無法者

 鹿児島市域を出た釜田剣之助かまたけんのすけ達は、東の大隅地域を指して進行した。城山の激戦が繰り広げられ、余燼冷めやらぬ薩摩の方は、官軍によって封鎖され始めているからである。

 一行は、速歩で馬を進めている最中も、慌ただしく走る軍隊や警官隊と出くわしたが、衣服も替え、軍馬を奪っていたので、殆ど誰何されることはなかった。

 極稀に、職務に忠実な者がいて、役目の質問をしてきた。その時は決まって、先頭を走っていた岡田成政おかだなりまさが、


「やあ、皆様、ご苦労様です。私は後ろで馬車を引いておられる方のお店で、番頭を勤めております岡田と申します。後ろにいる若者二人が手代。殿の子達が丁稚でございます。店が焼かれてしまったので、財産を持って長崎に参るところで」


 などと軽妙な口調で、さも商売人風に騙った。元々、彼は口が上手い。かつては、立て板に水の如く、巧みに弁舌を振るい、地元の郷士達から人気を得ていたところがある。

 それで軍人達は、まさか落ち武者の一行などとは思わず、「それはお気の毒に」と言って、剣之助達を通してやった。

 戦場から離れて数日の間、剣之助達はさしたる問題もなく駆けていた。


 別府川を越え、加治木の辺りまで来た。もう夜になったので、高木玄蕃たかぎげんばの判断で、一行は街道の外れで野営することにした。

 数週間前、此処一帯も焔硝と喚声に満ちていた筈だが、今では嘘のように静寂としていた。人間の業に関係無く、今宵も紺青色の空に、無数の星が浮かんでいた。


 焚火に当たりながら、早瀬真蔵はやせしんぞうが、仰々しく溜息をついた。彼の横にいた剣之助が、


「どうした? 疲れたわけでもなさそうだが」

「釜田……この火を見ろ。同じように見えるが、一つとして全く同じ火はない。常に変化しているのだ」

「それはそうだな」

「だが、お前と佐藤、それに小娘ときたらどうだ! ここ数日、辛気臭い顔ばかりしおって。団子虫かなにかのように陰気だ」


 彼の反対側で、眠たげに眼を瞬いていた佐藤薫さとうかおるは、その広言を耳にして、流石に眉を顰めた。顔を見るのさえ、忌々しいという風だ。

 数日前、真蔵は何を血迷ったか、助け出された哀れな少女、藤田瑞喜ふじたみずきを強姦しようとした。彼女自身の猛烈な抵抗で、未遂に終わったが、それ以来彼女は、一行から何となく距離を取るようになっていた。


 そういう所業や人目を憚らない雑言の山、剣之助も薫も、それらが苦手だった。要するに、邂逅してから時間を経ずに、二人はこの男を嫌悪しているのだ。

 薫は、不機嫌極まる表情で、


「煩いですよ、早瀬さん。弱っている人に追い打ちを掛けるのが陽気なら、僕は御免ですね」

「なんだ小僧、堅苦しい。どうせ、もう藤田は処女きむすめではないのだ。ははは。良いか? 女の幸せというのは男に抱かれることなのだ」


 最早、山賊か何かと言って良いほど、聞くに堪えない暴言だ。しかもそれを、殆ど変わらない表情で言うので、薫は唖然としてしまった。

 代わりに剣之助が、横から滔々と喋る真蔵を遮るように、


「早瀬。陰気に見えるのは、俺も薫も死んだ者達のことを思っているからなのだ。死体だという事実は変わらぬが、僅かながらでも思い出はあるからな」

「成る程。釜田、お前は顔に似合わず女々しい男だ。俺が死んだ時は、そんなのはお断りだ」

「早瀬さんが死んだら、むしろ大宴会ですよ」


 と、薫が意趣返しとばかりに、不敵な笑顔で冗談を飛ばしたので、岡田は噴き出し、剣之助も苦笑した。余り感情を面に出さない高木も、思わず笑みをこぼした。

 一人、真蔵だけは、違っていた。立ち上がり、針のように鋭い眼を血走らせ、「面白いか?」とだけ言うや否、思い切り薫を殴りつけた。

 剣之助と高木が飛び付くようにして彼を押さえた。真蔵は、錆び声を響かせて、


「お前のように、笑われる趣味はないのだ! 小僧、口には気を付けろ」

「早瀬さんこそ、言葉が酷すぎます!」


 薫は薫で、敵いそうにない真蔵へ、今にも跳び掛かっていきそうな凄味である。頭に血が昇る余り、実力差を考えていないらしい。

 すると、岡田が頭目らしい堂々たる声音で、


「止めろ! 今、互いに殴り合っている場合か! 殴るべきは、わしらをこんな目に遭わせた政府の連中だ!」

「岡田殿がそう仰るなら……。小僧、命拾いしたな」


 真蔵は鼻先で薫を嘲って、再び座り直した。薫も急に冠助になったので、やや倦怠を覚え、ゆっくりと腰を落ち着けた。

 殺伐とした空気を感じ取り、剣之助が俄に高木を見て、


「そう言えば、先生。何故こんな街道に近い場所で野営を? もう少し森に近い方が良かったのでは」

「ウム。もう岡田には云ってあるが、この街道は城山周辺に駐屯する敵の軍勢の補給路の一つなのだ。現地での略奪だけでは足りないからな。それに、役夫は現地で平民を雇っている」

「つまり、敵の物資を奪うのですね」

「そうだ。瑞喜君の屋敷から、拝借した食糧では数日も持たない。ついでに、銭も欲しいからな」


 そう言うと、高木は簡単な地形を地面に描き、四人を呼び集めた。今いる場所から程近いところに、狭い切り通しがあるらしい。

 彼は、何処かで折った梢を采配のようにして、


「先ずは、薫と瑞喜君が、切り通しの出口で輜重隊の行く手を塞ぐ。道に迷った姉弟の振りをしろ。敵が止まったら、残りの者で火を付けた丸太を何本か転がす。今使っている車も燃やしてしまおう。これで大抵の馬は怯える」

「それで?」

「薫は足が早いし、身体も小さいから、瑞喜君を安全な場所に寄せた後、敵の中に入り込み、馬の引き綱を切って縦横無尽に走らせろ。敵は軍人ではないから命が惜しい筈だ。異国のようにちゃんとした輜重兵は、まだこの国にはいないからな」


 高木はそう言って、また寡黙な仏頂面に戻った。

 岡田は満足げに頷いて、妙な目の輝きと、雄弁を以てこう説いた。


「良いか、皆の者! 政府が使っている食糧や人夫は、善良な民から搾り取ったものだ。それを奪うのは、悪いことではない。大抵の賊は、生き残るために盗むが、わしらは誇りを守る為に戦うのだ! 肝に銘じておけ!」


 誇り――武士からしてみれば、これほど輝かしい二文字は無い。

 釜田剣之助は、今まで躊躇していた強盗に、手を染める決意をした。

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