2話

 とんとんと心地よいリズムで身体が揺れ、柔らかな太陽のような匂いと温かい感触。

 死を覚悟したことが夢であったかのような浮遊感に、少女は声を零した。


「お父さん……」

「悪いがそんな歳でもない」

「わっ! うわあぁぁ!!」

「こら、暴れるんじゃない」


 知らない男に背負われた少女は、状況を把握しようと思考を回転させる。

 さっきまでとんでもない化け物ムカデに襲われていて、仲間は全滅。自分の命すら吹けば飛ぶような状況で、突然飛び込んできた金髪の青年。そして……。


「あ、助けて、くれたんですか?」

「たまたまだよ」


 感情が窺えず、しかしどこか優しさを感じる不思議な男性。ひとまず悪い人ではないと安堵し、感覚がなくなった右足をちらりと見る。丁寧に応急処置を施されていて、どうやら千切れとんだわけではないようだ。

 空はすでに暗くなり、男のカンテラだけが頼りだ。普通なら夜の森を進むのは現実的ではない。


「あ、あの」

「あったあった」


 突然立ち止まり、足元の草を引き抜く。


「さて、いい感じに開けた場所だし野営をしようか」

「……はい」


 ここは全て任せてしまおうと、少女はコクリと頷いた。




「改めまして、助けてくれてありがとうございました。私はカリナ。カリナ・シュメーリスって言います」

「ロック・デュベルだ」

「ロックさん……」


 カリナはロック特性のスープをすすり、ちらりと彼を見る。とんでもない速さで野宿の準備をしてしまった彼は、食事もかき込むように終えると早々にすり鉢を取り出して薬草をゴリゴリと混ぜ合わせている。

 集中しているのか、話しかけるのは無粋なような雰囲気を感じてカリナは口を閉ざす。彼のあらゆる動きから、きっと高ランク冒険者なのだろうと予想するも、少し気になるところもある。彼はとても冒険者には見えない身なりなのだ。武器も防具もない。不思議なデザインの革と布の衣服と、腰のポーチが二つ。見た目だけで判断するなら装飾屋、小物職人といった言葉しか出てこない。薬草の調合をしているから薬剤師もありえるのか。何にせよ、魔物の出る森で野宿をしているタイプではない。


「出来たよ」

「あ、えっ?」


 すっかり没頭してしまい、ふいに近づいていたロックに気付かなかった。彼の手にはフラスコが握られていた。


「それは?」

「治癒のポーションだよ。運よく材料も揃ったから作ったんだ」

「薬剤師の方だったんですか?」

「違うよ?」

「……え?」


 沈黙が流れる。この世界では当たり前の常識なのだが、調剤は国家資格だ。それほど、薬剤師ではない者が薬を作るには難易度が高く、素人が失敗して悪化するのは目に見えている。同じ材料、同じ量でも失敗するほど繊細なのだ。


「待ってください。もしかして……私の足に?」

「まさか」

「で、ですよね!」

「足以外も治してあげるよ」

「待って! 来ないで!」

「ふふ、小さい頃のミリィみたいで懐かしいな。彼女も初めての時は暴れまくったもんだ」

「他にも犠牲者が!?」

「大丈夫だよ。無免許だけど勉強は欠かせてないんだ。ほら服全部脱いで? 副作用ですぐに眠くなるさ。全部任せなさい」

「いやぁぁぁあああああ!!!!」


 カリナはその人生で一番大きな悲鳴を上げたのだった。





「ようやく王都が見えてきたね」

「……そうですね」

「まだ起こっているのかい?」

「当たり前です!!」

「もう三日じゃないか」

「日が経てばいいってもんじゃないんです! 誰にも見せたことないのに……」


 ロックは困ったように頭を搔いた。カリナに施した治癒のポーションは破格の効果を表し、翌朝には無傷の健康体へ戻していた。しかし、治療の際に暴れるカリナを大人しくさせるため、無理矢理ポーションを呑ませて虚ろな状態にし、下着のみを残して衣服を脱がせて全ての傷口に残りのポーションを塗りこんでいったのだ。いくらガラス細工を扱うように丁寧に扱ったとはいえ、女の子を無断で脱がせた事実に変わりなく、カリナの反応も当然だった。


「十二か十三だろう? 大人と子供なんだから気にしなくても……」

「そうですけど!? だからって乙女の身体を!!」

「わかったわかった。悪かったよ。長引くほど壊死の可能性が上がるから仕方なかったんだ」

「それは……感謝してますけど」

「それより、そろそろ聞いてもいいかな。何故あんな所にいたんだい? 山の入口付近は確かに危険性は少ないが、君達のいた場所に限っては魔素が濃すぎていた。異常な事だ。すぐに引き返さなかったのかい?」

「そ、それは……」


 ポツポツと、カリナは当時の状況を説明した。

 カリナ本人はEランク冒険者。最低限の下積みを終えたばかりの新人であった。彼女はソロの盗賊職として優秀であり、ギルドが稀に出す合同クエストに招集されたのだった。『北部山脈にて新種の小動物と、その地では未確認の植物の群生地が見つかったため調査に行け』。いわゆる簡単な生態調査。ポイントを稼ぐには美味しい話だ。

 当日、生態学者を含めCランクの隊長からD〜Eランクの八人編成。広域を調べながら進む調査としては無難な数ではあった。寄せ集めながら道中問題なく、だが成果も特になかったのだ。本来は調査なのだからそれでも良かったのだが、好奇心旺盛な若い学者と血気盛んな若手冒険者。足は自然と対象区域を越えていた。


「それで運悪くあの場所に……」

「はい。事前の情報では特に危険地帯というわけではなかったんです。少し強い魔物がいる程度の認識でした」

「それで、魔素感知ができる人がいなかったのか」

「隊長の人が多少できたみたいなんですけど、戦士職の方だったので……」


 魔素感知というのは意外と難しい。人族は大雑把に戦士職、魔法職に適正を持って生まれてくる中、戦士が魔素を正確に感じるには相応の経験がいる。体内に多くの魔素を持って生まれる魔法職の人族ですら、低ランク冒険者程度では魔素濃度を感じ分ける技術は乏しい。中ランクの魔法職がいなかったことが悔やまれる事故だったと言える。


「これからどうするんだ? まだ冒険者を続けるのか?」

「…………」


 カリナは裾とぎゅっと握りしめ、静かに唇を噛む。

 ロックは冒険者の常識はあまり知らないが、冒険者をリタイアした人というのは何人も見たことがある。こういった事故で生き残った冒険者のほとんどが引退する。死を覚悟して魔物と戦う生業とはいえ、実際に直面するとなると話が変わる。


「辞めるわけには、いかないんです……」


 少女の不安そうで、けれども少し力の籠った声。それだけでカリナの強い決意のようなものは感じることが出来た。

 彼女は握った裾を軽く叩いて語りだした。


「うちの村ってすごく貧乏なんです。そこの農民生まれなんですけど、やっぱり毎年のようにご飯の心配もあって、結構大変なんですよ」

「そうか」

「ウチは働き手のお父さんが一年前に亡くなって、お母さんは病気であまり外にも出られないんです。私と小さい妹だけじゃ畑を管理するのも難しくって、そんな時、旅の人に冒険者のことを聞いたんです。直観なんですけど、これしかないって。きっと天職なんだって。いまだって、昔より実家の生活はマシになったんですよ?」

「そうだったのか」

「でも足りないんです。私の目標は、今離れて暮らしている家族をこの王都に連れてくること。お母さんをちゃんとした治療院に通わせて、妹がなりたいものを目指せるように環境を作ってあげるんです。それは今、私にしか出来ないから……」


 まだ親に甘え、育ててもらう立場の少女がなんと力強く生き抜こうといているんだろう。ロックは自身の過去と少し重なる部分があり、うまく言葉が出てこなかった。ただ理解したことを伝えようと、カリナの頭を優しく撫でた。


 ほどなく、王都に到着した二人は冒険者ギルドの前で立ち止まり、カリナの報告内容をまとめることにした。


「デスウォーカー……ですか」

「あぁ、あの魔物は山を越えた未開の地からどうやってか現れた。Cランクの冒険者があっさり負けてしまったのであれば、最低でもBランクを数人から数十人で組まないと調査もできないだろう」

「そんな魔物を一瞬で倒したロックさんって……」

「僕は……ワケアリってやつだ」

「う~ん」

「デスウォーカーの素材はちゃんと渡すんだぞ」

「はい、じゃないと信じてもらえないかもしれませんしね」

「最後に……」


 道中ずっと迷っていたロックは、覚悟を決めてあるものを差し出した。


「これは、投げナイフですか?」

「……【アレイジャイル】っていう僕が作った特別な武器だよ。カリナはきっと、投擲が一番伸びそうだと思うんだ。だからあげるよ」

「作った?鍛冶師だったんですか?」

「仕事柄鍛冶も出来るだけさ」

「でも私の武器は短刀が適正って……」


 冒険者ギルドに登録した日、持ち武器がなかったカリナはそのまま適正訓練も受けていた。村で小動物を狩っていた彼女は、比較的慣れていた短刀が適正武器だと見出されていたのだった。


「大丈夫、僕、自分の目には結構自信があるんだ。それに、登録から短い期間でD級に上がるほど高いポテンシャルもある。きっと使いこなせるさ」

「でも投げナイフ一本じゃ……」

「一度試し投げをしてみるといい。誰にも見られないとこでね。いいかい? それはかなり特殊な武器だから不用意に見せちゃだめだ。最悪盗られる」

「……そんなに強いんですか?」

 

 この反応を見てロックは安心した。強奪に対する恐怖心より、夢に向かう野心がずっと勝っている証だ。それは家族への底なしの愛情とも言えた。


「完璧に使いこなせば、カリナならA級は確実に行けるだろうね」

「……私、使える物は全部使うタチなんです。もう返しませんからね!」


 初めて見せる少女の満面の笑みに、ロックの頬も釣られて緩む。この選択は間違ってないんだと確信させてくれる良い笑顔だった。

 はたと我に返って腕を組んだカリナは、ちらりとロックの顔を覗き込んだ。


「こんなすごい物、お返しが思いつきません……」

「お返し?」

「はい、やっぱりタダっていうのも気が引けます。ロックさん何かしてほしいこととかほしい物ないですか?」

「あ、えぇ……う~ん」


 ロックは頭を抱え、静かに目を閉じる。この歳のこのランクの冒険者に求めるようなものは大抵自分でどうにかなる。普段一緒にいるミリィに対するように、やや保護者感覚になっていたこともあってお返しなんて一切考えていなかったのだ。

 しばらく沈黙した後、ふと思い出すように口を開いた。


「アーネスト孤児院は知っているかい?」

「アーネストって王都で一番大きいあの孤児院ですか?」

「一番? あんまり情報はないんだけど、そこに知り合いがいるんだ。アドレって男の子が今年冒険者になる予定だったハズだからさ。よかったらパーティーを組んでやってくれないか? ちょっと調子に乗りやすいところはあるけど、意志が強くて優しいやつなんだ……小さい頃は」

「う、う~ん。私ソロか合同クエストしかしたことないんですけど……」

「性格が合わなかったら無理はしなくていいよ。でも、きっと良い組み合わせだと思うんだ。それにアドレは弱くないし、上手く手綱を握れればたくさん稼げるはず」

「組みます! お金のために!」

「ははっ、よろしく頼むよ」


 お金が稼げればなんでも「はい」と言いそうな勢いに笑ってしまう。

 こうして武器の譲渡を終えたロックは、カリナと軽い挨拶をして別れた。少し不可解はこともあったが、目的の魔鋼花も手に入れてミッションクリアと満足げに宿へと帰ることにしたのであった。

 しかし、そこで思いがけない事件に出くわす。


「えと、もう一度聞いても?」

「はい……宿泊費は昨日までの分しかもらっていませんでして」

「……お金、ないんですけど」

「すみません、うちはツケでの宿泊はお断りしてまして」

「なんてこった」

「こちら、部屋にあったお荷物です」


 手持ちのお金を全てミリィに預けていたロックは、ここにきて野宿を余儀なくされたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る