3話
野宿から数日が経過し、王都に最も近い森の入り口に仮拠点を構えた男がいたことにより、駆け出し冒険者の間では「腕に自信がある浮浪者がいる」だとか「不審者が住み着いて怖い」などの噂が広まりつつあった。
そんな問題の初心者の森に一人の有名人が踏み込んだ。空色の大きな三つ編みに唯一無二の魔法杖を携えた宮廷魔術師であり、ギルドランクA級トップに位置する実力者の女性。彼女は目の前のハンモックで読書にふける浮浪者に対し、聞かせるようにわざと大きく溜息を吐いてキッと睨んだ。
「ロック・デュベル。貴方、こんなところで何してるのよ……」
「おや、ミルティじゃないか。随分久しぶりだな」
「貴方が全然来ないから久しぶりになったのよ!!」
ミルティは背丈ほどもある大きな杖でロックの頭を叩いた。聞こえた者に痛みが伝わってくるような低い打撃音と共にハンモックから落ちたロックは、記憶の中のミルティと大きく様変わりしていたことに関心していた。
「随分大人っぽくなったね」
「殴られて第一声がそれは気持ち悪すぎるからやめて」
「なんだ、家族みたいなものだろ? 素直に成長を褒めたんだ」
「人の身体を眺めながら言うなって言ってんの! 相変わらずズレた思考回路なんだから……」
ミルティは同年代の女の子と比べても豊満な胸を隠して、再び溜息を吐いた。
ミルティ・アーネスト。ロックの幼馴染にしてアーネスト孤児院の代表である。現在ロックの一つ下である21歳にして、数多の魔術回路を発明し、王都の生活水準を底上げした稀代の天才。間違いなく歴史書に載る偉人であると名声を集めている一人だ。
彼女は父親に連れられてロックの家に滞在したことがあり、そのまま年に数度友達として泊まりに来るほど仲が良かった。とある事件でロックの家庭が崩壊した後は、自身の魔術師としての仕事や孤児院の手伝いからロックと会う回数は減り、今日こうして出会うまで六年の開きがあったのだ。
それでも、彼女の心のどこかには常にロックの安否がチラついていて、まさかこんなところで優雅に読書をしているだなんて思いもしなかった。
「とりあえず、場所を変えましょうか」
「ああ、少し待ってくれ。いま結界を張り直す」
「【バーンコメット】」
「ああぁぁあああああ!!」
ロックがポーチから結界石を取り出すより先に、炎を纏った巨石が彼の拠点を焼き払った。凄まじい破壊音と燃え盛る業火を前に膝から崩れ落ちたロックの首根っこ掴んで、ミルティはツカツカと歩き出した。
「なんて酷い……頑張って一から作ったのに……」
「あのね、苦情が出てるの。新人の冒険者から。憲兵が動く話もあったんだからね。宿代も持ってないなら始めから私を頼りなさいよ……バカ」
大きな鐘楼の通りを西に向かって歩くと、衣類や家具など日用品がメインの店が立ち並ぶ。その一番奥に教会を元に改築された大きな施設がある。教会、学舎、宿舎、庭に小さめの農地まで完備された王都一の規模を誇るアーネスト孤児院である。
その裏口から宿舎二階に上がることで、ショートカットをしてミルティの自室に入ることが出来る。道中小言を聞きながら付いてきたロックは、今はミルティの淹れたコーヒーを堪能していた。
「質の良い豆だ。昔よりずっと香りが良くなった気がするよ」
「わかる? 南の島国で見つけてからずっと取り寄せてるの。それを専用の魔道具で焙煎して甘味も加えてみたり苦労したのよ」
「さすが、こだわり屋さんなとこは相変わらずだな」
「そんなことよりロック。町に来たときは顔くらい出してって言ったでしょ? カリナって女の子が訪ねてこなかったら本当に気付かなかったかもしれないじゃない」
「お、カリナはもう来たのかい?」
「えぇ、しばらくはここで世話することにしたの。今はアドレと一緒に坑道の討伐クエストに行ってるはずよ。そうそう、あの子すごいわね。アドレと模擬戦したんだけど、ほとんど互角だったわ。同年代でうちのアドレと同等の子はもう王国では出会えないと思ってたけど、世の中そう甘くないわね」
「そうだろう? 僕も驚いたんだ。まさかアドレの他に
「やっぱりそうよね」と小さく漏らしたミルティに、ロックは心の中で感嘆した。
この世界に生まれた人間のほぼ全ては、魔力適正か身体適正のどちらかに大きく傾くか、どちらも持たないことが多い。そんな中どちらにも適正を持つ者がごく稀に現れる。この国の住民では僅か四人しかおらず、世界的に見ても百人に届かないと言われているのだ。
そんな二重適正を一目で見分けるのは実は至難の業で、一般的に魔術師は魔力を視ることが出来るが闘気を視ることは難しく、戦士はその逆だ。二重適正者もある程度どちらの力を扱えていなければならないなど条件が多い。魔法や戦技を使える段階にいない新人冒険者は特に見分けがつかず、ギルドでも『実際にやらせてみる』ことしかできない。
それをミルティが見抜いたというだけで、彼女の並々ならぬ努力が証明されるのだ。王国トップレベルの魔術師としての研鑽に加え、適正を持たない闘気コントロールまで身に着けているということになる。
ミルティは少し肩をあげる。
「私にもロックと同じ眼があればなぁ。カリナはどっちも薄っすらしか見えなくて困っちゃった。アドレも貴方が言わなきゃ完全に戦士だと思っていたもの」
「この眼は特別だからな。まぁ良いことだけじゃないさ。君たちの視界と大きく異なっていて情報量も多いし、発現したときはよく頭が割れそうになったもんだよ」
「継承したんだっけ。お父さん……バレット様も頑張って使いこなしたのかしら」
「いや、父さんは生まれた時から宿っていたらしいよ。この眼【識別眼】はおそらく世界に一人しか持てない。だから、父さんが死んだ瞬間に僕の目に宿ったんだ。どうせなら父さんと同じく生まれたときから使えてほしかったね」
「そう……」
ミルティはふと下を向いた。ロックがいまどんな心境か理解しないまま家族の話をさせてしまったからだ。
ロックの家は世界一を認定された魔道具、魔武具の改修工房。唯一無二のその家族は、過去類を見ないスタンピードによって失われた。
トリアイナ王国からバレットの工房を通り過ぎ、遥か先に前人未踏の死の森が広がっている。自然豊かな森でありながら、入った者が決して帰らない。理由は単純だった。魔物が余りにも多く強過ぎるのだ。
そんな森からの大規模スタンピードで最初に被害を受けるのはロックの家である工房だ。父、バレット・デュベルの戦闘力は冒険者で言うB級。ベテランの中で普通とされるほどでしかない。そして兄のマグナス・デュベルは特級騎士。国でも有数の戦力だった。
しかし、彼らは魔物の激流を国に報せることと小さな子供一人を守ることしか出来ず呆気なく命を落とした。スタンピードは戦争レベルの戦力を投入され、トリアイナ王国城壁付近でようやく収束に至った。
当時、D級冒険者として参加していたミルティはこの時の光景を決して忘れることはない。自身の疲弊も差し置いてロックの元に駆けつけた彼女が見たものは、バレットが作った避難壕の前で、血にまみれた仁王立ちのまま固まったマグナスと、その後ろで扉を守るように死んでいたバレット。
血の気が引いた。
傷付いていない箇所がないほどボロボロの偉大な騎士は、僅かな力でミルティを見つけ戦いの終わりを感じ取ったのか、微笑みを浮かべ、立ちながらに事切れた。
絶望としか表現が出来ない視界に囚われ。ミルティは震えたまま動けなくなった。その後すぐに到着した騎士団が泣き声や怒号を漏らしながら遺体を回収し、避難壕の中の男の子を保護する姿をただ見ていたのだ。
そして、目が合った。
幼馴染の、全てを失ったロックの空虚な瞳。
泣き腫らしたその目には、しかし、何か決意のような光を帯びていた。
「ミルティ?」
「え? な、なに?」
「どうしたんだ。いきなり黙り込んで」
「あ、あはは! 何でもない何でもない! ごめんね急に!」
「そ、そうか?」
「それよりコーヒーお代わりいる? 実は違う豆も」
「ただいまー!!」
話しを逸らそうとしたミルティに追い風が吹くように、空気を強制的にリセットしてしまうほどバカでかい声が響き渡る。元気な男の子の声だ。廊下をドタドタと走ってくるそれはすぐにミルティの部屋の前で止まり、勢いよく扉が開かれる。
「なぁ聞いてくれよミルティ! 凄いことがあったんだ!」
「アドレ! 人の部屋に入る時はノックしなさいって」
「あぁあああああああ!! ロック兄ちゃんいる!! なんでなんで!! なんかでけぇ!! かっこいい!! うわぁロック兄ちゃん!!」
「ぅぐっ! 元気そうだねアドレ」
犬っ毛と大きな目、太陽のような笑顔がトレードマークの少年がロックの胸に飛び込んできた。その甘え方に懐かしさを感じながら、まだ幼い体でいてくれたアドレをそっと抱きしめた。
アドレとロックが出会ったのはロックがまだ十六歳、アドレが七歳の年齢だった。ミルティのクエストに無理やり付いてきたアドレが、たまたま修行中のロックに出くわしたたった一回である。当時、まだ家族の死を引きずって尖っていながらもどこか深い優しさを見せるロックに、好奇心旺盛なアドレは惚れ込んでしまったのだ。それからミルティのクエストに強制的に同行させられたロックとの三日間。気づけば兄と呼ぶほどに心を開いていたのである。
「そうだロック兄ちゃん! 見てほしい子がいるんだ! きっと兄ちゃんも驚くよ! カリナ! 早く早く!」
「アドレも手伝ってよ! っていうかロックさんいるんですか!?」
バタバタとアドレが出ていったかと思うと、入れ替わりでカリナが入ってくる。
「ロックさん! あの時貰ったやつの事であとで話があるんですからね! 今は忙しいので待っててください!」
それだけ残すと、カリナはまた廊下に出ていった。
ロックとミルティは顔を合わせ、二人して首を捻っていると、バタバタと暴れるような音と話し声が近付いてきた。「なぁ頼むよ!」「無理なんです! ホントに!」「まずは一回だけでも!ねっ!」など、アドレとカリナが誰かを説得しているようだった。
どこかで聞いたことのあるような声が気になるロックであったが、その正体はすぐに目の前に現れた。
「離して下さいぃ!!」
「なんだ、ミリィじゃないか」
「ロックさん!? 助けて下さい! 人攫いです!」
アドレとカリナに担がれて登場したのは行方知れずのパートナーであるミリィだった。
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