1話

 人族が統治する国はこの世界に五つ。その中で最も広大な土地を持ち、ハイレベルな冒険者が集まるのがこのトリアイナ王国。豊かな農地に海も山も近い。豊穣の神エストリアに愛された平和の国と名高い人種の誇りそのものだ。

 広々としたバルコニー、木漏れ日と香り立つコーヒーを満喫するにはこの国しかない。と、言いたげな表情でロックは小さなカップを傾ける。


「ロックさん。聞いてました?」

「あぁ、実に良い味だな」

「コーヒーがそんなに美味しいならもういいです。どうせロックさんには私のことなんて昼下がりのティータイムより興味が無いのでしょうね。誰がお金を払ってこの高価な飲み物が飲めているのかもきっとどういんでもいでしょ? 私がどれほど頑張ってロッ……」

「待って待って、冗談だから」


 ほんの少し気持ちを切り替えてあげようとしたのが裏目に出てしまい、ロックは直ぐにカップをテーブルに置いた。

 冒険者ライセンスの手続きを終えてから四日。ロックは一度目の面接を終え、ミリィは七段階あるランクのFランクを免除されEランク上位からスタート。二度のクエストを達成しDランクに昇格していた。

 しかし、実技は申し分ないが知識が伴わず、このままではCランクに上がるのは難しいと判断された為、ロックを先生とし勉学に励んでいた。


「じゃあ、この文字は何と書いてあるのですか?」

「『戦争』だよ。これは『宰相』で、これは『備蓄』言葉の意味はわかるね?」

「はい、読み方さえ分かればよく見知った言葉ですね。これは人種同士の戦争に関する書物でしたか」

「正確にはトリアイナ王国の歴史書。ミリィ、だから絵本以外も読みなさいと言ったんだぞ」

「それは……ロックさんの持っている本はどれも難し過ぎるんです」

「全く……」


 ロックはテーブルに積み上がった本を一つ取り、文字をなぞるように指を這わせる。


「知識が必要なのはBランクまで、それ以上は戦力しか求められない。とはいえ、生きていくのに知識はあればあるほど良い。何を職に付けようと、選択肢が一つでも二つでも多い方がいいんだ。生涯を冒険者であっても、農民であっても変わらないさ」

「わかってますぅ……」


 少し言い過ぎたのか、ミリィは目に見えて落ち込んでしまった。叱られることに慣れていないようだ。

 ロックはこれまで、滅多にミリィを叱ったり怒ったりしなかった。ミリィは頭が良く、誰の目から見ても『良い子』だったからだ。しかし、冒険に出るにはそれだけでは足りない。キチンと独り立ち出来る常識を付けさせて上げることが、保護者であるロックの成すべきことなのだ。

 とはいえ、ロックも叱り慣れていない。慎重に言葉を選んで心のケアを優先してしまう。


「……ミリィは地頭が良い。何でもすぐに覚えるし、やれば出来るを素でやってしまう秀才だと思っているよ。僕はそれが誇らしい」

「えへへ」

「難しい本だってすぐに難しくない本になってしまうだろうね。ほら、少し休憩しよう。このケーキってのが美味しいんだ」

「食べます! 私のお金ですが!」


 満面の笑みで無垢な嫌味を吐かれ、ロックは内心で吐血した。

 しばしの休憩。街ゆく人々を眺めながら緩やかな風を堪能していると、ミリィはとある建物を指を差して口を開いた。


「あの塔、ちょっと変ですよね。綺麗な街なのに、あの塔だけ手付かずと言いますか」


 城の影に見える北側の塔。石造りのように見えるが、所々欠けていて黒く焦げている箇所もある。


「あぁ、あれは人族同士が戦争している時代の名残だよ。人魔戦争は知っているね?」

「はい。『人魔千年戦争』ですよね。人族と魔族の千年にも及ぶ戦争。人種同士の戦争ということは、もっと前の話ですか?」

「いや、人族同士の戦いは千年戦争の最後に起こった事件だよ」

「え、でも……」

「ちょうどいい。試験にも出るかもしれないから少し教えてあげるね」


 ロックは淡々と語り出した。


 そもそも『人魔千年戦争』の終着は、代替わりした魔族の王と、神の子と言われる人族の王族によって同盟宣言が結ばれたことで終止符が打たれた。それは今からたった四年前のこと。戦況の違和感に気付いた当時七歳のトリアイナ王国第三王女による誰も考えつかなかった奇策。魔族から奪った土地の無条件返還。そして、護衛二人のみを連れ魔王国に赴いた第三王女単身の停戦交渉。およそ人らしからぬ思考回路、慈愛の様相に人々だけでなく、魔族からも神の子と呼ばれることとなった。

 停戦は即座に叶った。王女が感じた違和感は、ある時期から始まった人族の死者の減少。彼女の思惑は正しく、今世の魔族の王は争いを嫌っていたのだ。互いの念願が実を結んだ形で、平和への道が開かれた。


 そして、そんな状況だからこそ王女不在を期にトリアイナ王国へ戦争を仕掛けた『魔導軍事国家メルストフ』の進軍は誰にも邪魔されなかった。欲深いメルストフの王は人族の統一。その力を持って魔族を皆殺しにする策謀を立てていたのだ。

 傍目には、人魔戦争の前線にどの国より人員投入していたトリアイナ王国は為す術なく崩れると思われていた。しかし、トリアイナは堕ちなかった。世界屈指の冒険者が集まっていたことが最も大きな理由だが、半年後に帰還した王女がその才気を持ってメルストフの王を討ち取ってしまったのだ。


「あの塔はメルストフ軍が攻めてきた時の名残だったのですね。人々がまた無益な争いをしないよう戒めとして」

「一般に広まっている知識としてはそういうことだ。まぁ、王女の功績を形として残したでかいアルバムなんだけどね」

「アルバム……?」


 ロックは目を細め、情報源となった一人の男を思い浮かべていた。

 少し身体を伸ばして、ミリィのペンを借りて紙に走らせる。


「そうだ、その時期に広まったとされる紋章陣なんだけどね……」

「す、すみません! ロック様ですね!」


 突然、店からバルコニーに繋がる扉がバンと開けられる。出てきたのはギルド職員の制服を着たエルフの女性だ。


「え? ルルシュナ様?」

「ミリィ、知り合いかい?」

「はい、冒険者ギルドの私の担当職員様です」

「もう担当がいるのかい。優秀なんだね」

「もう、これでも三日でDランクまで上がった飛び級冒険者なんですからね!」


 ふぅん、と来訪者の方をジッと見つめる。どうも慌てた様子で落ち着かない表情だ。取り繕うように息を整えているが、早く要件を伝えたくて口がもごもごしている。


「失礼、ルルシュナ殿。ロックは僕だけど、そんなに急いでどうしたんだい?」

「それが、ロック様のライセンス再取得の件で身辺調査を行っていたのですが、その際にとんでもない物を預かってしまいまして……」

「とんでもない物?」

「はい、こちらになります」


 人から見られないよう壁になるように近くに立ち、ルルシュナはバッグから『とんでもない物』をロックに渡す。それはどう見ても手紙であり、ロックはそこに印字された紋章を見てやや手が止まった。


「冒険者ギルドは自営団体だと思っていたけど、随分大きくなってたみたいだね」

「ロックさん、何だったのですか?」

「これを見てご覧」


 手紙に記された花と剣の紋章。この国を生きる者であれば誰もが知る紋章だった。


「えと、すみません。紋章はまだ豊穣の神を信仰するエストリア教のものしか分からなくて……でもちょっと似てますね」

「エストリア教はこれと同じマーテル花と女神が使っていたとされる守護の盾だからね。この剣は英雄王の聖剣。絵本にもなっている人の剣だ」

「あ、見たことあります! 英雄王伝説好きなんですよね。確か、あの話はここトリアイナの史実をもとに作られたとか……え、もしかして」

「正解だ。これはトリアイナ王家の紋章なんだ」

「えぇええっ!?」

「こらこら、公共の場で大声を出すもんじゃない」

「す、すみません……」


 ロックは手紙を懐に仕舞うと、辺りを警戒してくれていたルルシュナに向かって手を挙げ、警戒を解かせた。


「ありがとう。ついでにお願いしたいんだけど、ギルドの応接室を貸して貰えるかい? ここで開けるわけにはいかないからさ」

「もちろんです! では、案内致しますね」


 三人は速やかに移動を始めた。

 ギルドで手紙の中身を確認した二人は、早々に別行動をとっていた。内容を簡潔にまとめると『ロック・デュベルは早急に謁見に参れ』である。衛兵に捕らえられるわけではなく、あくまで自主性を与えられる謁見。王宮からの呼び出しに否は通じないにしても、最低限身の安全は保障されている。

 ロックは当たり前のようにミリィを誘おうとしたが……。


「やだやだ! 絶対に行きません!」


 断固拒否。そこそこ長い付き合いであるロックですら見たことないほど駄々をこねていた。とはいえ、嫌がる理由は分かっているため、ロックは引き止めることはせず自由行動を受け入れたのだ。


「今日行くなんて言ってないんだけどな」


 話しも聞かず二、三日かかるクエストに行ってしまったミリィの心配もあるが、王室に招かれた者の礼儀として手見上げを見繕わなければならない。

 ロックは腰掛けのポーチに手紙を入れると、少し考えてからどこかへ歩きだした。




 日も赤みを帯びてきた頃、ロックはトリアイナ北部の山脈をさ迷っていた。


「確か、この辺のはずなんだが……」


 ロックの目的は【魔鋼花】という入手難度Aランクの珍しい花だ。秘薬エリクシルの材料にもなる有名な花だが、その優美な青色の発光に特殊な道具を使わない限り傷一つ付かない硬度から、王侯貴族に好まれるインテリアとされている。

 しかし、狙って手に入れるのは極めて困難。群生地を持たず、どんな環境にでも適応する特性があるくせ、数がとんでもなく少ない。どこにでもあるし、どこにも無い。唯一証明されているのは空気中の魔素を取り込んで成長するということだけ。故に魔素の多く、発見例のある場所を中心に探すのが『強いて言うならまだマシな探し方』であった。


「仕方ない。まだ魔素が少ない気もするが、この辺りで……」


 ロックはポーチから道具を取り出そうとしたが、その手を止めた。

 神経を集中させ、わずかに聞こえた違和感を探そうと聞き耳を立てた。


 …………


 ………っ


 ………けてっ


 ロックの黄金の瞳が北東を凝視し、その瞬間、彼の身体が消えたのかと思うほど速く走り出していた。


「冒険者か?」


 迷いなく、最小限の動きで木々を避け、目的地に近づくほどに強烈な気配と先ほどの声が正確に感じ取れた。緊迫した空気がまとわりついてくる。徐々に状況が明確になる。


「助…けてっ!」


 ロックの足が止まり、その凄惨な状況に眉をひそめる。充満する血の匂い、ところどころ食い散らかされた死体が六体、それを我が物と言わんばかりに長い体をぐるりと囲わせた大ムカデの魔物。生き残った年端もいかない少女は恐怖に強張り、食われていく仲間を傍観するしか許されていなかった。

 やや数は多く感じるが装備を見るに低ランクの冒険者のパーティー。ロックの目の前に広がる巨大ムカデを相手にするにはあまりにも未熟な身なりだ。


「不運なことだ……」


 右手をポーチに入れ、この場に最適な武器を握る。

 申し訳ないと思いつつも、捕食中は隙が大きい。この機会を逃すわけにはいかず、最速で攻撃を仕掛ける。

 飛び込んだ瞬間、巨大ムカデがロックに気付く。しかし、迎撃に動くわけでもなくそのまま固まっている。

 渦巻く胴体の中心に降り立ち、傷だらけの少女にそっとローブをかけると、彼は跪いてポーションを取り出した。


「足が折れている以外はそこまでひどくはなさそうだね。今は痛み止めのポーションしかないけど」

「ぁ……やくっ」

「ん? 落ち着いて」

「早くっ……っ! 逃げてっ!」

「大丈夫。終わったよ」


 はたと少女が我に返る。飛び込んできた男性の後ろでに固まるムカデの化け物は徐々に動き、その瞬間、仲間の血に濡れた凶悪な頭がぽとりと地面に落ちた。皮切りに、辺りを覆っていた長い胴体もブツ切りに崩れ落ちて

 しまった。


「た、倒した……の?」

「ああ、仲間を助けられなくてすまなかった」

「うっ……あ」


 安心したのか、少女は気を失って倒れた。もう助からないと思っていたのだろう。強烈なストレスを受けた者独特のやつれた顔色だ。

 ロックは丁寧に少女を抱え上げると、異常な状況に溜息をついた。


「こんなところに【デスウォーカー】が出てくるなんて。一体何が起きているんだ」


 王都からかなり離れているとはいえ、ここはトリアイナの領地。立地的にはこの山脈を挟んでその先が未開の地とされているが、あちらの生物であるデスウォーカーが生息するはずがない。ロックはその理由を誰より理解していた。


「はぁ、面倒だ。しかし、嬉しくないことにこっちの目的は達成か」




 ムカデの死骸の後ろには、大木に寄り添うように一輪の魔鋼花が咲いていた。

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2024年12月5日 18:00

異世界で『夢』を追うことにしました。 琴野 音 @siru69

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