第61話 糾える

 店を引き継いでから13年。

 ドランカードはまだ酒に飲まれたまま厨房に立っていた。

「お父さんも言ってたけど、酔ったまま厨房に立つのはどうにかならないの?」

 彼の母が問う。

「この方が手際よく調理出来るんだよ。今更なくせねーよ」

「厨房を一人で回すのが難しいのは分かるけど、それなら人を雇うとかすればいいでしょ?」

「そんな金はないよ」

「あんたが酒に回さなきゃ、一人くらいは雇えるでしょ?」

「そうしたら俺の作業スピードが落ちるでしょーが」

「だから人を雇えば解決するでしょ」

 堂々巡りの喧嘩が始まるかと思った時だった。

「あの。お話があります」

 ドランカードの妻となったチョウが喧嘩を止める。

「妊娠しました」

「本当か⁉」

「はい」

「そうかそうか」

 ドランカードは心底喜んだ。家族皆、喜んでいた。


 しかしここでも禍福は糾えたかふくはあざなえた。ドランカードの母が病死した。脳卒中だった。

「ドランカードさん。この度はご愁傷様です」

 チョウの両親が挨拶する。

「いえ、母ももう年でした。孫の顔を見せてやれなかったのが心残りですが……。その分お二人にはきちんと会わせたいと思います」

「何だか申し訳ないね」

「チョウもそうしたいでしょうから」

 葬儀が終わり家に帰ると、彼はソファーに寝転がって溜息をついた。

 なんでこうも、不幸というものは間が悪いんだろう。

 彼は酒を取り出し、グイッと飲んだ。


 それからおよそ一年、ジレマが生まれるまでの間店はドランカード一人でまわし、家のことはチョウがやるということになった。

 思った以上に大変な生活だった。ドランカードの飲酒量は増えた。

 取引先との衝突も増えた。そのたびチョウが頭を下げることになった。

 そして10年が経った。

「チョウ! 酒を買ってこい!」

「貴方。今日はもうそれくらいにしないと……」

「うるせー! 飲まずにやっていられるか!」

 彼は酒瓶を投げる。

「分かったわ。買ってくるから物を投げないで」

 彼女がでかける準備をしているとき、ジレマが話しかける。

「おかーちゃん。またお酒買うの?」

「ごめんね。帰ったら遊んであげるから、お父さんの相手をしてあげて」

「うん」

 しかしその日チョウは帰ってこなかった。

「おかーちゃん。遅いね」

「まったく、どこで油を売ってるんだ! 酒が無くなったじゃねーか」

「おとーちゃん。お腹空いた」

「なら自分で作れ。料理屋の息子だろうが」

「わかった」

 チョウが馬車に轢かれて死んだと聞かされたのは、翌朝のことだった。

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