第71話 悲嘆寺

 41年前。悲嘆寺ひたんでら

「住職さん。あとはお願いします」

「こんなご時世です。どうかお気に病まないように」

 女性は子供を住職に預けた。

「ママ?」

「あなたは今日から、この寺に住むの」

「なんで?」

「お互いのために仕方がないのよ。分かってちょうだい」

「分かんないよ。なんで? 私がよく風邪をひくから?」

「そうじゃないのよ。そうじゃないけど……」

「シエルさん。お母さんを困らせてはいけませんよ」

「でもお坊さん!」

「シエル! こんな私のことは恨んでもいいから。もう大人しくしてちょうだい」

 母親は子どもに怒鳴りつける。

「ママ?」

「ごめんなさい」

 そう言って。彼女は去っていった。


「シエルさん。初めまして。私はビレチー。これからよろしく」

「ん」

「早速お寺の中を案内しますね」

「ここが本堂。御本尊を祀る場所。向かって右側が道場。左が禅堂。そしてその隣にある建物が、私たちが暮らす僧坊」

「広いんですね」

「ここには君みたいな子が沢山いますからね」

「でも静かです」

「今は皆修行中ですので。もう少ししたら終わると思うので、挨拶をしてください」

「はい」


 当時のその地域では、領主が高額な税を要求し、民衆は貧困にあえいでいた。悲嘆寺はそんな時世、口減らしにと、医療費のかかる病弱な子どもが預けられていた。

 子どもたちは望む望まぬを問わず、寺の坊主となり、修行をしていた。

 そんな折である。子どもを車椅子に乗せた母親がやってきた。

「この子は体の筋肉が動かせなくなる病気なんです。終いには呼吸も出来なくなるそうです。どうか仏様の近くで、安らかな最期を迎えさせてあげてください」

「承りました」

 ビレチーは母親を見送る。

「お名前を聞いてもいいかな?」

「アレスです。母とはきちんと話し合って決めました。浄土に行けるように、精一杯精進したいとおもいます」

「偉いね」

 

 それから半年が経った。アレスの体は殆ど動かせなくなり、修行どころではなくなった。

 手足は棒きれのように細くなり、トイレにも行けない。声はかすれて聞き取りにくい。眼球と瞼はかろうじて動かせる。そんな状態だった。

「ビレチーさん。私はもうじき喋れなくなります。その前に聞きたいことがあります」

「何でしょうか」

「私は無事、仏様のところへ行けるでしょうか?」

「きっと行けます。貴女はその病を抱えながらも、真面目に修行に励みました。輪廻を解き放つことができたでしょう」

「そうですか。それは良かった」

「他に何か残したい言葉はありますか?」

「最期に、竜宮城へ行ってみたいです。伝承では、あそこは時間がゆっくり流れているといいます。そこなら、私はまだ生きられる。やっぱりまだ、私は死にたくありません」

「私一人では決められません。皆さんとも話し合ってから決めます。最善は尽くします」

「どうかお願いします」


「と言うわけで、竜宮城に行こうと思います。皆さんは行きたいですか?」

「私は行きたい」

「僕も」

「じゃあ僕も」

 7割がた、手が上がった。

「俺は反対だぜ」

「シノブくん」

「俺は体の節々が痛いんだ。それに、ここに来てからもう7年。いつ死んでもおかしくない。最期くらい、住み慣れた場所で迎えたい」

「私も。死ぬわけじゃないけど、空気が綺麗なところじゃないとすぐに咳がでるから、遠くへはいけない」

「僕もお腹弱いから、すぐにトイレに行ける環境じゃないと、ちょっと」

「そうだよ。それに介護が必要な子は、アレスだけじゃない。皆が出ていったら、その子たちはどうなるの?」

 反対派の声は尤もだった。

「確かに皆さんそれぞれに事情があるのは分かります。今回の話し合いには、それを確認する目的もあります」

「じゃあ、やっぱり竜宮城へは行かないの?」

「いえ、行きたい人は連れて行こうと思います」

「⁉」

「ビレチー、俺たちの意見は聞いてなかったのかよ? あんたがいなくなったら、俺たちはどうすればいいんだよ?」

「代わりの者を呼びます。子どもを預かっているのは、ここだけではありません。かつて私が修行していた成人寺なりひとてらが近くにあります。そこから、手の空いている者を呼びます」

「いやだよ。ビレチーと一緒がいい」

 反対派の子どもが訴える。

「私か皆さんと一緒でなければ、アレスさんは旅が出来ないと考えています。彼女は今まで、真面目に修行に励んできました。利き腕が動かせなくなっても、片方が動くからと写経をし、食事も皆さんと同じペースで食べられるようにと、必死に手と口を動かしていました。その手さえ動かせなくなっても、口が動くからと読経は続けました。私は彼女の願いを叶えてあげたいのです」

「それだと俺たちは真面目じゃないとも聞こえるんだけど」

「そんなことはありません。ただ、ここに残りたいという願いは私でなくても叶えられます」

「叶わねーよ」

「終末患者の世話は、当事者をよく知らねーとできねーよ」

「それは……、そうかもしれませんが」

「ねえ二人とも落ち着こうよ。この話はまた明日にしよう。ね」

 皆は部屋を後にする。

「シエルさんすみません。私が頼りないばかりに」

「ううん。ビレチーは今まで1人で皆の世話をしてくれた。私の知ってる大人の中で、一番頼りになる人だよ」

「ありがとうございます」

 とはいえ、本当にどうしようか。もう一人私が居れば解決するのに。

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