②
―――どうして俺は、こんなところにいるんだ……。
走馬灯のように、ここに至る経緯が思い出される。
とは言っても、大した背景でもない。
ほんの数年前まで、上野橋龍は、ごく普通の少年であり、ごく一般的な大学生だった。バイト代と親からの仕送りで暮らす、比較的裕福な学生。
歯車が狂い始めたのは、パチンコを覚えてからだった。ギャンブルには、「当たらぬが勝ち」という言葉がある。当たれば勝ちなのは当たり前だが、初心者の場合、むしろ当たらない方が勝ちなのだ。下手に大勝ちしてしまえば、ハマってしまうからである。賭博という沼に。
上野橋龍は、まさにそれだった。
バイト先の先輩に連れられて行ったパチンコで、大勝してしまった。時給千円少しで働いていた男が、一瞬で十万近くを手に入れたのだ。無限にも思える絶頂。終わらぬ確変。胸に残り続ける熱狂。
斯くして、上野橋龍はギャンブルに嵌まった。
ドツボにハマった。
当然、それはビギナーズ・ラックというやつであって、ギャンブルなど、そうそう勝てるものではない。パチンコ屋に行く人間の八割は負ける。そういうものだ。
彼も同様で、勝ったり負けたりを繰り返しながら、徐々に口座残高を減らしていった。可処分所得を使い切ると、学費にまで手を付けた。大学に払う為のお金を減らしたことを隠す為に、今度はサラ金に手を出した。典型的なギャンブル中毒者の転落ルートだった。
しかし、特筆すべきなのは、その後だ。
金融屋の事務所に連れて来られた彼に、一つの選択肢が提示される。
『お前さ、今から両親に連絡するのと、もう一回だけ運試ししてみるの、どっちがいい?』
既に上野橋から冷静な判断力というものは消え失せていた。「父さんや母さんに知られるわけにはいかない」という自己保身と「あれだけ負けたんだ、次は勝てるはずだろ」という自己正当化により、完全におかしくなってしまっていた。
彼は、後者を選んだ。
負債の額は約六十万円。
勝負に負ければ、負債は倍額、百二十万円になる。しかし勝てば、チャラになるかもしれないらしい。そういうギャンブルに挑むことになった。
言うまでもなく違法であろう。窓まで黒塗りのリムジンで、この場所――ここが何処で、どういう施設なのか、上野橋には分からない空間――に連れて来られるまでの間、移送を担当した黒服の男に問い掛けてみたが、
「教えること自体は吝かではないのですが、知らない方が身の為だと思いますよ」
と、尤もな返答をされた。その通りだった。
大方、ヤクザや半グレの集団だろう。違法なギャンブルを催しとして運営している反社会的な軍団。そんな者達の賭場に普通の大学生であったはずの上野橋は足を踏み入れることになった。
―――なんで、どうしてだよ……。
まともな者が彼の心の声を聞けば鼻で笑うだろう。
「なんで」も「どうして」もない。
ただの自業自得である。
●
薄暗い部屋の中には、二つの机があった。
公演台のような設備が、五メートルほどの距離を開け、向かい合わせになるように配置している。「どちらでもいいから選んで、立っていろ」。別の黒服の男に言われ、唯々諾々と従い、向かって左手の机の前に立った。
今の上野橋龍の中にあるのは、言葉では表現しつくせないほどの後悔と、「でも、この勝負で勝てば全部チャラなんだから」という、淡い期待だけだった。
ガチャリ、という扉の開く音で顔を上げる。
一瞬間、声を失った。
目の前――対する机に立った少女が、あまりにも美しかったからだ。
輝くワンレングスの金髪にエメラルド色の瞳、それに白い肌。海の向こうの国をイメージさせる。バラエティー番組のハーフタレントも顔負けの美少女だった。気だるげであるのに、年不相応な色気を持つ少女だった。
「あ、あんたが……対戦相手、……ですか?」
口ごもりながら、上野橋が訊く。
セーラー服の少女は、「そう」と短く応じた。
「へ、へえ……。若いのに大変ね、おたくも」
「…………」
彼女は暫し沈黙し、相対する青年を見つめていたが、やがてふと、
「……私はこの賭場に所属しているギャンブラーで、お金がないわけじゃない」
と言った。
上野橋の勘違いを正したのだ。
「ギャンブ、ラー……?」
「……? あなたもそうじゃないの」
「いや、俺はパチンコと競馬と、あとちょっと宝くじを買ったりするだけで、ギャンブラーじゃないよ!」
「十分だと思うけど……。まあいいや」
少女は言った。
「私は、テリコ。ここの代打ち。多分、あなたが倒すべき相手」
端的が過ぎる自己紹介に困惑したものの、上野橋は結局、
「……俺は、上野橋だ」
と、それ以上にシンプルに名乗った。
世間話をするような仲でもないし、そんな仲になることもないであろう。
テリコ。この少女に勝てなければ負債が倍額になるのだから。
●
「―――お待たせいたしました、御両人」
次に登場したのは、スタイルの良い茶髪の美人だった。
二十歳中頃くらいだろうか? カジノディーラー姿の女は、「私は勝負の立会人を務める、レナと申します」と告げ、大仰に頭を下げると、二つの机の中間、巨大なモニターの下に立つ。
そうして言った。
「上野橋龍様」
「は、はいっ!?」
にっこりと微笑み、レナは続ける。
「上野橋様は、我等のギャンブルへのご参加ははじめてですね? 歓迎致しますわ。どうぞ、勝利と賞金を手にし、お帰りくださいね」
「は、はあ……」
「ただし、上野橋様が敗北された場合、負債は倍の百二十万円となり、その債権は私共に移ります。どうぞご理解頂きますよう、お願い申し上げます」
「……はい……」
理解したくなかったが、これが現実だ。
自業自得、自縄自縛の悪夢のような現実だった。
……そうなれば大学は中退させられるだろうな……。
両親に泣きながら頭を下げる自分を想像し、暗澹たる気分になった。
「上野橋様、ご安心ください」
レナが再度、口を開く。
「テリコは当方所属のギャンブラーですが、私共がどちらか一方に肩入れすること、また、何かしらのイカサマを仕組んでいる等は、一切ございません。お約束し、お誓い致します。何も心配せず、戦ってくださればいいのですよ」
優しい声音で掛けられた言葉は完全に的外れであったのだが、とりあえず「ありがとうございます」とだけ返しておいた。
「それでは今回のゲーム、『トリック・オア・トリート』のルールを紹介します」
『トリック・オア・トリート』
●勝負は三ラウンド。一ラウンドは五分。
●ラウンド開始時、プレイヤーにはそれぞれ、六枚の山札から、二枚ずつ無作為に配られる。
●六枚の山札の内訳は『トリック』が三枚、『トリート』が三枚。
●そのラウンドで攻撃権を持つプレイヤーは、手札の中から一枚を選び、台の指定された位置に置き、確定ボタンを押すことで、『攻撃』することができる。
●もう一方、防御側のプレイヤーは、手札の中から一枚選び、台の指定された位置に置き、確定ボタンを押すことで、『防御』することができる。
●『トリック』での攻撃は『トリート』で防げ、『トリート』での攻撃は『トリック』で防げる。この場合、攻撃失敗となる。逆に、防御側が同じ種類の札を出してしまった場合、攻撃成功となる。
●攻撃権を持つプレイヤーは、『攻撃』の際、十万から百万円の単位で、賭け金を設定できる。攻撃成功の場合、攻撃権を持つプレイヤーは防御側のプレイヤーから賭け金を得る。攻撃失敗の場合、防御側のプレイヤーが攻撃権を持つプレイヤーから賭け金を得る。
●ラウンド終了時、使用した札と手元にある一枚の札を、台の穴の中に廃棄する。一度使用した手札はもう使用できない。
……イマイチ、分からない。
それが説明を受けた上野橋の感想だった。
先攻後攻に分かれ、カード当てゲームをやる、ということは分かるのだが、どういった風に戦えばいいのか、そもそもどんな風にゲームが進んでいくのか、それがイメージできないのだ。
「良ければ一度、模擬戦をしてみましょうか」
心情を読み取ったかのように、ディーラーの女が言った。
彼女は六枚のカードを取り出すと、入念にシャッフルした後、上野橋の前に差し出した。
「二枚、お取りください」
「あ、はい……」
真ん中の二枚を取る。
どちらも『トリック』だった。
同じように、テリコにもカードが配られる中、上野橋は気付く。
……ああ、なるほど。『トリック』と『トリート』がどちらも手札に来るとは限らないのか。
そう、それがこの『トリック・オア・トリート』の重要な点だ。
山札は六枚。『トリック』『トリート』共に三枚ずつある。だが、手札はランダムに配られるのだから、「どちらを出すか?」と悩めるとは限らない。同じ種類の札を二枚引いてしまうことも有り得るのだ。自分も、相手もである。
模擬戦。
テリコの手元は見えないが、どうやら手札を置き、ボタンを押したらしい。『セット』という文字が画面に映った。
「十万円」
「では、上野橋様」
どちらも『トリック』だ、考える必要もない。
一枚置き、ボタンを押す。再び『セット』の文字が映し出される。
「攻撃側のテリコ様、『トリック・オア・トリート?』と問い掛けていただけますか?」
「……トリック・オア・トリート」
液晶画面の中でハロウィンのオバケ達が動き出し、金額の推移を指し示す。
テリコから上野橋に十万円。
どうやら勝ったらしい。
「どうでしょう、お分かりになられましたか?」
「はい、まあ」
「質問がないようでしたら本番に移りましょう。本番では、私共から上野橋様に、六十万円をお貸し致します。それを元手に戦ってください」
何故だろう。
単純なゲームのはずなのに、テリコは酷く考え込んでいる様子で、それが無性に気になった。
●
先行は上野橋に決まった。
この『トリック・オア・トリート』は、読み合いのゲームであり、確率のゲームである。先のように、上野橋の手札が二枚とも『トリック』ならば、相手は『トリート』を持っている可能性が高くなる。単純な確率の問題だ。
……なのに、何故あんなに考え込んでいたんだ?
ディーラーが言う。
「それではゲームスタートです。先攻プレイヤーから手札を配ります」
先と同様に二枚引く。
『トリック』と『トリート』が一枚ずつ。理想の手札だ。
テリコにもカードを配ると、女が宣言した。
「それでは第一ラウンドを開始します。両者は五分以内に行動を決定してください」
上野橋は思案する。
……俺の勝利条件は、三ラウンド終わるまでに百二十万円を稼ぐこと。元手は六十万……。三回勝負なんだから、ある程度は強気に行かなきゃならない……。
さて、『トリック』と『トリート』のどちらで勝負するか。こちらの手札に一種類ずつある以上、テリコの手札は全く絞れない。
受験で勉強した赤い玉と白い玉の確率問題だ。赤い玉と白い玉が同数なら、二つ引いて、両方とも赤い玉である確率も、両方とも白い玉である確率も、そして一色ずつ出る確率も変わらない。何一つ絞れない。
ならば、と上野橋は行動に出る。
「なあ、あんた。あんたはどうして、ギャンブルをやっているんだ?」
心理戦だ。
相手の反応で、手札を見抜くしかない。
しかし、テリコの返事は実にあっさりとしたものだったから。
「真剣師だから。それを仕事にしてるから」
「じゃなくって……! どうして、ギャンブルなんて不安定なものを仕事にしようと思ったかだよ」
「それ、あなたに言う必要あること?」
ないことだった。
そう言われると返す言葉もない。
けれども、テリコはこう続けた。
「じゃあ、あなたはどうなの?」
「俺?」
「うん。あなたのこと、ずっと見てた。負債が六十万円ってことは、会社の経営に行き詰まったとか、そういう事情じゃないと思う。誰かを心配する感じでもないから、高額な医療費が必要というわけでもない。あなたには、」
そう、上野橋龍の顔には。
「あなたには、自己保身と、身の丈に合ってない酔いだけが見える」
―――酔い。
ギャンブルへの、パチンコへの、耽溺。
溺れている。嵌まっている。抜け出せなくなっている。
だから、こんな場所にまで来てしまった。
「ッ……! セット。さあ、あんたの番だ」
上野橋は会話を打ち切り、カードを置くと、乱暴にボタンを押した。
返す言葉が見つからなかったからだった。
●
豈図らんや。
勝負は上野橋有利で進んでいった。
一戦目、三十万を賭けた勝負で、先攻だった上野橋は勝利。第二戦、防御側になっても勝利を納め、更に三十万円のプラス。これで負債は原点にまで戻った。六十万円儲けた、と言い換えることもできるだろう。
最終ラウンド、三戦目。
上野橋は勝負に出た。
「セット! 金額は、六十万だ!!」
勝てば、帳消し。
負ければ、倍額の借金。
正真正銘の、最後の勝負。
対し。
「…………あなたは、」
真剣師の少女、テリコは呆れたように言った。
「あなたは、大事なことを分かってない」
「何が分かってないって言うんだ?」
「ギャンブルは、『やらない』って選択肢もできること。サイコロを投げるんじゃなく、好きな目を置いて、その出目が正しくなるように祈ることだってできる。それが分かっていないのは、ギャンブラーじゃなく、ただのギャンブル中毒者だよ」
「く、ふふ……! さては、二枚とも同じカードを引いたな? だから苦し紛れにそんな話をして、」
「確かに、このラウンド、私は二枚とも『トリック』を引いた。でも、」
そうして。
勝ち誇る上野橋に対し、至極冷静に、テリコは見せるのだ。
四枚の手札を。
「は……? おい、ちょっと待て。なんで、手札が、そんなに……!?」
「使ってないから」
「使って、ない……!? ルール違反だろ、それ!!」
「違う。ルール、訊いてなかったの? 攻撃権を持つプレイヤーも、防御側のプレイヤーも、『攻撃』と『防御』を、することができる、って言われたんだよ」
そう。
「することができる」、という言葉の意味は。
「そうしない選択肢もある」ということである。
●そのラウンドで攻撃権を持つプレイヤーは、手札の中から一枚を選び、台の指定された位置に置き、確定ボタンを押すことで、『攻撃』することができる。
●もう一方、防御側のプレイヤーは、手札の中から一枚選び、台の指定された位置に置き、確定ボタンを押すことで、『防御』することができる。
こうも説明された。
●ラウンド終了時、使用した札と手元にある一枚の札を、台の穴の中に廃棄する。一度使用した手札はもう使用できない。
即ち――「使用していない手札は破棄する必要がない」ということだ。
「そんな、馬鹿な!!」
「多分これ、そういうゲームなんだと思う。だって、じゃなきゃ勝敗が表示されないのがおかしい。どうして金額の推移だけが映し出されて、お互いに出したカードの情報は何も出ないの? カードで勝負するギャンブルなのに?」
詰まる所、テリコは一戦目も、二戦目も、勝負すらしていなかった。
手札を使用せず、一枚ずつ温存していたのだ。
故に、このラウンドで配られた二枚と会わせて、四枚の手札があるのだ。
「六十万の勝負だったよね。負債は、あなたに返すよ」
そして。
あまりにも呆気なく、勝負は決した。
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