敗残兵
解っていた筈だった、もうどうでも良い――
剣之助は昼間、ここ城山で起こった最後の激戦で、敵中へ果敢へ突撃したものだが、眼前で砲弾が炸裂し、今まで気絶していたらしい。銃弾も刀傷も受けなかった。しかし、同胞達が皆、華々しく散ったのに、自分だけ生き残った不甲斐なさ、彼は起き上がれずにいた。
剣之助の味方――西郷軍は全面的な壊滅と決まった。次々と生きる為の糧を奪われていき、先祖代々の魂すら、奪い取ろうとする政府に刃向かった者達は、遂に命まで取られてしまった。
一時期は熊本鎮台を落とそうかという勢いだったのに、西郷と桐野の対立や、政府が投入した最新鋭の兵器の前に、田原坂、人吉で無惨に敗北した。そして城山で、弾丸雨柱の中、総帥たる西郷隆盛が自刃し、西郷軍は潰乱した。
たった数ヶ月の戦争で、新しい時代が始まった。同時に、西南の役の、敗軍の家族や同胞は、この先、筆舌に尽くしがたい苦難の宿命を背負うのだろう。
「末期の水か……」
剣之助は、自嘲気味に呟いた。戦闘が終わり、味方が全滅した時刻は定かではない。今は、土砂降りの雨が、鬼哭啾々とした戦場を濡らすのみである。
雨月の夜なので、官軍側も、死骸の収容は明日にしたようだ。留まりもつかぬ時雨を浴びながら、剣之助は、死ねば楽だったのにな――などと思っていた。
「俺も……」
脳裏に、今は亡き両親や、近所の男と駆け落ちした妹の姿が浮かんできた。しかし、不思議と、悲哀だとか後悔だとかは浮かばなかった。
(輪廻があるなら、少なくとも解脱は出来ぬだろうな……)と、剣之助が思った時、
「剣之助さぁん! 剣之助さん!」
と、叫ぶ声、聞き慣れた声があったので、彼は仮死から醒め、辺りをゆっくりと見廻した。
五間 (約9m)ほど離れた場所に、声の主はいた。夥しい死骸の中で首を上げ、しきりに叫んでいる。彼と同じ、とある藩の元郷士であり、同じ師から剣を学んだ同郷の友、
二十二歳の剣之助に対し、十四歳の薫は、功名心に燃え、あわよくば薩長政府を転覆させようという気概を爛々とさせ、西郷軍に加わった少年である。
剣之助は、彼の姿を見ると、途端に生気を取り戻し、
「オオ、薫、薫! 生きておるかっ」
「生きてます、この通り! 剣之助さんも、死なないでくださいっ」
薫は、男にしては高い声を、精一杯に張り上げた。芋虫のように、剣之助の側へ這っていき、
「剣之助さん、逃げましょう。このまま此処にいても、野良犬のように殺されるだけです」
「逃げる……か。そうだな」
剣之助は溜息混じりにこう言った。薫は孤独感を払拭できた喜びに、あどけない笑顔となった。
呂色の短髪に、小犬のような二重の双眸を持つ、端正で華奢な美少年。元来、色が白い優男なので、一見すると、女子のようである。
彼が立ち上がろうとした刹那、剣之助はその手を引っ張った。同時に、小声で叱るように、
「莫迦者っ。まだ危険だ、まだ死んでろ」
「え? き、危険って」
何か言おうとする薫の口に、剣之助は片手で素早く蓋をした。彼の視線の先に、五人の官兵が歩いていた。恐らく、生存者がいないか確認しにきた連中だろう。
「ま、まずい。敵軍です……あっ」
「死にたいのかっ。じっとしてろ」
度を失って、慌て始めた少年を押さえつけ、剣之助は息を殺した。五人が近付いて来る。未だに雨は、サーッと降り、霧が視界を遮っていた。
官兵の一人が、剣之助達から少し離れた所で、
「気のせいか。確かに此処ら辺で、何か動いた気がしたのだが」
「そりゃ、この雨だから幻覚でも見たんだよ。仮にそうだったとしても、すぐに死ぬさ」
「それもそうか。隊長も酷い人だよ、全く。寒いから、もう帰ろうぜ。適当で良い」
などと、口々に不満を述べながら、五人の見廻りは帰っていった。泥に汚れながら、剣之助は、軍服の背中を眺めていた。薫は身の毛がよだつのか、蒼い顔で震えているのみだった。
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