あんまりに私のほうが年上すぎる縁談かと
首都オーデバリ。
大運河のあるこの騒がしい街に来るのは、約半年前、年末年始に家族と過ごしたきりだった。
季節はすっかり夏に入り始めている。夏至の祭りの準備をするために、人々があくせく働いているのを、イレイェンは馬車の中から見た。
馬車は貴族街に入り、青い屋根の豪華な集合住宅の一角に停まった。
馬車を降りると、玄関から乳母に抱かれた子供が出てきた。子供の名前はテオドル、イレイェンの十九歳年下の弟だ。今年六歳になる。
「かあさま! ねえさま!」
弟は小さな手を大きく振ってきた。こちらも振り返す。そういえば、弟くらいの少年に、かなり前に王宮で迷子になった際、助けてもらったな、と思い出す。あの少年は今どうなっているのだろうか。
弟は姉と母のところへニマニマしながら寄ってきた。手に木の棒を持ち、振り回す。
「ちゃん! ちゃかん! ちゃきーん! 騎士テオドルのしょうり!」
イレイェンとロヴィーサは、揃って胸や腹を押さえて地面にうずくまる演技をした。
「ううっ! やられたぁぁ」
「降参いたします! 騎士様」
六歳の次期フェーリーン公爵は、えっへん、と腰に手を当てて、得意顔をする。
二階の窓からは、四十を過ぎた父が、小さく手を振っている。
こんな幸せな家族になるとは思っていなかった。家族のために時間を取るようになった父。優しい義母。かわいい弟。穏やかな家族。
ロヴィーサを迎えたのをきっかけに、合理的な父は維持費節約のために大きな屋敷を引き払い、貴族が住まう集合住宅に引越した。だから、過去を思い出させるものはこの家に何もない。
だが、それであっても心の膿は消えない。それは悪いことなのでは、とイレイェンは自分を責めてしまう。だから、家族と一緒に長くはいられず、田舎にずっといる。
父の書斎へ向かうと、「待っていた」と言われた。
フェーリーン公爵イクセル。モノクルをつけ、亜麻色の髪を撫でつけたこの知的な人物は、イレイェンたちの父親であると同時に、王国行政長官である。
「まあ、ロヴィーサから話は聞いていると思うが、そういうことだ。ミュルバリ大公との縁談がきている」
「……あの、父上。あんまりに不思議な縁談で……」
「不服か?」
「そうではなく、その、私のほうが年上すぎる縁談かと」
使用人が父に火を差し出してきた。父は葉巻に火をつけ、煙をくゆらす。
「いや、実は父上もびっくりしている」
「やっぱり」
「今、国王陛下を忠誠心でもってお守りしてきた、先の王妃殿下のご実家のカルネウス侯爵の求心力が落ちている」
「え?」
父はくすりと笑った。
「カルネウス侯爵は商人の機嫌を取るのが下手だ。商人や農民に横暴を働き、無体な要求ばかりし、嫌われて、金を貸してくれる商人はいなくなったという。もう国王陛下をお支えする力はないな。国王陛下とミュルバリ大公兄弟はそれをひどく案じられ、カルネウス侯爵から我がフェーリーン公爵に目を向けるようになられた。ようやく」
「で、国王陛下にはすでにお妃様がおられるので、私がミュルバリ大公殿下に嫁ぐということですか?」
「そうなんだが……その、お前、いきおくれだろう?」
「はい」
イレイェンは大きく頷いた。何かが間違っている。ミュルバリ大公には間違った歳が伝わっている可能性が高くなってきた。
「当初父上も娘の結婚など考えずに、領地を献上するなどといった、色気も何もない方法で国王陛下ご兄弟をお支えしようと思っていたわけだ。だが、ミュルバリ大公殿下は、イレイェンというご令嬢が欲しい、と
「何か間違っておいでなのでは……」
「いや、何度もイレイェンの情報は伝えて確認した。だが、殿下は『まさにそのお方こそ僕が心に決めたお方です』と仰られ、……お前、殿下に何か一服盛ったか?」
「盛るも何も、直接には存じ上げません!」
イレイェンは叫び声をあげた。父は「知ってる。だって都にいないし」と返し、続けた。
「とりあえず、数日中にミュルバリ大公殿下のお屋敷に参ずる。支度しておけよ」
「は、はい……」
振り向けば、ロヴィーサが華やかなドレスを三着持って、うきうきした笑顔を浮かべている。
「じゃあ、どれがいい? ねぇ、どれがいい?」
イレイェンは、「なるべく目立たないドレスがいいですっ!」と応え、「じゃあ、これ〜」とロヴィーサは一番華やかなドレスを手渡してきた。
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