同胞
「先程といい、今といい、お前は何処まで莫迦なのだ。奴らが間諜だったり、落ち武者狩りだったりしたら、どうするのだっ」
「むぐぐ……。だ、だって、僕達、こんなに見窄らしい格好ですから、頼めば何か分けてくれるかも」
「そんなわけがあるかっ。俺達のような不穏分子を捕えたら、政府は賞金を支払うなどと布告しているのだぞ。自首でもする気か」
剣之助は、ひとまず辺りを見廻した。人家は見えない、灯りも無い。はてな? こんな所を目指していた筈ではない。
改めて、彼は自分達の立つ天地を考えた。薫は思い出したように、懐から何かを取り出して、
「あれは甲突川ではありませんか? ほら、酉の方角にありますから」
「む、確かにあの川だな。ところで、なんだそれは?」
「僕の手製ですけど、方位磁針ですよ。持ってないんですか?」
「生憎、俺は船乗りではないからな。むしろお前は、頭の羅針盤が必要なんじゃないか?」
「ちぇっ。面白い人ですよ」
彼方に見える甲突川は、二日か三日前、田原坂に及ばずとも、官軍と西郷軍の乱戦があった場所である。銃弾と銃弾がぶつかり、刃と刃が喰い合うほどの激戦であった。鹿児島に行けば、所謂「かち合い弾」が、資料館に展示されている。
それほどの激戦があったのに、今宵は、すっかり静謐そのものだ。ただ、連綿と人馬の死骸が、片付けられずに広がるのみである。草叢に首を突っ込んだ者、刀で相討ちになった者、馬と重なり合った者……。哀しげな月光の下、敵味方関係無く、変色した肉塊があった。
鈴虫が、葬歌でも奏でるように啼いていた。
そんな惨たらしい死骸の山を見ても、二人は、既に何も思わなかった。彼らも、官兵を数多く斬り捨てていた。
しかし、いつまでも低回していては、いずれ飢え死にするより他に無い。剣之助は、細眉を嶮にして、
「薫、あの焚火にゆっくりと近付くのだ。食い物か水があれば、脅して奪い取ろう。だが、百姓や旅人なら殺すな」
「敵に通報されますよ? それにさっき」
「お互い、生き延びるためには必要なことだ。だが、岡田殿が仰っていたように、俺達は政府や悪徳政商の連中に逆らうのだ。民ではなく」
剣之助は姿勢を低くし、足音を殺して歩き出した。薫も、少し逡巡していたが、「待ってくださいよ」と、後に続いた。
焚火に当たっているのは、三人。いずれも、背の高い男である。大木を背に、俯き加減で、会話もしていない。まるでお通夜の雰囲気だ。
剣之助と薫は、彼らの後方、繁茂した雑草に身を伏せて近付いた。大木の後ろまで来ると、
「それっ」
と、剣之助が合図した。薫が飛び出す。抜刀。三人の前に躍り出て、
「おい! 僕達は、ご、強盗だぞっ。えっと、身包み全部、その、置いて……。って、貴方達は⁉」
「莫迦者! なにをしているのだっ」
剣之助が、堪らず助勢に突出した。愛刀、備前兼光を鞘走らせ、彼も大木の前に跳足した。
すると、焚火にいた三人の内、口髭を蓄え、頭を散切にした一人が表情を綻ばせ、
「オオ、薫だけでなく、剣之助も生き残っていたのか。良かった良かった」
「お、岡田殿……高木先生も」
剣之助は、馴れ馴れしく語りかけてきた中年の男を見て、細い眼を驚愕で丸くした。
剣之助と同じ藩の元上士で、薫とも付き合いのあった
四十五歳になる彼は、若い連中から父親のように慕われていたので、自然、剣之助と薫も、彼を尊敬していた。
「二人とも生き残っていて、わしは嬉しいぞ。他に誰かいるのか?」
「いえ……残念ですが、皆、討死しました。先程も、同志が敵兵に嬲り殺しにされました」
「そうか……。兎に角、座りなさい。水なら、川から汲んできた。飲むが良い」
と、岡田は二人を促した。彼の他に、剣之助の知り合いが、もう一人いた。
岡田と十五歳も離れ、痩せ顔で灰色の髪を伸ばした老翁だ。かつて、剣之助と薫を私塾で指導した
高木は、喜びもそこそこに、沈鬱な表情で、
「二人が生きていてくれたのは嬉しいが、これからどうする? 食い物は無いし、夜明けと共に、官兵は動き出す。一応、この辺の地形は、頭に叩きこんであるから、脱出は出来るが……」
「え? 先生、地図を持ってないんですか?」
「薫のように、感覚で生きてないからな。どうせ、此処まで随分遠回りしたんだろう?」
「何で解るんですか……。そう言えば、そちらの人は?」
薫は、ばつが悪そうに頭を掻き、最後に残っていた一人を指差した。
男の双眸は針のように細く、薫の半分くらいの大きさだ。顎も鼻も細く、顔の白さは玲瓏と言いたいくらいである。
男は、じろりと薫を見、
「小僧、人を指差すものではない。それに、剣之助とやらも、いきなり飛び出して来て謝罪もなしか」
「えっ。えっと」
薫は、突然の抗議と、得体の知れない男の凄味に気圧された。言葉を詰まらせた彼に代わり、剣之助が前に出て、
「この者は、まだ十四です。私が代わりに謝罪致します。御免」
「ふん。まあ良い。俺は
「手前は釜田剣之助、この者は佐藤薫と云います」
剣之助は、内心、この男に舌打ちしていた。何となく高慢な態度、溢れんばかりな蔑視を感じたのだ。
岡田は、焚火を挟んで睨み合った二人を宥め、
「まあまあ。二人とも、今は仲間同士で争っている場合ではない。我らは今後、家族だ。家族のように助けあっていかねばならん。剣之助、まずは兵糧と、出来れば足になる馬を調達しなくてはいかん」
「目当てはあるのですか?」
「ウム。真蔵と高木殿が、近くに大きな屋敷を見つけたらしい。馬の嘶きが聞こえたそうだし、蔵に蓄えがあるやもしれん。それを頂いて、わしらは死体を片付けている腰抜け共を脇目に、姿を消すのだ」
岡田は、やおら立ち上がり、大小を腰に差し込んだ。残る四人も、火の始末を済ませ、彼に続いて、秋月が照らす廣野を進んでいった。
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