少女

 五人は、一刻ほど伊敷の廣野を歩いた。その間にも、累々とある死骸が眼に入った。もう野犬や狼がやって来て、死体をつつき始めている。先ずは柔らかい部位、目玉や腸を抉っていくのだ。

 釜田剣之助かまたけんのすけは特に何も思わなかったが、歳若い佐藤薫さとうかおるは違うらしい。忙しそうに死体漁りを追い払っている。剣之助は、呆れたようにそれを見て、


「何をしているのだ薫。所詮、もう死体だ。肉と同じだぞ」

「何てこと言うんですか。目の前で同じ人間が汚く食べられてるのに。それに、死体だと云うなら、敵も味方もありませんよ」

「俺もお前も、死んでしまえば一緒だ。只、嫌われて、土に返るだけの死体だ」


 剣之助は、諦念に満ちた表情で吐き捨てた。無数の士族が、名を上げるでもなく、高名な将に敗れるでもなく、放った者さえ解らない銃弾に斃れた。その光景が、彼の脳裏に焼き付いている。

 しかし、薫は納得がいかないようだ。不満そうに頬を膨れさせ、不貞腐れてしまった。

 なおも薫が歩きながら、野犬を追い払っていると、今度は早瀬真蔵はやせしんぞうが少年の肩に手を置いた。


「ふん。修羅場を潜っていない小僧はお気楽で羨ましい。生き残ることこそ全てだ。死んだ者は、弱いから死んだのだ。弱い者に掛ける言葉などない」

「何ですかあなたは?」

「だが、俺は死んでしまえば一緒だと云う釜田の言葉に賛成だ。敵も味方も、死人は皆、一概に懦夫だ。ははは」

「……違います」


 意外にも口答えされた真蔵は、只でさえ細い眼を更に細くした。「何だと?」と、薫に詰め寄って、今にも殴り掛かりそうな勢いだ。薫も薫で、毅然と相手を睨み据える。

 一触即発の状況に、剣之助が素早く、二人の間に割って入った。真蔵も彼を見て、至極不愉快そうである。

 先頭を歩いていた岡田成政おかだなりまさが、漂いだした雰囲気を感じ取り、


「そこまでだっ。わしらは今、何もないのだぞ。仲間、いや家族同士で争っていてどうするっ。協力するのだ」

「岡田殿の仰る通り。おい、小僧。今後、口には気を付けろ」


 真蔵は掌を返してそう言うと、薫の足元に唾を吐いて歩き出した。剣之助は舌打ちして、


「まあ気にするな。真蔵も気が立っているに違いない」

「僕は、自分が正しいと思うことを言っただけです」


 薫は、ぷいと顔を背け、憮然として早歩きした。剣之助は、溜息を一つして最後尾で歩き出した。


 戦が熄んだとはいっても、まだ官軍は近隣至る所に野営しているし、死屍は随所に横たわっている。啾々とした秋風が死骸を撫で、地獄の牛頭馬頭すら涙を流すばかりな光景だ。

 一颯の風が吹いた。それに煽られて、一尺くらいの布が飛んできた。それは、ひらりと虚空を舞い、余所見をしていた薫の顔に被さった。

 薫は、きゃっと情けない声を出し、尻餅をついて動顛し、


「やっ。だ! な、なにかが、顔に、顔に! 取って取ってっ」

「落ち着けっ。狼狽者」


 剣之助が布を薫の面から引き剥がすと、少年は肩で息をして天を仰いだ。年長の高木玄蕃たかぎげんばは、飛んできた布を見て、


「ふむ。これは……越後の縮緬らしいな。あの家から飛んできたようだが、相当な金持ちだな」

「とすると、目的地はあそこか?」


 岡田が指差した方向には、夜の狭霧の中に建つ、宏壮な屋敷があった。山崎川を背にし、七尺くらいの土塀と、古いながら立派な木門がある。

 門扉はピタリと閉ざされていた。所々朽ちてはいるが、容易に破れるものではない。五人は叢生した萩に身を隠し、屋敷を遠くから偵察した。

 高木は、顎に手を置いて、


「さっき物見をした時に、勝手口の鍵を壊しておいた。だが、あれだけ大きな屋敷なのに、殆ど人気がなかった」

「何か作戦があるのか、高木殿?」

「ウム。先ずは剣之助と真蔵で、勝手口から闖入する。剣之助が母屋に入り、家主か誰かを人質にしろ。真蔵が正門を開けて、薫と岡田が乱入し、奪えるだけ奪おう」


 岡田は納得したように頷いて、剣之助達に手で合図した。二人は息を殺し、中腰のまま、屋敷の裏手に近付いた。

 剣之助は真蔵に眼で合図し、木戸を開けさせた。そして、剣之助は備前兼光の大刀をゆっくりと抜き、真蔵は敷地内に跳び込んで、二振りの小太刀――藤原国助と和泉守兼定――を抜き払った。

 

 真蔵と別れ、剣之助は母屋の縁側から躍り込み、長廊下を見廻した。少し離れた大部屋。灯りと、賑やかな宴会の声が漏れている。

 剣之助はソロソロと近付き、ガタンと障子を蹴倒した。中には赤ら顔の六人。駭然とした様子で立ち上がる。服装を見れば、官軍だ。

 剣之助は咄嗟に判断した。この家の者では、ない。片手の刀を振り上げて、目の前の一人を斬り斃す。その時、叫び声を聞いたのか、薫達が庭先にやって来た。


「こいつら、賊だ。油断するなっ」


 剣之助は声を上げ、躍り掛かってきた一人の襟を掴み、部屋の外に投げ捨てた。薫は、すぐに脇差を鞘走らせ、そやつの肩へ斬りつけた。骨に当たった。傷は浅い。

 官兵も跳足し、薫を押し倒した。薫は手足をばたつかせ、官兵は彼の首に手を掛ける。二人が揉み合っている内に、また一人、剣之助に蹴飛ばされたらしい。その者は、起き上がる暇もなく、岡田に首を掻かれたものだ。

 真蔵がドタドタと母屋に躍り込み、剣之助のいる部屋までいくと、彼は三人を相手に斬り合っていた。


 「む!」と、一人が無謀にも、平青眼から斬り込んだ。剣之助の構えは、鉄壁の中段だ。

 彼は、充分に相手を引きつけて、臍下丹田に力を込めた。細い眉を逆立てて、気当の一喝! バサッと濡れ手拭を叩くような音がして、官兵が噴血と共に斃れ伏す。

 それを見て怖れを為したのか、残った二人の官兵が、蒼白い顔で逃げ出した。入り口に立つ真蔵が、彼らの前に立ち塞がる。

 官兵は声を震わせて、


「退け! 退かぬか!」

「……」


 真蔵は無感情な冷たい顔で、下げていた二振りの小太刀を振るい、右の者の首を刎ね、同時にもう一人の脳天を、真っ二つに斬り割った。

 先程まで賑やかだった大部屋は、血飛沫と脂で染められた。剣之助は、真蔵の早技に舌を巻き、血振りをして納刀した。

 

「意外にも、やるな。早瀬殿」

「ふん、仕事が粗いな。相手は百姓だぞ」


 真蔵は厭味たっぷりに吐き捨てて、庭先に出た。丁度、薫が足で敵を突き飛ばし、柄頭で思い切り撲りつけていた。間を置かず、官兵は気絶した。

 真蔵は苦笑を漏らし、


「小僧、随分手間取っていたようだな。見た目に違わず、随分と弱いようだ」

「な、なんでそんなこと言うんですか……。危なく死ぬとこでしたよ」

「足手纏いにだけはならないでくれよ、小僧」


 ニヤニヤ笑いながら言うので、薫は不機嫌そうに沈黙した。そこへ、高木がやって来た。

 彼は剣戟の最中、屋敷を見て廻ったらしく、構造を早口で説明した。外には官兵が乗っていた馬もあるらしい。

 岡田は満足げに頷き、


「よし。では、剣之助と薫で土蔵を見てきてくれ。残党がいるかもしれんから、気を付けろ。後の者はわしと一緒に、母屋の物色だ」


 岡田達が母屋に入っていくと、剣之助は薫を助け起こし、屋敷の外れにある土蔵へ近付いた。

 土蔵も相当古いらしく、白い壁に墨渋のような汚れがある。錠は外されて、脇に捨てられていた。剣之助が耳を凝らすと、中から物音が聞こえてくる。彼は薫の方を見て、


「四人いる。微かにだが、女の声もした。恐らく家主か、その家族だ。俺が先に入るから、援護してくれ」

「はい」


 剣之助は精神を集中させて、土蔵の扉を押した。蝶番が軋み、鈍い音と共に開いた。鼻を突くような臭いがし、彼は思わず眉を顰めた。

 乏しい蝋燭の灯りの中で、四人の官兵がいる。剣之助を視認すると、彼らはすぐに抜刀した。揺らめく火光に照らされて、連中の顔は醜悪だ。

 剣之助は唇を閉じて、刀のつかに手を掛けた。視界が白黒になる。彼には、敵の四人だけが、ひどくゆっくりと、赤黒く見えた。


 流星のような刃光ひかりが走る。同時に、釜田剣之助は、男四人の後ろにいた。右手には皎刀が下がっている。

 一瞬前まで、意気盛んだった連中は、一斉に、真っ黒な血煙の中でぶっ斃れた。

 土蔵の入り口で見ていた薫は、何があったのか解らなかった。


「す……凄い……。瞬きした間に……」

「精神を研ぎ澄ましたのだ。そうすれば、世界が遅く見える。相手が殆ど素人だったから良かった」


 余りにも速かったので、刃に血脂が付いていない。剣之助は納刀し、土蔵の奥へ歩を進めた。薫も後に続き、彼と反対の方を確認した。

 土蔵に乱入した際、薫は確かに、誰かもう一人見つけていた。兎のように速い動作で、物陰に身を隠した者。彼はその者を捜していた。

 すると、小さな鈴の音がした。薫が木箱を退かしてみると、人間が屈んでいた。(残党か?)そう思ったが、意外にも手向かいしてこない。


「あ、あの……大丈夫ですか?」

「……」


 薫が優しく言ってみると、その人は、ゆっくりと顔を上げた。それを見て、彼は思わず瞠目した。少女であった。

 艶の良い射干玉色の髪が首元まで流れ、肌は程良く陽に焼けていた。扁桃のような双眸には、黒真珠を思わせる瞳がある。蛾眉を嶮にし、紅唇を戦慄かせる姿は、薫を警戒しているに相違無い。

 十五、六になりそうな少女は、皎歯をガチガチと鳴らし、目の前の薫を睨んでいた。手には、柄頭に鈴が付いた小太刀を持っている。


 薫は莫迦のように口を開けたまま、何も言わなかった。瞳は少女に吸い寄せられたまま、身体の方は石像のようである。

 「どうした?」と剣之助が後ろから言ったので、彼は、はッと我に返った。少女に手伸ばしつつ、


「ええと……その、僕達は敵じゃありません。何か、物資を貰いたくて」

「……あいつらは? あいつらの仲間なの?」

「ち、違いますよ。悪い奴らは剣之助さんが片付けました」


 それを聞いて、少女は震えながらではあるが、物陰から這い出して来た。その時、彼女は薫に斬り掛かった! 薫は仰天して跳足し、後ろから彼女を押さえつけた。


「賊、盗賊! 兄上を返せ!」

「お、落ち着いてくださいっ。剣之助さぁん!」


 剣之助はそれを聞きつけて、薫の元に急行した。彼は格闘する二人を見て、努めて柔らかな声音で、


「落ち着きなさい、お嬢さん、落ち着いて……。貴方の屋敷に入り込んだ賊は、俺達が斬り捨てた。安心してくれ。傷付けるつもりは無い」

「……」

「もし俺が仲間なら、こいつらを斬った道理がない」


 少女は荒々しい息を上げながら、少しばかり静まった。

 薫は、彼女が裸同然なのを見、近くにあった布を掛けてやった。よく見れば、殴られた跡もある。

 少女は紅涙をこぼし、


「あ、あいつらが、昨日、急にやって来て……この屋敷を宿営にすると言った。断ったら小者達が、ズタズタに斬られて……。わ、わたくしは、此処に連れ込まれて……兄上の前で」

「もう良い。さ、此処から離れよう。薫、頼むぞ」

「あ、あいつら、わたくしの、身体にも顔にも、中にも......精を、精を」

「お姉さん、もう大丈夫です。落ち着いて。さ、こっち」

 

 剣之助が土蔵から出ると、もう岡田達が準備を済ませていた。三人とも、新しい服を纏っていた。岡田に至っては、小綺麗な洋服に黒い中折れ帽、ネクタイまで着けている。

 岡田は、剣之助達を見ると、


「やっと戻って来たか。早く、その汚い服を替えろ。大きな荷車があったから、食糧と薪は積めるだけ積み込んだ。高木殿が馬車にするそうだ」

「岡田殿。家主の家族の生き残りがいました。どうしましょうか?」

「何? ……手酷い扱いを受けたようだな。捨て置くわけにもいくまい」


 岡田は馬から降りて、優しく少女に語りかけた。


「お嬢さん、安心なさい。ここにいる者達は、善人とは言えないが、悪辣な官軍とは違う。名はなんと申す?」

「……瑞喜。藤田瑞喜ふじたみずきと云います……」

「解った。落ち着くまで、わしらが守ってあげる。薫、お前の後ろに乗せるのだ」

「ぼ、僕のですか?」

「背丈も歳も近いからな。皆の者、鹿児島から出なくてはいかん。此処にはいられない」


 それだけ言って、岡田は鞍上の人となった。

 剣之助は手早く、黒地の小袖を纏い、馬乗袴を着け、黒縮緬の羽織に袖を通した。薫も服を替え、ぎこちなく瑞喜を引率し、小柄な馬に乗った。

 岡田の先導の元、一行は屋敷から出て出立した。チリン、チリンと哀しげな鈴の音が、夜闇に小さく鳴っていた。

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