15,嘘だと言ってくれ
「はあ……」
「カルロ様、手が止まっていますよ」
「はあ……」
「(完全に仕事が詰んだ)」
なんでこんなに虚無感に襲われるのか。そんなの簡単、だって近くにメグがいないから。
昨日までは少し歩けば手の届く範囲にいた。どれだけ仕事が面倒くさくても、面倒な会議があっても、メグの気配で頑張ってこれたのに。
「今までどうやって仕事してたっけ」
「普通にしていましたよ」
「メグが傍にいないっていうだけでこんなにやるせないなんて……危ない薬みたい」
「劇薬扱いされてマーガレット嬢も心外でしょう」
占い師という職業柄、メグは他の人より依存されやすいだろう。本当なら僕以外見て欲しくないけど、急に全てを取り上げてしまうとメグが泣いてしまうかもしれない。
だから限られた人だけが入れる箱庭を作って、監視下に置いていた。
それだけでも十分だと思っていたんだけどな。
「人って怖いよね、望んでいたものがようやく手に入ったとというのに、もっと欲しいって手を伸ばしてしまう」
「それが人間のあるべき姿でしょう。ある意味まともな人間の思考回路だと思いますよ」
「今まで僕が異常だったみたいな言い方だね……」
本当はもっとゆっくりこっちに落としていくつもりだった。甘やかして可愛がって、僕の存在をメグの心に刻みつけて。
なのにこっちが我慢できなくて、少しでも一緒にいたくて近づいて行ってしまう。
「長年抱えられてきた想いの反動で街に行かれたのでしょう。少しは報われたと思ってもよろしいのでは?」
「街……楽しかったよ? でもさぁ‼
婚約者がいたという事実を知ったら、何かしら表情を変えてくれると思うじゃん? なのになんで! 占い師目線でアドバイスしてくるんだ! そりゃ占い師として在城しているから正しいんだけどさ‼」
「(面倒くさい……)」
今絶対面倒くさいって思ってるよ、この男。
ふと、メグを乗せて今朝方早く城を発った馬車を思い出す。
やっぱり行くことを許可しなければよかっただとか、自分も付いていけばよかっただとか、まだ数時間しかたっていないのに後悔が押し寄せてくる。
こんなに想っているのに、会えないなんて……。
「やっぱりプロポーズして結婚に持ち込んだら早いかな」
「権力を振りかざしてマーガレット嬢と婚姻関係になったところで心は手に入らないかと」
「……わかっているよ」
ずっとずっと温めてきたこの想いは、重たくてドロドロと渦巻いている。まるで沼が心という陸地を浸食しているみたい。
「でも、僕を救えるのはメグだけだ。……今も、昔も」
「(やっぱり拗らせているんだよな)」
ああ、早く会いたい。会ったら強く抱きしめて、どれだけ寂しかったか伝えよう。
メグは寂しがっていないかな、何か欲しいものはないだろうか。メグが欲しいものはなんでも与えよう、だからいつかその心の一部分を僕に分けて欲しい。
「……よし! やっぱりメグが帰ってきたらプロポーズしよう!」
「どうして振り出しに戻るんですか」
ああ、あの水晶が一生綺麗にならなければ良いのに。雇用主である僕がこんなこと考えているなんてメグに知られたら、きっと関係が破綻するだろうな。
早く帰ってくることを祈りながら、積み上げられた書類に渋々手を付けた。
******
「嘘だ……」
「全く綺麗にならないわね」
朝早くに城を出て約半日。整備されていない道を馬車で進むのは二回目であるが、やはり皇子殿下お抱えの御者なだけある、全く酔わなかった。
私と同じく顔色一つ変わらないマリーさんは、私の家に着くなり「久しぶりに来たわ、やっぱりここは落ち着くわね」と、家主として非常に嬉しいお言葉をくれた。
皇子殿下からいただいた時間は二日間。どんな巡り合わせだろうか、今日は一つも欠けのない満月の夜なのだ。このチャンスを逃すまいと張り切ってきたというのに……。
「えーっと……。
白樺の木で作った桶を用意して、大地から湧き出た清水を張る。
月桂樹の朝露を五滴たらしてワイルドアンジェリカの蕾を一玉分バラして八分と三秒水に漬け……引き上げたら下準備は終わり。
清水の水面に満月を一時間浮かべてさざれ石と浄化したい石を沈める。
って書いてあるわよ」
「全く同じ通りにしたんですけどね……」
夜も深まり、森の何処かではフクロウが鳴いている。十分に満月を水の中に浮かべ、さざれ石と水晶をその水の中につけ込んだ。だというのに‼
「なんで⁉ どこか抜けていましたか⁉」
「私も隣で見ていたけど、間違った手順だと思わないわ」
それかこのメモが間違っている⁉ でもあの時聞いた内容と全く同じだし……。
水に濡れた水晶を拭きながら、ため息が零れた。
「マーガレット、猫背になっているわよ」
「猫背にもなりますよ……折角ここまで戻ってきたのに……」
……あれ?
水晶の中に不穏な靄が増えた、気がする。
「マリーさん、なんか……」
「……あらま……」
靄が増えたというか、層が濃くなってきたというか……ってあれェ⁉
「ちょ、なんで⁉ 変なことしてないじゃん‼ アッヤダヤダヤダヤダなんかワインレッドになってきてるまってまってまってまってェェェェエエ‼」
うそだああああああああ‼
私の叫びもむなしく、水晶は靄を閉じ込めるどころか、一色に染まり切ってしまった。
見よ、この美しい赤。まるで深く暗い地下のワイナリーで数百年寝かされた年代物のワインのようだ。
とうとう表情を変えなくなった水晶を前に、私は愕然と立ち尽くすしかなかった。
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