしている上、政府が後ろ盾なら、わしら食い詰め浪人に、多少分けて頂いても良かろう」

「岡田っ。お前を責めるわけではない。私は只、これ以上、門弟が死ぬのは見たくないのだ」

「此処にいる連中は生きている……。それに、一度死域を見た以上、危機に遭っても平然としていられよう。皆の者! これより、船に討ち入るぞ!」


 岡田は鋭く下知を飛ばし、帽子を被って、腰に拳銃を差し込んだ。官軍から分捕った回転式のものである。

 藤田瑞喜ふじたみずきと高木には、岬の近くでの見張りを命じた。すると、薫が彼に、


「岡田さん。瑞喜さんが昨日、自分も何か役に立ちたいと云っていたのですが、同行させるおつもりはありませんか?」

「ウム。確か、武術の手ほどきは受けているそうだったな」

「はい」

「血生臭い汚れ仕事は我ら男に任せて、瑞喜君は岸でしっかり、爺さんと一緒に見張っておきなさい――そう伝えてくれ。高木殿も、もう齢六十だからな」


 そう吐き捨てて、岡田は、朝陽を満顔に浴びながら馬腹を蹴った。小綺麗な洋装に乗馬という後ろ姿は、英国の紳士のようである。

 剣之助、真蔵、そして遅れて薫も駆けだした。高木は、諦観の表情で彼らを見送りつつ、瑞喜に「行こうか」と促した。


 ――麓までの道中、馬は速歩なので互いに口は利ける。薫は先頭の岡田に、


「どうして瑞喜さんの同行を断られたのですか? 刃は多い方が良い気がします」

「わしも、そのようなことは承知だ。しかし、腕の程が解らない以上、連れてはゆけぬ。失敗は許されないからな。無碍に断るのも気が咎めるので、今回は見張りを命じたのだ」


 岡田の斜め後ろを走る剣之助も、それを肯定し、


「薫、お前の優しさは良いが、力が解らない者を、戦には連れて行けぬ。いたずらに同情するのは諂いだ。……何なら、後日、お前が剣でも柔術やわらでも。体格も歳も近い」

柔術やわら⁉ あ、いや、それは。別に恥ずかしいとかでなく、ええ。怪我させたら、申し訳ないですよ、はい、そうです」

「ははは。大丈夫だ、怪我どころか、お前が誰かに勝ったときはなかった」

「確かにそうだ。薫はいつも、投げられて泣いていたな。その後は御母堂に叱られていた」


 剣之助と岡田が笑い、薫は満顔を朱泥のようにしてしまった。すると、後ろにいた真蔵が、会話に割り込んできた。

 下卑た表情で、針目を光らせつつ、


「ほう。藤田は武術の心得があるのか。道理でこの間、抵抗が並の女とは段違いだった。胸は無いが、これは期待できそうだ」

「早瀬さん、黙ってくださいっ。そういう下衆根性丸出しなこと、言わない方が良いですよ」

「煩いぞ小僧。そなた、考えてみよ。男が女に拒否されるのは恥だ、有り得ぬ。悶々としているのは、至極情けないではないか。ふん、どうせそなただって、俺達に隠れて自分の魔羅を」


 例の如く、醜悪な猥談を始めようとする真蔵。こういう話題の時、彼は多弁になる。

 聞くに堪えなくなった剣之助が、二人の会話に割り込んで、


「早瀬、講釈はそれまでだ! 薫も言葉が過ぎる。もう止めよ」

「ふん、また上役気取りの釜田さまのお成りか」

「僕は謝りません。早瀬さんには節義がありません」


 そう言って、薫はぷいと顔を背け、馬を進めていった。

 剣之助は歯噛みして真蔵を睨んだが、彼は泰然としているのみだった。


 麓に着いた後、剣之助達は平地で馬をゆっくり歩かせながら、岡田の計略を聞いていた。

 曰く、


「まず、全員で入り込んで、警備の連中を片付けた後、舵を壊してしまう。次に二手に分かれ、わしと薫は水夫や航海士を甲板に集めて見張る。剣之助と真蔵は、キャプテンを捕まえて、金と太政官札の隠し場所に案内してもらうのだ」


 薫と剣之助は頷いたが、真蔵は、 


「そなたと組むのか、釜田。うん? 文句でもあるのか?」

「いや、冷静に行動してくれれば問題ない。人斬り病を起こさなければな」

「面白い男だ。自分の心配でもしていろ、今回は突き倒されなければ良いな」

「そこまでだ! もう船は目の前なのだから集中しろっ」


 岡田は二人を叱り飛ばし、手を翳し、遠くの水平線を見廻した。彼方では空と海が一つになっている。

 陽光を浴びて、華美な硝子細工のようになった水面の上に、煙を吐く小さな影が見えてきた。

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