16,取り返しがつきません


「まあまあ、これでも食べて落ち着きなさいよ」

「落ち着いてますよ……」

「それは落ち着いているって言うか、憔悴しきってるって言った方が良いわね」


 もう気分は最悪だ。


 指先一つ力が入らず、実家のソファーで事切れた操り人形のように大人しく座り込んでいた。

 目の前に置かれたのは、つい先ほど留めと言わんばかりに深紅に染め上がった水晶。


 ……これは水晶と呼べるのだろうか。



 泣きそうになって鼻をすすると、何やら良い匂いがしてきた。


「仕事を頑張るのは貴女の良いところだけれど、少しは息抜きしないと」


 簡単な物だけど、と言いながら水晶の横に置いてくれたのは湯気が立ち上るスープ。この薫りは……トマトベースのスープだろうか。


「ありがとうございます……」

「少しでも何か食べないと!」


 お皿と一緒に置かれた気のスプーンを手に取ると、ノロノロ一匙掬う。


 私の予想通り、トマトをベースに野菜が柔らかく煮込まれたスープだった。この短時間でどうやってここまで柔らかくしたのかな。


「美味しい……」

「口に合ったのならよかったわ」


 野菜の優しい甘みが疲弊した体に染み渡る。

 ベソかきながらスープを啜る私の前に、マリーさんが座った。


「なにもがっかりすることないじゃない、おばあさまに助けの手紙を出したんでしょう?」

「そうですけど、いてもたってもいられなくて……」

「これ以上悪化させないために、無理して浄化しようとしなくてもいいんじゃないかしら」


 一理ある。


 この水晶は他の石に比べて特殊だ、そんじゃそこらの浄化方法ではとてもじゃないが間に合わないのだろう。

 といっても、まさかここまで酷いことになるとは……。


「悪いことは言わないわ、今回の件は手を引いて大人しく帰りましょう」

「ぐすっ……折角綺麗になると思ったのに……」

「ほら、スープが涙でしょっぱくなるわよ」

「マリーさん……優しい……!」


 やっぱりおばあちゃんの返事を待つしかないのかな……。

 しょんぼりしたままスプーンを口に運び続けていると、前から咳払いが飛んできた。


「……ところでマーガレット。私ずっと貴女に聞きたかったことがあるのよ」

「聞きたかったこと?」


 なんだろう、マリーさんがお客さんとして通っていた頃の占い結果についての追加質問だろうか。

 野菜を咀嚼しながら首を傾げると、目の前に座った彼女は真剣な眼で手を組む。


「単刀直入に聞くわ。


 貴女、カルロ皇子のことどう思っているの?」

「……どう、思っている?」


 どうしてこのタイミングで皇子殿下の名前が出てくるのだろうか。質問の意図がくみ取れず株を傾げてみるが、マリーさんの目は至って真剣だ。


「聞き方を変えた方が良いかしら。

 じゃあね、マーガレットはカルロ皇子に大事にされていると思う?」

「それはもう! 生活面でもこれ以上ないくらい良くしていただいていますし、昨日だって街に連れ出してくださって気分転換を……」

「それよ」


 マリーさんの眼光が鋭く光った。


「マーガレット。カルロ皇子は今まで何度か婚約者がいたことがあるのよ」

「ふーん……え?」

「でもね、そのたびにお断りをしてきたの」

「ほぁ……?」


 は、初耳なんだが。

 自分とは無縁の単語に、思わずスプーンが止まる。


「普通婚約者なら会いに行ったり贈り物を送ったりするでしょ? でもそんなこことする素振りもなくて、むしろあうこと自体を拒否していたのよ」

「(え、まともに会ってもいないのに運命の人じゃないって決めつけてたの?)」


 私に恋占いを頼む人だ、つまり人並みにそういう欲はあるだろうし、なんなら決められたとはいえ婚約者という存在が現れれば「これが運命!」と目を輝かせそうなものなんだが。


「今まで半強制的とはいえ、数々の婚約者を振り、夜会でも綺麗に着飾ったご令嬢達になにも靡くことの無かったあのカルロ皇子が一人の女にそこまで肩入れしているのよ⁉」


 ご近所迷惑、と言いたかったが、ここは森の奥地。人も居なければ獰猛な獣も居ないので、好きなだけ叫んで貰って大丈夫なのだ。


「これは奇跡……いいえ、最早寵愛、寵愛よ‼」

「(二回言った)」

「誰もが喉から手が欲しがるその立ち位置を‼ 当然の如く甘受しているのをどう思っているのかしら⁉」

「ちょ、鼻息荒いですよ‼」


 急に立ち上がらないでよ!

 スープが零れそうになったので、慌てて皿を避難させた。


「今日という今日は絶対に逃がさないわよ……! 私達使用人一同が毎日どれだけやきもきさせられていると思って‼」

「それはすいませんでした……?」

「はあ……やっぱりわかっていないわ」


 なんでそんなに残念そうなんだろう。マリーさんが脱力して座ったので、机上の安全は確保されたと確信して手に持っていた皿を机に戻した。


「もっと単刀直入に言うと、カルロ皇子は貴女を愛しているのよ」

「アイシテイル」

「そうよ。マーガレットを見る目はいっつも優しくて、マーガレットと一緒に居るときの雰囲気なんて甘ったるくて見ているこっちが胸焼け起こしそうなんだから」

「アマッタルイ」

「正直、もう占いも大して執着していないと思うのよね」

「は⁉ それは絶対ないですよ! だってそのために私を城に呼び寄せたのに!」

「そこが私達もわからないのよね……。でもね! 占いが関係あっても無くても、カルロ皇子の想いを受け止めて真剣に向き合って欲しいって思っているのよ」


 スプーンを咥えながら、城に越してきた数日間を振り返る。


 ……私だって、楽しいよ。もしマリーさんの言うことが本当だったらと思うと……。

 あ、多分今顔赤いわ。でも自惚れてはいけないのだ。


 赤面をごまかすように顔を手で仰いぐ。


「それが本当なら身に余りすぎる光栄です。でも勘違いですよぉ!」

「私の最初はそう思っていたのよね。でも最近それこそ勘違いだって気づいたの」

「と、言いますと?」

「専属占い師は最高の贅沢よ。でもそのためだけにわざわざ塔まで建てて畑を用意する?」

「それ思いました。占い師の為だけに建造物まで着手するって税金の無駄使いですよね」

「あそこは全てカルロ様のポケットマネーよ」


 マジか。


 思わず口からスプーンが落ちた。


「そこまでして占い師にこだわっていたんですか……⁉ それならこんなに汚れた水晶を持った占い師なんてさっさと解雇すればいいものを‼」

「そこがわかっていないのよ、あ な た は ‼」


 クワッ! と開かれた目が怖い。


「あの塔は占い師専用に作られたんじゃないの、マーガレット専用に建てられたものなの‼」



「………………え?」



 とっぷりと夜は更けていく。


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