強盗

 二日経った。今日は朝から霧が立ちこめて、少しばかり肌寒い。もう九月も終わりなので、本格的な秋の陽気である。朝靄の隙間から、時折陽光の村雨が降り注ぎ、地上の生命を目覚めさせていた。

 釜田剣之助かまたけんのすけは、枕にしていた石から、頭を離して起き上がり、思うさま、背骨に伸びを加えた。六尺はあるだろう。彼は、背丈がこの時代の者としては優れていた。

 よく駆ける駿馬のようだ――同郷の者達は、剣之助の事をそう評した。痩せ型で脛も腕も、伸々としているからである。しかし、彼の持つ切れ長の双眸は、生まれつき、何処か蕭然としていた。


 剣之助は口でも漱ごうと思い、野営していた丘の上から、すぐ近くの小川まで降りていった。彼方には、数件の農家と畑も見える。戦があっても、時は変わらず流れるものだ。

 彼が清冽に顔を近付けて、バシャバシャと顔を洗っていると、雑草を踏み分ける音がした。咄嗟に彼が、音のした方を睨むと、意外な人が立っていた。


「む……岡田殿。おはようございます」

「ウム。おはよう剣之助。歳を取ると、朝が早くなっていかんな。ははは」


 岡田成政おかだなりまさは軽快に笑って、剣之助の横に立った。洋服を纏い、藤田家から回収した葉巻を吹かせる様子は、東京の華族のようである。西南の役で灰燼となってしまったが、当時、熊本県に、野田大九郎という人が造った葉巻工場があった。

 剣之助は、彼の姿を揶揄って、


「まるで何処かの王様ですな。今は我々の頭目ですが」

「ふふふ。確かに追われる身で、心安まらないが、智恵袋の高木殿もいるし、お前の腕もある。真蔵も中々、剣上手だ」

「早瀬の奴は、どうも虫が好きません。筋肉にばかり血がいって、脳に恥というものがない」

「仲間をそんな風に言うな」


 岡田は不愉快そうに渋い顔をした。自分が引き入れた人間が、悪く言われたり嫌われたりするのを忌避しているのだろう。

 彼は俄に話題を変えて、「薫はどうしている?」と質問した。剣之助は、少年の姿を思い出して、思わず笑みを零し、


「あれはあれで、色々と苦労しているようです。瑞喜君を楽しませようと、軽口を言ったり我らの郷里の話をしたり……。瑞喜君はまだ沈鬱としてはいますが、歳が近いからか薫とは口を利くようなので、このままで良いと思います」

「若い連中は微笑ましい。お前も昔はそうだったな。はて……何て名前だったかのう」

「もう過ぎた話です」


 剣之助が珍しく顔を顰めると、後ろの方から高木玄蕃たかぎげんばがやって来た。

 そろそろ目的の輜重隊が来るので、早く準備しろということなので、岡田は葉巻を捨てて、「参ろうか」と短く剣之助に命令した。


 ――佐藤薫さとうかおる藤田瑞喜ふじたみずきは、高木の計画通り、愛宕神社の近くにある切り通しで待機した。使っているのは小柄な馬だが、華奢な二人を乗せるには十分だ。

 無言のまま、一刻の時が経った。薫は朝早く起こされたので、欠伸ばかりしていた。すると、彼の後ろから瑞喜が、清水のように透き通る声で、


「薫殿? もう少し、お気を引き締めた方が良いと存じ上げます」

「解ってますが……もう少し眠りたかったというだけです。そうだ、瑞喜さんはお幾歳いくつになるんですか?」

「十六、貴殿より二つ上です。わたくしも襲撃に参加するつもりですが、何ぞ役割はありますか?」

「は?」


 薫は予想だにしない発言を聞き、困惑した声を出して振り向いた。

 瑞喜の凜とした双眸は鏡よりもと、薫の紅顔を映していた。彼女の結ばれた黒髪が素風に靡き、それが端麗を際立たせている。

 薫は一瞬、理解が追い付かず沈思黙考した。やがて彼は、度肝を抜かれたような声で、


「駄目に決まってますよ。女子おなごがそんなこと、危険です。剣戟が始まったら、隠れていてください」

女子おなごと侮って、無礼な決めつけはお辞めください。わたくしとて士族、もとい武門の娘。わたくしを手籠めにした奸賊輩を」


 瑞喜が言い終わらぬ内に、薫は、彼方からやって来る輜重を視認した。頃合い良し、彼は、小高い丘の上にいる剣之助達に手で合図した。

 密生した茂みに身を隠していた剣之助達は、合図を見、各自が三尺手拭を、口元に巻いて覆面した。

 全ての準備が整った。

 

 ガラガラと十輌余りの輜重が近付いて来る。各々が牛や馬に引かれており、四俵か五俵くらいの米が積まれていた。疲弊した顔の人夫が一輌当たりに四人付き、警護の兵は総勢二十であった。

 先頭の者が、困り果てた顔の薫と、後ろに座る瑞喜を見て、隊長らしき騎馬の兵に伝えた。隊長は駆け寄って来て、


「そこの者達! 此処一帯は合戦があった故、童の遊び場ではない。早々に立ち去れ!」

「暫く! 僕は姉と共に鹿児島から逃れ、これから大隅に在住致す、叔父の元へ参る途中にあります。しかしながら、運拙く、こうして道に迷いしもの。不躾ながら、道程を教えて頂きたく、こうして、貴隊を阻んでおります」

「何……? ふむ、それは不憫なことだ」


 そう言って、その兵士は構えた銃を下げ、何の備えもなく、ツカツカと薫に歩み寄った。やや声を和らげて、地図を取り出そうとする。

 瞬間、薫の大刀が鞘から躍り、剣光一閃、血飛沫が虚空を染めた! 真っ向から喉を斬られた哀れな兵は、何の猶予もなく即死した。不意討ちだったので、使役の者も、部下の兵士も仰天した。

 不意に、切り通しの左右から、丸太が四つほど落ちてきた。山肌が雄叫びを上げる。凄まじい轟音に、人も馬も動顛し、右往左往に逃げ出した。


「それっ。突撃!」


 岡田が腰なる大刀を抜き払い、先んじて斜面を駆けだした。剣之助も馬腹を蹴り、備前兼光の大脇差を煌めかせ、敵の隊伍へ突っ込んだ。

 久し振りの、戦らしい戦である。藤田家で遭遇した連中は、賊と言って良いくらいのものだったが、今回の相手は正規軍である。剣之助の身体の中で、熱い血、武士らしい血が滾りだす。


 何とか体勢を立て直し、三名が銃剣を突き付けてきた。剣之助は、玉散る刃を斜めに振るい、右にいた一人の兵を、水も溜まらず斬り捨てた。もう一人が、それを見て怯んだ隙に、腕を根元から斬り飛ばす。

 最後に残った一人が、シュッと槍のように、横から銃剣を伸ばしてきた。剣之助は手綱を強く引っ張って、悍馬を竿立ちさせ、穂先を見事に回避した。攻撃を躱された官兵は、唖然とした顔のまま、馬蹄の餌食となってしまった。


 チラリと薫の方を見れば、彼は、馬を瑞喜に任せたらしい。薫自身は、戦場を駆け廻り、輜重を引く馬を、引き綱から切り離している。馬は狂走し、敵兵を踏み潰していた。

 一人、早瀬真蔵はやせしんぞうは異常に躍動していた。立ち向かってくる者は勿論、逃げる者もわざわざ追い掛けて斬っていた。人夫共は混乱から逸早く離脱し、道の脇で震えていた。

 

「奴らを追い掛けろっ」


 岡田が、刀の切っ先を遠くに向けて叫んだ。剣之助が見てみれば、丸太を乗り越えて、四人ほどが逃げようとしていた。援軍を呼びにいくのだろう。

 彼が駆けていこうとすると、横から一人の兵が、彼を馬から組み落とした。


「この賊共め!」

「離れろ、無礼者ッ!」


 剣之助は組み伏せられたまま、二度三度殴られたが、何とか相手を振りほどいた。刀は落としてしまったので、剣之助、素手の構えを取った。

 相手の頭が低くなる。無言だが、立合は、始まっていた。


 剣之助が一歩踏み出した。悽愴な気を発する。兵士は、腰を落としたまま、後退した。剣之助が、更に踏み出そうとすると、兵士の方から跳び掛かった。吶喊し、剣之助も踏み込んだ。

 剣之助の鼻へ拳が来る前に、彼の右手が一瞬早く、相手の腹に直撃した。兵士は姿勢を崩して後ずさり、顔を上げて激昂した。剣之助は、敵の攻撃を腕で防ぎ、頭突きを喰らわせた。

 追い詰められた敵兵は、遮二無二、剣之助の首を狙って跳躍した。剣之助も相手の肩を引っ掴み、拮抗し、睨み合う形となる。互いに汗が噴き出した。


「おのれ……! 貴様ら旧弊の野蛮人は、いつまで政府に逆らうのだっ」

「卑怯な騙し討ちで徳川を倒し、我ら侍を追い詰めたのは誰だっ。それでもお前達は日本人か!」


 そう言うと、剣之助は、膝で相手の腹を蹴り、右の拳を顎に叩きつけた。官兵はくぐもった呻きを上げ、仰向けにぶっ倒れた。

 剣之助が、大きな息をして、口元の血を拭っていると、真蔵が意気揚々と帰って来た。二振りの小太刀に、田楽のように首を二つずつ刺している。

 彼は剣之助を見ると、ニヤリと口角だけ上げて、


「釜田。俺がいたから良かったが、そんなことでは困る。増援が来たら、我々一同、獄門だった」

「口の減らない男だ。血を浴びると頭が良くなるらしいな。薫、何処にいる?」


 薫は、死んだ兵士の遺骸を並べ、一々手を合わせていた。剣之助は苦笑を漏らし、もう何も言葉が出なかった。

 輜重隊を警護していた兵は全滅し、人夫の者達は縛り上げられて放置された。


 岡田は、高木と剣之助を連れ、四散した馬を集め、輜重に繋ぎ直した。六人しかいないので、確保出来る輜重の量は高が知れている。

 しかし、米だけでなく、多少の銃器も手に入った。岡田は大得意である。


「誰も闘死しなかった。流石、わしが見込んだだけある。それに、良い物も手に入った」

「良い物?」

「高木殿、聞いて驚くな。三菱商会の計画書だ。船で東京からきて、黒川岬で休息する。軍人への下賜金と政府の太政官札を積んでいるらしい。下賜金は勿論だが、太政官札は裏で高く売れる。奪ったものだから、ゲルマン紙幣に換価は出来ないが」


 会心の笑みを見せる岡田を見て、高木は首を振って、


「反対だ」

「何故?」

「今、そんなことをしている場合ではない。追手の目を避けようという時に、注目を集めてどうする」

「わしらは今、追われているからこそ、金が必要なのだ。兎に角、此処から離れよう。皆の者、行くぞ!」


 岡田は話を切り上げて、馬首を廻らした。高木は嘆息し、輜重の一つに座り込んだ。薫、瑞喜も、それぞれのものに着いた。

 岡田が先鋒、剣之助が中央、真蔵が殿しんがりという布陣で、食糧武器を守りつつ、一行は東を指して進んでいった。

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