第60話 禍福

 40年前。ドランカード20歳。

「親父。ムニエル作った。味見して」

「もう少し塩は減らした方が良いと思うよ。あと、ワインは赤じゃなくて白を使った方がいいかな」

「分かった。ありがとう」

「うん」

 ドランカードは成人とともに、正社員として父の店で働き始めた。今はまだ見習いのため調理は出来ないが、この店を継ぐため、勉強中である。

 うーん。上手くできたと思ったんだけどなー。試作したものを食べながらそう考える。

「そうだ。せっかく酒飲める年齢になったんだし、ワインの飲み比べでもしよう」


 彼は厨房のワインを手に取って飲み比べをする。

「ん-。渋い」

 赤ワインは白ワインに比べて渋みがある。この違いがムニエルにでたのか?

 メモを取りながら考える。

 酒は料理の友だ。もっと飲み比べて、良い飯作るぞー。


 それから飲み比べを初めて三年。彼は立派なアルコール依存症患者になった。

「おやじー。もうそろそろ俺も厨房に立ってもいいだろー?」

 彼は酔っぱらいながら、父親に絡む。

「酒臭いよドランカード」

 父は下を向き、おどおどする。

「俺は料理に使う酒と、食事に合う酒を自分の舌で確かめてるだけだ。文句あるか?」

「酔っぱらってる人は厨房には立たせられないよ」

 声を震わせながらも、はっきりと断った。

「ケチ。もう三年だぜ? 料理の腕だって十分上がっただろ?」

「そういう問題じゃないんだよ」

 下を向いたまま、小声で答える。

「じゃあどういう問題なんだよ」

 下を向いていた父は、ドランカードの目を見て答える。

「料理を出すということは、お客さんの信頼に応えるということなんだよ。そして厨房はそのための神聖な場所。酔っぱらいながら立っていい場所じゃないんだよ」

「出した料理が美味けりゃいいんだろ? だったら俺には厨房に立つ資格があるはずだぜ」

「だからそういう問題じゃないんだってば」

 聞き分けのない息子に困っていると、ドランカードの母がやってきた。

 

「お袋からも何か言ってよー」

「そんなことより孫の顔を見せてほしいわね。お見合い相手の写真が来たから、確認しといて」

「お見合いー?」

 嫌そうな顔をしながらも、写真を確認する。

 ドキューンと心を打ちぬかれた。黒くて長がい髪の、儚げな女性だった。

「えっ、超好み」

 顔を赤くし、写真からしばらく目を離せずにいると、父親が覗き込みながらこう言った。

「彼女に気に入られるためにも、その酒臭いのはどうにかした方がいいと思うよ」

「うるせー。親父には関係ないだろ」

 彼は写真をバッとたたむと、自分の部屋に戻った。


 わー。テンション上がるー。とニコニコしていた彼だったが、スッと真顔になり、父の言葉を反芻する。

「酒減らそうかなー」

 その日から酒を減らしてみることにした。しかし簡単ではなかった。

 あー駄目だ。イライラする。何か変な汗出るし、頭も痛てー。でも我慢だ。初対面の印象が大事なのは俺でも分かる。

 夜。

 寝れねー。おまけに手が震えてきやがった。我慢! 我慢! ガマン!

「ぷはー。24時間ぶりの酒は格別だわー」

 彼は飲んでしまった。そのあと布団に入り、すぐに寝た。

 翌朝。

「やっちまった」

 彼は頭を抱える。

 減らすって決めたその次の日から飲んでどうする!

「減らすなんて中途半端なのがいけなかったんだ。今度は止めよう」

 その日の夜。

「うめー」

 また飲んだ。

「うん。無理だ。諦めよう」

 

 そんなこんなで見合いの日がやってきた。

「ひっく」

 その日も彼は酒を飲んだ。むしろ多めに飲んだ。

「ドランカード。なんで飲んじゃったんだよー」

 父が問う。

「いやー緊張しちゃって」

 すでに緊張と酔いで既に顔が赤い。

 ホテルの個室に座っていると、相手方がやってきた。

「お待たせいたしました」

 ドランカードはバッと顔を向ける。

 部屋に入ってきた彼女は東国の衣装に身を包んでいた。

「綺麗だ」

 思わず口から零れる。

「え?」

 彼女は驚く。

 二人の目が合う。ほんの一瞬だったが、二人にとっては時が止まってしまったかのように長く感じた。

「本日はありがとうございます」

 彼の父親が挨拶をする。

「いえいえ。こちらこそ、うちの愚女と会っていただきありがとうございます」

 二人の両親は軽く挨拶をしたあと、「あとは若い人だけで」と部屋を出ていった。


 沈黙が流れる。

 やべー。何か話さないと。そう思うが、酒のせいで思考がまとまらない。

「あの」

 彼女が切り出す。

「はい!」

「お酒、好きなんですか?」

 うおー。聞かれたー。きっと酒臭かったんだ。やべー。

「まぁ好きですよ」

「私お酒はまだ飲めないんですけど、初めて飲む時はどんなものがオススメですか?」

「食べ物の好みにもよりますが、果実酒辺りは飲みやすいかもしれません」

「そうなんですね。私甘いのが好きなんですけど」

「それなら――」


 30分後。酒の話が一段落ついた。

「とてもお詳しいんですね」

「これでも飲食店のセガレですので」

「偽ることなく、好きなものを好きと言えることは、とても良いことだと思います」

「そうですかね? ハハ」

「だからきっと、最初の言葉も本当なんでしょうね」

「え?」

 彼は最初に口にしたことを思い出していた。「綺麗だ」。思わず口に出た言葉だった。

「私は容姿のことで褒められたことがなかったんです」

「褒められたことがないなんて嘘でしょう?」

「本当ですよ。だから本当に嬉しかったんです」


 2人だけの話し合いは終った。

「ドランカード。どうだった?」

「イメージ通りの綺麗な人だったよ。是非ともお付き合いしたい」

「分かった。仲人なこうどさんに伝えておくよ」

 2日後、仲人から返事の手紙が返ってきた。

「お袋、どうだった!?」

「よかったわね。成立よ」

「やったー!」

 こうして交際が始まった。まさに幸福の絶頂だった。

 

 しかし禍福は糾える縄の如しかふくはあざなえるなわのごとし。父が亡くなった。

「こんな時に亡くなるとは……」

「でも息子が成人してからでよかったよな」

 など、親戚は陰口をたたいていた。

 ドランカードの母はというと。

「ドランカード。これからはあんたが厨房に立ちな」

 彼女は背を向けたまま言う。

「ああ。そうするつもりだよ」

 すこし沈黙が流れる。

「お袋は悲しくないの?」

「悲しいわよ。30年以上連れ添った仲なのよ?」

 いつものピンと伸ばし、覇気を纏っていた後ろ姿にはほど遠い。それを見て、母も見せようとしないだけで悲しんでいることは分かった。ままならないものだと思い、彼は酒を傾けた。

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